第2話

帆船は断崖に囲まれた桟橋に横付けされた。ファントマと他の乗客は船長に促されそこに降り立った。軋む足元に不安を感じながら砂浜へと向かう。 


「ようこそ、大熊島へ」砂浜に降り立つと上方から声が聞こえた。


 声の方角を見上げると断崖の上からお仕着せの男女がこちらを見下ろしていた。


「わたしはトロイ、こちらは妻のアネット、皆さまのお世話を務めさせていただきます」トロイとアネットが頭を下げた。次いでトロイが砂浜の奥を手で示した。「そちらの坂道からこちらまで上ることができます。よろしくお願いします」


 登り坂と紹介されたのは山羊なら喜びそうな崖に貼りつくような小道だが、人には少し狭そうだ。路面も小石が転がり荒れている。そして手摺もない。二人がこちらの降りてこず上で待機しているのも頷ける。


 幸いなことに誰も崖から転がり落ちることなく上に到着した。使用人夫婦の先導で屋敷へと向かう。崖の上は真っ平な草地になっており、その中央に白い漆喰塗りの三階建てで正面玄関から両翼に広がっている。あれがアネット・オリゾンが建てサミ・ビスケスが買い取った屋敷なのだろう。


「トロイさん、ビスケス氏にはいつ会えるだろうか」


 ファントマ達は玄関広間に通され旅行鞄を床に下ろした。屋敷の主人はまだ姿を現さない。


「トロイで結構ですよ……」


「トーマス・ポロパイネンだ」


「ポロパイネン様。ビスケス様は今外出中でして夕食には戻られると思います」


 最低でも一泊はしないといけないようだ。


「男の方々はわたしについて来てください。部屋にご案内します。女の方はユッカが案内します」


「わたしもあなた達と同じ使用人としてきたんですがいいんですか」トゥルネンが疑問を投げかけた。


「先ずは客間にお通しするようにと聞いております」


「そうですか。ありがとうございます」


 客人たちが案内されたのは二階の個室である。廊下を挟み両側に部屋が並んでいる。ファントマの部屋は玄関側だった。かと言って特別な眺めが望めるわけではない。窓の外に広がるのは緑の草地と群青の海、残念ながら空には雲が垂れ込めている。晴れていれば幾らかましなのかもしれないが、今は眺めるには退屈そうだ。


 眼下に動きを感じ目をやるとヘイゾルが屋敷を見上げていた。彼は建物をじっくりと眺めると裏側へと去っていった。ビスケスの姿はないようだが仕事を始めたようだ。


 ファントマも動き出すことにした。とりあえず建物の構造を頭に入れる。部屋を出てすぐファントマは廊下でヤンセンと出くわした。彼はファントマに一瞬目をやると玄関へと続く階段を下りていった。ファントマは左側へと向かう廊下の先には踊り場があり上下に向かう階段が繋がっている。上階への階段は鎖により封鎖されていた。階下へと向かう踏み段の下から声が聞こえてきた。


「トゥルネンさん、その先はわたしどもの領分、お客様はご遠慮願えますか」


「ユッカさん、わたしも使用人なので、早くこのお屋敷を把握したんです」


「申し訳ないですが、ビスケス様からあなたも客人として扱うように言いつけられております。ご遠慮ください」


 誰も仕事熱心なことだ。トゥルネンはそれ以上抵抗することなく、その場を去っていった。ファントマがそのまま動かないでいると足音と共にユッカが上がってきた。


「やぁ、ユッカさんだったね」ポロパイネンは彼女に声を掛けてみた。


「ここは鎖で塞いであるが、上はどうなっているんだろうか?」


「三階はビスケス様のお部屋になっております。くれぐれも無駄での立ち入りはないようお願いします」声音にまたかという苛立ちがにじみ出している。


 招待客たちが好きにうろつき回っていては無理もない。


「承知した。ありがとう」


 


 食事の時間を知らせる銅鑼が鳴り、黒い正装を身に着けたファントマは部屋を出た。階段を降りると前にヘイゾルがいた。食堂の中央には横長のテーブルがあり、食器が置かれた席を客たちが順に詰めていく。ヘイゾル、ファントマ、次にやって来たのはトゥルネン、ラモリ最後はヤンセンだった。


 全員集まり料理が運ばれてきても、テーブルの短い辺を占める席は空いたままだ。 食器さえ置かれていない。


「ビスケスさんは来られないんですか?」トゥルネンが尋ねる。


「今日はお戻りではないようですね」とトロイ。「料理は皆さんで冷めないうちにお召し上がりください」


 テーブルには大皿に盛られた料理が並べられている。各自大皿から取り分けるようになっている。ファントマも傍の皿から順に手を付けていった。頭が付いたまま焼かれた魚にはオレンジ色の濃厚なソースがかけられている。汗が噴き出すほどに辛いがうまい。半身に割られたエビには柑橘系のソースが振られている。こちらはさっぱりとした酸味がよい。後一品は小さな骨付き肉が入った赤いスープ、鳥肉かと思ったが少し違う、聞いてみるとカエルの足とのこと。正体を知って多少戸惑ったが味は悪くはない、というよりうまい。


