第3話

 ニトラ村を離れたフレアは真っすぐ北を目指した。山の中で迷わないようにと教えられていた術等が村から離れるために役立った。方向を見失って村へ戻ることや狩りに出た人と鉢合わせになるとこは避けたかった。再び山狩りが始まるまでに距離を稼いでおきたかった。そのためフレアは北に動き続けた。


 昼夜を問わず早足で歩き続けたが疲れることはなかった。感じたのは飢えだった。それは以前のように腹で感じるのではなく、更に深層、本能への訴えかけだった。それに陥ると肉に対する欲望に囚われ人として理性を失う。それがロサワさんに狂気をまとわせ、自分にはネズミを頭からかじらせた。

 

 歩いている途中で茶色いウサギを捕らえた。今回は頭からかじってしまいたい衝動を抑え、平らな場所を探し、持ってきたナイフを使い家でやっていたようにウサギを捌いた。皮をはぎ内臓を取り出し肉だけにしてからかぶりついた。内臓もそのままでなく家でやっていたような下処理をしてから口に入れた。手に付いた血は口で舐めとったがそれはお父さんが街で買ってきたお菓子のように甘く感じられた。山の木の実なども口に入れてみたが、こちらは体が受け付けずすべて吐いてしまった。


「わたしのような人食いが脅威であることはよくわかってるんだけど、木の実や他の魚とかも口にできればお互い、もう少し楽にやっていけそうなんだけどうまくいかないものね」


「そうなると熊人とか呼ばれるんですかね」


「そうかもね」


 北に歩を進めつつフレアは自分の力を確かめた。うかつな動きでアライグマに噛まれ、野豚相手に打ち身と切り傷を負ったが、痛みはその時だけで翌日には回復していた。素晴らしい力なのだが、これにも飢えという代償が伴う。


 移動を続けるうちに長い間放置されている山小屋を発見した。小屋の前に置かれた椅子や樽はカビや苔で覆われている。入口の扉に鍵は掛かっていない。


「こんにちは」とりあえず声を掛け中に入ってみた。


 光は少ないが問題にはならない。以前より遥かに夜目が利くようになっている。家具の状態は埃まみれながらも悪くない。小さなかまどがあり汚れてはいるが調理器具、食器も残っている。暖炉もきれいにすれば使えそうだった。


 しばらく野宿だったフレアは久しぶりに屋根のある部屋を得て喜んだ。 喜びすぎたのかもしれない。部屋をきれいに片づけ、食器や調理器具を近くの小川で洗い、かまどと暖炉を使えるように整えた。山の香草などで茶を入れ、我慢して取り置いた獲物の肉で燻製を作ってみた。茶からは心地よい熱さと甘さを感じることができた。肉は生には劣るが悪くはない。


 一週間ほどを機嫌よく小屋で過ごし、この日も丸々と太ったウサギと鳥を仕留めた。歩いて帰る途中に人の声が聞こえた。周囲を探ると二人組の猟師がこちらに向かって歩いてくるのが見て取れた。歳はお父さんよりやや若く見える。捌かれた鹿を二人で手分けして担いでいる。フレアは二人をやり過ごすために木の陰に隠れた。


「この辺りだな」


「何が」二人の声が聞こえる。


「セオが女の子を見かけたって言ってたろ」


「あぁ、あれか。金色の髪の娘が森の中を駆けていった?」


「それだ」


「行き倒れになった娘が精霊になって迷ってんじゃないだろうな。薄気味悪い」


「精霊が両手にウサギを下げて走るか」




「見られてたのよ。まったく気が付かなかった」フレアはため息をついた。「人気が無くても小屋があるなら人の縄張り、もっと注意深く行動するべきだった」


「そういうことになりますね」


「それが原因でわたしは屋根付きの小屋を失ったわ。どういう展開があったのかと言えば、男達が大挙して小屋にやって来たわ」


「会ったんですか?」


「いいえ、外にある木に登って上から見てた。誰もいないからすぐに出てきたけど、誰かが使ってるのはまるわかりよね。食器とお鍋とかだけ持って出て行ったわ」


「その時は人を手に掛ける気はなかったんでしょ。一言言ってやったらどうだったんですか」


「それはあなたが大人の男だから言えるのよ。この姿じゃ説明が面倒で仕方ないわ」


「あぁ……そうですね。すみません」カッピネンは頭を掻いた。「こちらから手を出すわけにもいきませんしね」


「あの時の力でもぶちのめせたでしょうけど、それをやると騒ぎになるだけだし、また現れると面倒だから黙って出て行ったわ」


この後もフレアは北へと移動を重ねた。生活を快適にしようとすると人と遭遇する機会が増えてしまう。毛皮を纏っていれば獲物扱いされ、金色の髪が目立つのか発見されると追い回された。精霊、魔物、遭難者様々な解釈で追われ、追い立てられるように北に移動した。


