第5話


 旧市街での地下下水道の保守点検作業は即座に中止され、その入り口は警備隊が封鎖した。帝都はとりあえずの安全は確保されたとみているが、それを完全にするには地下に侵入したとみられる大蛸の討伐が必要となる。その任務を帯びて地下へ赴くのは魔導騎士団特化隊の面々である。


「帝都の奴って本当に地下が好きだよな」


 光球が照らし出す湿った階段をアトソンは階下へ向かって進む。光球を呼び出すための魔法は意外なほどあっさりと習得することができた。呼び出すのは簡単だが操作するのが面倒だと聞いた。確かにその通りだった。気を抜くとこちらにかまわず先へと進み、指示を怠るとその場にとどまり続ける。


「俺は生まれも育ちも帝都だが地下は好きじゃない。それと化け物蛸を”帝都の奴”に含めないでくれ」とユーステッド。


 階段を降り下水道へ出ると鼻を突く異臭が強くなった。この辺りは隧道が太く両側に歩道が設置され、流れる汚水に足を付けなくて済むのは助かるがこの匂いはたまらない。これが運河に流れているのだから今の運河の状態も頷ける。


「右側からいってみるか」


「了解」


 光球が右奥に向かい動き出す。二人は呼び出した武器を手に後に続く。


 濁った水が運河に向かい流れていく。水面に浮かぶ木の葉が揺れながら通り過ぎていく。光球に照らし出されることで色彩が鈍り、細部がごまかされていることで嫌悪感もいくらか薄れているようだ。匂いさえなければ夜の小川と思えなくもない。


「所々壁に文字が書いてあるけど、こんなところまで落書きに来る奴がいるのか」


 アトソンが薄れて判読しづらくなっている文字を呼びさした。


「上の地名らしい。入って来て迷うといけないからな」とユーステッド。


「皇帝陛下の脱出路だってのは本当なのか?」


「そういう時期もあったらしい」


「こんな中を……ひでぇな」


「服を着替えて体を洗えば済む話だ。首落とされて晒されるよりはるかにましだよ。それもローズがやって来るより昔のことだ。帝都でもすさんだ時代があったんだよ」


 更に先に進むと衣服が落ちているのが発見された。布地が裂けて血の染みがついている。歩道にも黒くなった飛沫が残っている。見たところ職人の作業服か。


「こちらユーステッド、傷んだ衣服を発見、様子から何らかの加害行為があったとみられる」ユーステッドが全員に告げる。


「犠牲者の姿は見当たらない」


 了解の言葉が次々に頭蓋に響く。


「さらわれたのかな?」とアトソン。


「服を捨てて人だけ……意味がわからん。俺たちが追ってるのは何なんだ?」


 辺りを窺うが何も感じられない。


「ビンチだ。こっちでも衣服を発見。仕立てのいいお仕着せだ。……中に名前が入っている。サルモ・ラネ……」


 アトソンが隧道の壁に月下麗人の切っ先を叩きつけ強い火花が弾け飛ぶ。


「落ち着け坊主」とビンチ。「頼りにしてんだぞ」


 ユーステッドが軽く肩を叩く。


「すみません……」


「息を整えてもう一度探ってくれ。探すのはあからさまな敵意、攻撃性だけじゃない。逆の場合もある」


「了解」アトソンは集中し姫に問いかける。


「……これかな、見つけた」アトソンは眉をひそめる。「ひどい混乱状態だ。何なんだろう、とてもたくさんの意識を感じる。自分でも何かわかってなさそうだ。港に近い河口に向かっているよ」


 光球が動き出した。二人も後に続き歩き出す。


 


 空には少し赤みがかった月が浮かんでいる。見事な満月で心なしかいつもより大きく見える。月を横目に見ることができることができる高さまで上がることができれば、地上の灯も含め最高の夜景だろう。


 だが、今夜のローズにそんな余裕はない。フレアの同族の気配は感じられないが、代わりに大蛸が現れた。正確には巨大な蛸の触手を持つ何かのようだ。それはフレアだけでなく友人のホワイトも確認している。その意識は人を含めた多数の生き物で構成され混沌としている。


「ここから入りましょうか」


 街の出入り口は警備隊にくまなく抑えられた。そのためローズ達は港の出口側へとやって来た。同じく地下に降りている特化隊の様子はホワイトが聞き耳を立てている。ホワイトとしては表には出辛いがこの騒ぎの成り行きは見逃したくはないようだ。


「奴らによると魔物は外に向かって移動中のようだ」とホワイト。「面倒な奴が混じっておるからこちらは動きにくい。くわしい場所はそちらで探ってくれ」


 隧道内は広く長身のローズでも窮屈さは感じられない。帝国が金を出しただけあって、他の地下室などよりよほどしっかりした作りとなっている。これが汚水を流すために使われているとは勿体ない話だ。