 全員で料理をきれいに平らげた後はヨーグルトが配られた。白く滑らかなヨーグルトの上に若干苦みがある黄色いジャムが添えてる。苦みの元は柑橘の皮、甘みもヨーグルトの酸味とよくあっている。 食後酒として出されたのは地元の金色に輝く葡萄酒である。


「きれいな色」トゥルネンが呟き口を付ける。


 トロイとユッカにより注がれた後はそのままテーブルに置かれた。


 ファントマの向かい側でヘイゾルが一気にグラスの中身をあおり飲み干した。お代わりを求めてトロイに向かい空のグラスを掲げる。隣に座っていたラモリが不意に立ち上がった。後ろに動いた椅子に、ヘイゾルの元に近づいてたトロイが躓きかかる。皆の視線がヘイゾルからラモリへと移った。


 何が始まるのか。始まったのは惨劇である。ラモリは手にしていたグラスを取り落とし苦しそうに胸と喉に手をやった。乱暴に襟元に手をやりクラバットを引きむしり、苦しさに胸を叩く。介抱のため近づいたトロイを跳ね飛ばし、その場でばたばたと足を踏み鳴らし回転を始めた。三回転ほどで動きを止めたラモリは、血飛沫と共に天井に向かい黒く長い塊を吐き出した。横に座っていたヘイゾルはもとより皆が暗く赤い血を浴びることになった。ユッカか高い悲鳴を上げる。


 ラモリはその場に力なく倒れたが、彼が吐き出した塊は動いていた。それは目がなく獣の歯を持つ蛇だった。首を振り狼のような歯をむき出しにする。ヤンセンが手元にあった銀のナイフの刃を向けたが蛇はそれをかわし、凄まじい速さでテーブルから飛び出し、床を這い室外に出て行った。


 ファントマは反射的に蛇の後を追ったが部屋の外で姿を見失った。ラモリの血らしき跡もすぐに途切れている。慎重に廊下を先に進むが何も見つけることは出来なかった。部屋に戻るとラモリは広い場所に出され寝かされていた。


「逃げられた。消えてしまった」


 全員がファントマに目をやったが無言だった。


「具合はどうだ」


 血まみれの顔を見ればだいたいの察しつく。


「だめだ。もう死んでる。蛇のように見えたが、あれは何だったんだ」とヤンセン。


「ひどく面妖だったな」


「何にしても、こいつはあれをずっと腹に入れてたってことか」ヘイゾルが横たわっているラモリを指差し眉を顰める。


「それはないだろ。しかし、蛇が腹に湧くわけがない、どういうことだ」


「無いわけじゃない」とファントマ。


「んt、まさか、魔法……か?」


「魔導士なら人の腹ん中に蛇を送り込むなんてわけないってか」ヤンセンは腕を組み横たわるラモリを見つめる。「そういえば、この屋敷を建てたアネット・オリゾンは魔導士だ。大トリキア大公国の宮廷魔導士だった」 


 ヤンセンも下調べ済みと見える。


「ビスケスもその筋か?」ヘイゾルがトロイに目をやる。「どうなんだ?」


「存じ上げません」


「存じ上げ……知らないって、お前たちの主人だろ?」


「いいえ、実はわたしたちは臨時雇いなんです。大熊島の屋敷を借りて内輪で泊まり込みの宴会をやる。ついては招待客のもてなし役を引き受けて欲しいと依頼がありまして」


「内輪の宴会?俺たちは全員初対面だ。そうだよな?」ヤンセンの問いに全員が頷く。


「わたしたちはそう聞いたんです」トロイが若干語気を強める。


「それはもういい。依頼はビスケスからなんだろ?」


「そう聞いてますが、仕事を受けたのは紹介所経由なのでご本人にはあってません」


「ビスケスさんが夜には顔を出すと言っていたのはうそだったんですか?」トゥルネンも輪の中に入ってきた。


「あれは島に入る前に受け取った手紙に従ったまでです。手紙にはもし、自分が遅れるようならこう伝えてくれと書いてありました」


「ヤンセン、君もビスケスを知らないのか?」とファントマ。


「知らない。仕事は出版社から来た。内容は船で話した通りだ。いい金になりそうなんで来た」


「誰もビスケス本人は知らないようだな。だが、奴の方は俺たちを知っている。奴はどういうつもりで俺たちは集めたんだ?」


 ヘイゾルはファントマ他部屋にいる者たちを順に見つめた。

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