 そこで新たな危機に直面した。本格的な冬が到来し雪が降り始めたのだ。少し前から獲物は減り始めていた。そして雪がとどめとなった。冬眠と降雪により獲物は極端に減りフレアは窮地に追い込まれた。飢えにより冷静さを欠き、ただでさえ少ない獲物を取り逃がし、飢えに拍車がかかり錯乱状態手前となった。そんな時雪の少ない森の中で人を発見した。村を出て以来、人との接触を避けていた。自分もロサワさんのように人を殺してしまわないか心配だったからだ。男だった。隠れて様子を見ていたが、木の根元に座り込み動かない。


「眠っているように見えたけど死んでた。触ってみると氷みたいに冷たかった。頭の中で何かが弾けてその人を夢中で食べてしまったわ。飢えも手伝ってたと思うけど、すごくおいしかったのを覚えてるわ。いい匂いもしてた」


「……どんな匂いなんです?」


「普通に人の匂いね。あなた達はあまり好きじゃないかもしれない。体臭とかね。あなた達もお料理の匂いが漂ってきて、うまそうって言ってるじゃない。それと同じよ」フレアは口角を上げた。


「なるほど……」


「あの人には感謝してる。あの人があそこにいてくれたおかげで飢えの向こう側に行かずに済んだ。人を食べるという一線は越えたけど……」


「人でも人を取って食う奴はいるようですよ」


「それ知ってるわ。ローズ様から聞いたころがある。砂漠を越えてまだ先の東方らしいわ」フレアは東の方角を指差した。「あの時はお礼に墓を作ろうと思ったんだけど、体はわたしが食べて無くなってた。仕方ないから持ち物を埋めておいたわ」


「……」


「仕方ないでしょ。持ち物をそのまま野ざらしにしたくなかったし、家族を探し出せても……ただの言い訳ね。罪悪感があったのよ。だから何かしたかった。それだけ……」


 フレアはそれ以降雪を避けるために南へと戻った。慣れない雪のために手間取ったが、またも発見した遭難者と大柄の鹿の死体により飢えを逃れた。とりあえず正気を保つためには食べ続けないといけない。それが何の肉であろうとも。


 進路を西にずらし行きついたのはヴラティスラバーという街だった。そこでフレアはプリエビト同様に皮や骨などを買い取ってくれる店を見つけ出した。仕留めた動物の食べ残しではあるが捨てるにはもったいなく思い、服や靴に加工し利用していた。お父さんに頼まれ使いでやった来たと、持ち込んだ皮などは良い額で売れフレアは久しぶりの現金の獲得を喜んだ。 ここで確認できたのは生活に快適さを求めるには、少なからず人に関わっていかなければならないことだ。


 しばらくは山奥から親の使いで皮や獣の加工品を売り込みに来る少女を演じてヴラティスラバーの近くで暮らしていた。知識はあったためそれほど難しい事ではなかった。西側の国境が近いため取引相手は隣のアンシュルス出身者も含まれていた。そのため彼らを触れ合っているうちに生活に困らない程度の言葉も覚えることができた。


「いい人も多かったから動きたくはなかったけど二年ぐらいで出て行ったわ」


「ばれちまったんですか?」


「変わった子ぐらいは思われてたかもしれないけど、いずれおかしいと感じたでしょうね。年取らないんだから、アイラ・ホワイトにぐらい見た目で年食っていたら、いつまでも若いですねで済むけど、この顔だと年取らないとおかしいでしょ」


「そうでしたか。安心しましたよ」


「まさかあなた……、わたしはこう見えても食事目的でこっちから人に襲い掛かったことはないのよ」カッピネンを睨みつける。「良からぬ目的で襲い掛かってきた奴を倒して、後始末のために食べて死体を消しただけよ。全くあきれるほど多かったわね。そういう輩が……。まぁ、いい御馳走にはなったけど……」


 カッピネンは苦笑した。


「基本、獲物は人以外ということなんですね」


「そうね。だから、わたしがこんな砂漠に囲まれて、人かネズミしかいないような街でやっていけるのもローズ様のおかげね」


「間違いねぇが、ひでぇ言い方だ。……それならどうしてここに来たんですか?姐さんに呼ばれたわけじゃないですよね」


「同族のもめ事に巻き込まれてね。大騒動よ。あの時は場所なんて選んでる暇なかったわ」 

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