第3話


 フレアと別れたボウラーはハルミタ家の使者への定時報告のためホテル・スマグラーズへ向かった。入口の守衛と視線を交わしホテル内へと入る。ボウラーも旧市街の生まれだが前を通るばかりで入ったことは僅かだ。その少ない機会も仕事で来訪だ。上品な場所として知られていても喧嘩や盗みは発生する。殺人まで目にしたことがある。ボウラーは警備隊士としてホテル側と共にそれらの事態を対処したことがのだ。


 真っすぐ受付へと向かう。警備隊時代は何度来ても変に緊張してしまっていた。警備隊の制服が場にどうにも馴染まないように思えた。視線が気になるのは当たり前だ。俗世を離れた楽園で制服姿の警備隊士を目にすれば誰もが興ざめするのは頷ける。


「三〇二号室のモムラ・ハクブン氏にラリー・ボウラーが来たとお伝え願えますか」


 ボウラーは真鍮製の優美な文様の入った名刺入れから、名刺を一枚取り出し受付係に差し出した。名刺入れは安くはなかったが、さっきのような事があっても名刺が痛まなかったのだから無駄ではなかった。


 受付内にある通話機によりボウラーの伝言は先方に伝えられ、名刺は笑顔で返還された。上階へ向かう中央階段でも彼の存在はすんなりと受け入れられている。うっかり正面からボウラーとぶつかりそうになった山高帽の男は軽く手を上げて詫び、階段を下りて行った。


 以前はこの階段を使うことは禁じられていた。可能な限り従業員用通路を使用するように命じられていた。裏方がむやみに表に出られてはホテル側が形作っている世界観が壊れかねない。ホテルの主張は一貫している。


 ボウラーとしては変わらず制服を身に着け仕事をしているつもりだ。やんごとなき身分の人々相手の何でもとしての制服だ。以前は制服により目立つことで抑止力となっていたが、今は静かに潜み行動する立場となっている。最高級品とはいかないがそれでも痛い出費だった。おかげでここでも溶け込んでいられる。最初はどうなる事かと思われた探偵業だったが、警備隊とのコネのおかげで個人としてはうまくいっている。呆れるような依頼も少なくないが金払いはよい。


 山高帽の男以外には誰にも気に留められることなくボウラーは三階に到着した。人気もまばらな廊下を歩き三〇二号室へ向かう。部屋に泊まったことはないが、豪華な内装は目にしたことがある。しかし、あくまでも仕事でのことだ。ホテルの支配人に呼ばれて出向いた部屋には、腹を短剣で刺されて倒れている男と、悄然とした姿で椅子で項垂れている女がいた。女はこちらで連行したが、あの二人がどうなったかは分からない。


 三〇二と書かれた真鍮の銘板が貼られた扉を軽く二度叩き名を名乗る。


「開いてるぞ。入ってくれ」


「失礼します」


 室内では窓を大きな窓を背にしてモムラ・ハクブンが座っていた。萎れて貧相な男に見えるが、身に着けている衣装は上物だ。黒い髪も油を付け整えている。隣で立っているのは従者のヴラマ・シダ。髪は茶色で焼かれたかのように縮れている、目つきから言って用心棒とみるのが妥当だろう。


 さほど広いとは言えない部屋だが寝台、書き物机、応接家具などの家具が置いてあり隣に使用人部屋もついている。ここで一日過ごすだけで警備隊での俸給一週間分が飛んでいく。


「マティアスはどうした?一緒じゃないのか?」


 ハクブンはボウラーに目の前の席を勧めないまま尋ねた。ボウラーも長居をする気はないため、それで一向にかまわない。


「それなんですが、マティアスさんにこちらへ来てもらうために、朝から工房へ出向いたんですが、残念ながら留守でした」


 ボウラーは頭を掻きため息をついた。


「それで、そのまま帰って来たのか?」


「その場で突っ立ていても仕事になりませんから、とりあえず報告のためにこちらに来ました。工房の扉に下げてあった札によると、病気療養のためしばらく休業するとのことです」


 何かを視界の端で捉えた。要注意の気配だ。左側の壁に飾ってある肖像画から視線を感じた。街でよく見かけるアダムス五世陛下の肖像画だ。壁の向こう側は使用人部屋だ。 誰かがひそんでいるのか。