 奥へと進むと得も言われぬ気配が漂ってきた。ホワイトの言葉通りまずあるのは混沌だ。人を含めた多数の生き物が混ざり合い混乱し悲鳴を上げている。この世で千年に渡り、各地を流れ歩いて来たローズでもこのような混沌とした意識を感じたことはない。ただの大蛸ではなさそうだ 


 ローズの光球に下水道の歩道に伏せる青い人影が照らし出された。


「ローズ様!」フレアが人影に向かい走る出した。


 近づいてみるとそれは擦れて傷付いてはいるが仕立てのよい青い上着とわかった。ひっくり返して名を確かめる。内側の物入れを探ると湿ったサウル・トカイチョ宛ての領収書が出てきた。


「フレア、これはあなたが言ってた……」


「はい、マココさんを追い回していた男の上着のようです」とりあえず領収書は戻しておく。

「でも、どうして上着だけが落ちているんでしょうか」


「たぶん、この先にその答えがあるわ。行きましょう」


 ローズは上着の脇を避けて先へ進んだ。気配が放つざわめきは隧道の奥から響いてくる。


「何を見てもおどろかないようにね」





「この角の向こうに何かいる」アトソンは大きく息をつき頭を押さえた。「意識はひどい混乱状態だよ。人と他は何かわからないけど、すべてが悲鳴を上げている。助けてほしい、逃げ出したい、死んでしまいた。その中心に強い体を求めている何かがいる」


 ここへ来る途中でも衣服が放置されていた。血液が付着していることはあったが、それを身に着けていたはずの本人の姿が見つからない。服を脱がされ連れ去られたか、それとも……とりあえず、今までに裸の遺体が発見されたとの報告は入ってはいない。


「こちらユーステッド。今から突入する」


「了解、十分に注意してくれ。こちらももうすぐ到着する」とビンチの声。


 ユーステッドの合図と共に二人は左右の通路に分かれ突進した。しかし、その先で光球に照らし出された光景に足が止まった。彼ら目の当たりにしたのは、あらゆる経典や物語で人を驚かし戒るのために描かれた禍々しさを凝縮した異形である。それが地下下水路一杯に広がっている。


「なんだあれは……」とユーステッド。


「暴走した珠の成れの果てってことか、珠が回復と強化を渇望してやみくもに生き物を取り込んだ末の姿だろうな」 アトソンは前方の異形に目を据え、悲しそうに呟いた。


「ヴァーディゴが珠を生き物の核として使うのを止めたのはこれが理由なんだろうな」


「 だろうな」


 ユーステッドは異形に目をやった。


 船が沈み最初に珠を取り込んだのは鮫だろう。次は蛸、船から投げ出された船員、街に入り込んでからは見つかった生き物を手あたり次第取り込んだ。それを物語るように鮫の頭に蛸の触腕、所々から取り込まれた人などの手足や胴体が飛び出している。この状態で取り込まれた全個体の意識が残り悲鳴を上げている。


「助けてやろう。珠を叩き割って消滅させる」


 アトソンは月下麗人を珠が作り出した異形に向け突進していった。


「おい、待て落ち着けっていったのを忘れたか」


 ユーステッドも前へと飛び出した。




「これって一体……」


 ローズが行きついた先に居たのは禍々しい異形だった。フレアががまず思いついたのは、神の教えに逆らい悪行を重ね罰として異形と化した者の逸話だ。しかし前にいるものはそれより遥かにひどい。これほどの罰を受ける者などいないはずだ。


「珠が暴走しているようだ」ホワイトの声が頭蓋に響いた。


「珠って?」


「本来はアイリーンのような人造生体の核としてヴァーディゴで生み出されたのだが、普通の生き物、人などの強化にも使われた。しかし、自然の生き物に真に健常の者などおらん。どんな生き物でも病んで傷つく。珠はそれを際限なく直そうとする。そして暴走する。お前の前にいるのは暴走の果てに行きついた哀れな成れの果てだ」


「ひどい……」


 巨大な異形の体が大きく痙攣した。大蛸の触手が脈打ち、はみ出た人の手足がのたうち、蛸の胴に現れた顔が苦悶の叫びを上げる。


「この向こう側に月下麗人に見初められた坊やがいるわ」ローズが異形に手のひらを向けた。「もう一人斧使いの相棒も彼を守っている。姫様の加護のおかげで急所である核を的確に突いてはいるけど、これでは囚われている生き物と人たちの負担が大きくなるだけだわ」


「何とかなりませんか?」 とフレア。


「わたしが誰だかわかっているでしょ」


「そいつの修復力は並大抵ではないぞ。アイリーンの核も同様の珠だ。おかげでアイリーンは大火球に襲われた際も生き延びることができた」


「それも考慮済み、全体組織へ同時に火種を送り込み焼滅させる。血の一滴も逃さない」


 ローズの口元が僅かに動いた。一拍ほど置いて異形は黄色い光を放ち霧散した。

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