人間の木(2)
※グロテスクな表現が含まれます。
大木となるような見目麗しい木は、〈緑の密集地〉を管理する従業員のお気に入りらしい。数が増えるといがみ合うので、メリーゴーラウンドの従業員が定期的にやって来ては、切り倒し、木馬へと加工する。木馬になれば自由を求めて逃げるので、串を打って、ペンキで固めて動けなくする。目玉だけは自由だから、お客をじろじろと恨めしそうに見てしまい、それが不気味と遊園地のウワサになっている。きいてもいないのに、狐はべらべらとお喋りだ。
「ホラホラ! 上ばっかり見ていないでお客サン、足元、掴まれないよう注意しな!」
「え?」
狐の大きい獣の足が、地面を這う
優の記憶では、ここの地面に近いところには葉を扇形にひらいた植物が生えていたはずだ。それらは今、狐の巨体を通すために道幅を広げている。以前は扇のようにひらいていた五本指をぴたりと閉じて、後ろに隠れていた本体の――平たい植物と化した人間がまる見えの状態に。狐が踏みつけた蔓は細長く変形した緑色の舌。獲物を捕らえるためにそこから這い出てきた。皆、首から下の体は地中へ埋めている。葉をつけた枝骨の手指と、皮膚がぶよぶよとふやけて平たくなった顔面だけを地上に出して、大きく大きく変形をした口を
「うっ、だめだ……」
優は目をそむけた。
走って、逃げ去りたい。
全てが森の糧か。侵入者が植物となって、あとから来た侵入者を捕らえて植物にする。
なんて、なんて、ひどい場所。
「えっ……どうして、笑うんですか」
狐の浮かべる表情だ。
優はぞっとした。
「アッ……ダメだった? 違う違う小鬼サンは元々こういう顔、サ」
「おかしいよ……こんなの絶対に、いけないことだよ」
「そうサ、いけないことサ? 此方のお客サンらは、立ち入り禁止の柵をわざわざ乗り越えてルールと危険を侵してやってきた。自業自得、ンマー自己責任サ。故にこの場所で、向こう岸の視える迄。寿命のほどの尽きる迄。ズーッと、ズウーッと魂を留めておくのサァ!……アハッ、口が滑った。支配人サン、ゴメンなサいウハハハハ!」
人間の言葉をうまく操るけれども、獣だ、こいつは。優が「ひどい」と思うのは人間の感覚、異形の化け物にあるはずがない。しろい岸で、同胞らしき黒い顔の猿が屍を晒していても、にやにやと笑っていたやつだ。しろくんにかけた言葉もずいぶんと冷たかった。名前だって変と思っていた――小鬼って、何だ。
「小鬼さん……は、鬼?」
優は、あとずさった。
「何を今サら……俺は遊園地の、ジェットコースターの、管理人サ」
がしりと肩を掴まれる。
狐の黒い鉤爪が、優の肌に食い込んできた。
「お客サン。遊園地は間もなくサ……余計なこと、考えンな」
「ゆうくんっ!」
そこに、しろくんの声がした。と同時に、狐と優、並び合うふたりの足元に違和感が生じた。もぐらでもいたのか、いやそんな大きさじゃない――真下の土がひとりでに、ごぼごぼと盛りあがってくる。
「コプッ…………カ、……帰っちゃうの?」
地中から、男の顔が現れた。
土にまみれて、見る見るうちに地上へと現れたのは、膨張した風船、ミートボール――いや、皮のない巨大な人間の頭部だ。ところどころに苔の生えた風船型の赤い頭から、人間の筋と植物の根の束で構成された長い首がのびる。頭部だけで、優と同じくらいの大きさだ。
「ヒト…………ヒト…………シー、コプッ」
そいつは泥を吐きながら目前へと迫ってきた。黄ばんで汚れた大眼球に、驚きで尻もちをついた優の姿が映り込む。そこで気がついた。ない、頭から被っていたはずの白黒ストライプのジャケットが、はたりと地面へ落ちている。