「それなら改めてマティアスの行方を追ってくれ。療養先を探し出すんだ。彼の生死はハルミタ家の存亡にかかわる大事なのでね。。是が非でも居所と容態を知っておきたい」


「おまかせください」


 気配は消えた。肖像画は絵の具によって描かれただけのアダムス五世に戻ったようだ。




 ハクブンの部屋を後にしたボウラーは新市街へと足を向けた。マティアスの所在を知るにはまずメイドのフレアに会わなければならない。特に疑われているわけではないと思うが、会ってすぐということもあったのだろう彼女はマティアスの居所を教えてはくれなかった。


 あの姿に惑わされがちだか、彼女はローズの代理人として新市街を仕切っている。一筋縄では通用しない相手のようだ。あれこれと考えを巡らせつつ運河を越え工房区を抜け、やがて賑やかな三番街へ到着した。ここでボウラーはフレアと会う前に昼食を取ることにした。あちらに都合で引きずり回されてはたまらない。


 そして、この辺りで馴染みの店に足を向けた。くたびれた立て看板にいつも通りおすすめのスープ の札が掛けられている。今日の具はナスとオクラと書いてある。店内に一度顔を出し、おすすめのスープ注文し外の席に座った。他の料理も悪くないのだが、時間がない時や腹が減っている時は大量の作り置きがあるおすすめのスープに限る。


 席についていくらも経たないうちに熱々のスープの鉢が届けられた。


「お待ちどうさまです。旦那、虫がついてるようですが追っ払ておきましょうか」


 給仕にやって来たのはシジマという男だ。警備隊時代にこちらとしては行きがかり上だが命を救うことになった。シジマはそれを恩に着て、今も時折仕事を手伝ってくれている。


「かまわんよ。後で叩き落すことにする」


 そしてかなり目が利く。


「それじゃ、くれぐれもお気をつけて」


 スープの代金を受け取るとシジマは去っていた。スープを口に運びつつシジマが目をやった辺りを眺めた。赤毛の男だ。ハクブンの従者シダのようだ。隠れるのはにがてらしい。こちらを窺っているんがよくわかる。それについては折込済みで気にすることもない。スープを平らげるまで待たせておけばよい。



 フレアに指定された待ち合わせ場所は塔の傍にある居酒屋だった。ここまで来ると塔は高く大きく見える。ローズは付近の住民には生活に溶け込んでいる存在かもしれないが、ボウラーには警備隊時代から奇妙な緊張を覚える存在だ。疎ましいながらも、心のどこかで当てにしている関係か。


 ボウラーは店の名を確認し入り口を抜けた。入り口傍にいた店員にフレアに会いたいと告げると二階の部屋にいると答えが返って来た。二階の閉じられている扉を叩くと空いてますとフレアの声が聞こえた。


「ご苦労様。先方は納得してた?」 とフレア。


 宴会部屋なのだろう。少し窮屈な気もするが大きなテーブル中央に置かれ腰掛が八つ添えられている。フレアは手前側の一つに座っていた。


「とりあえずはね。引き続きの行方探しを頼まれた」


 フレアに促されボウラーは彼女お正面に座った。


「そろそろマティアスがどこにいるかどうしてるか教えてくれないか」


「工房でも話したように無事よ。階段から転げ落ちて血も流してたから、一時はわたしもお医者様も騒然となったんだけど、その傷以外は目立った外傷無し。朝には目を覚ましたわ。今は大事を取ってそのまま入院中よ」


「なるほど、それなら会って話は出来そうだな」


「今度はあなたが教えて使者というのは誰?ビゾーノの家族それとも兄弟かしら」


「モムラ・ハクブンはハルミタ家の使用人の一人だ。高位ではあるが血縁はない。病気で動くことのできないビゾーノの使いだ。三人兄弟なんだが全員母親が違う。ビゾーノは長男として家を継いだ。妻との間に一人ではあるが息子も生まれ無事成人し、この先も安泰かと思われた矢先息子を失い自分は病に倒れた」


「他の兄弟に子供はいないの?」


「何人かはいるはずだ」


「当主はそっちに譲るしかないんじゃないの」


「それで済むならお家騒動なんて起こらんよ」


「それもそうね。でも勝手なものね。自分たちの力を維持するために一度追い出した使用人の息子を呼びつけるなんて」


 フレアはボウラーに目をやった。


「俺もいい気はしないよ。だが、これが仕事なんだ。俺はマティアスと会って事情を説明して生家に連れて行かないといけないんだ」


「もし、彼があなたの話を聞いても首を縦に振らなかったら、連れて行くのは諦めてもらえる?」


「そうだな、無理強いは出来んな」ボウラーはため息をついた。「ただ働きになるかもしれんがその時はその時だ」


「約束してよ」


「約束するよ」

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