「あ……、あれ」
背後で、がさがさがさがさがさ、葉擦れの音がする。結論は出たと大木たちが動き出し、平たい植物は土に埋めた袋状の体をもくもくと起こしている。いろんな木々の顔が薄暗い森に浮かびあがり、優の頭上をぐるりと取り囲む。
「ゆうくんっ」
しろくんがジャケットを拾ってくれたが、狐の手に取りあげられて、しっしと追い払われてしまう。思えば、この場の誰もが慌ただしく動く中、狐だけがゆっくりと余裕だった――。
「遊園地の子どもサァ!」
優の頭にジャケットが被された。その上を、大きな手が撫でてくる。
「遊園地の子どもサ、……此方の子はな。まったくお前サンたちィ、人前に出るならば鏡を見てからだって学ばンとなァ!」
〈遊園地の子ども〉ときいて、大木たちがぴたりと止まった。頭上からもの凄い形相で覗き込んできてはいるが、次なる指示を待っている。
「怖がらせるのはヤメだよ。ホラホラ庭師、ガールフレンドのお嬢サンたちも、自分の持ち場へ戻りなサいな……」
大木たちは不服そうだ。優を取り囲んだまま動こうとしない。「鏡を見てから」の狐の一言が余計だったか。しかし大木たちの人間憎しの視線の中には、子どもの優を誘おうとする好奇の目も交じっていて嫌だ。なんだかなぁ、なんなんだこいつらは。悪い夢のように気味が悪い。そう気味が悪いものだらけだ。いい加減、優は切れた。
「元は人間だから、人間食べても人間にはなれないです。木なんだから、森の中で静かにしててよ。もう木なんだから、森の中で暮らせばいいと思います」
じぶんとは思えないほどに、冷たい声だ。
「僕たち……遊園地に帰るんだ、通してください」
優は立ちあがった。
しろくん――じぶんを見てきょとんとする、しろくんと、
「けけけ、けたたたた、ゲーハハッ」
締まりのない口元を抑えて大笑いする狐の腕まで引いて、
もう、歩いていってしまおうと思う。
「コプッ、ヒト…………ヒトイー、ア――――」
庭師と呼ばれた巨大な頭部が、呻いた。そして狂ったように頭を揺らしはじめると、彼の首から地中へとのびる根が、土を押しあげて大地のそこかしこに浮上してきた。まるで人体を巡る血管だ、根は太いものから細かいものへと分岐していく。これらは〈緑の密集地〉に生きる全ての植物の根元へと繋がっているように見えた。
「…………コプッ、ウーッ、コプッ」
顔をふくらせたり凹ませたりと、庭師の頭部はポンプのような動きを繰り返す。こぷこぷ、こぷこぷと、森の外から根っこの管を通じて何かの液体が運ばれてくる。優は直感した、森の外の憐れな低木たちから吸いあげた養分だろう。それらは庭師の頭部を経由して、新たに別の根の管を伝って〈緑の密集地〉内部の植物の元へと運ばれていく。
「襲ってくるかと思ったのに……」
「食事だ。すぐに臭いますンで、サっサと移動しちまいましょう」
庭師を中心に、森の命が循環している。
あまりにも危険だがこの場所、重要なのだろう。
遊園地の最奥、海へと続く道を隠して守り抜くために。
ふと優は思う。どこからどこまでが森だった。アクアツアーの鬱蒼とした密林、〈緑の密集地〉、人間の木、その後現れたしろい花々、もしも全て庭師の管理下にあったならば。
「うわ……気味が悪い」
あいつ、ずっと見ていたんだ。
もちろん、今もだ。
足早に去る優の背中を見つめて庭師が囁いた。
「マタ、オイデ…………ひとし」
と。
【※ご来園頂き誠にありがとうございます】
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