第2話

 古くは海辺と呼ばれていた現在の新市街九番街、八番街などの地域で恐れられているのは、不意に手ぶらでやって来るフレア・ランドールの姿である。小柄な金髪少女が大きな鞄を持っていれば問題ない安心できる。しかし早足で去っていく時は要注意、騒ぎの予兆である。


 ジョニー・エリオットがフレアの訪問を受けたのは、今夜一階で行われる公演の打ち合わせ中だった。連絡を受けたエリオットはその場をライデンに任せフレアと共に二階の事務所へ上がっていった。

 

 二階へと上がるとフレアは金庫室が見たいと言い出した。エリオットは昨夜分の売り上げ計数中であることを断りフレアをそちらに案内した。予定外のフレアの来訪に驚く男たちに微笑みかけ、彼女は部屋へと入っていく。


 入ってすぐにフレアはざるに取り分けられた紙幣や硬貨を発見した。部屋の隅に置かれている。普段の計数では見られない光景だ。


「あれは何?」


「あれは……偽札です」


 エリオットとしてはあのざるはフレアに見せたくはなかった。


「姐さんにお渡しする額をはじき出すために、まず最初にこちらで金を数えているのは御存じですよね」


「あなた達が先に数えてわたしが立ち合い再度計数、それからこちらの取り分を算出する」


「その通りです、いつもお見せしてる金からはそっちの分は事前に抜いてあります」


 エリオットはざるを指差した。


「案外多いのね」


「気を付けてはいるんですけどね。外は爺さん、婆さんやここに来て間もないガキが店番ってところもありまして……」 エリオットはため息をついた。


「面倒なものね……」


「ええ、そういえば、今日は何の御用ですか?」エリオットはまだ今回の来訪の意図を聞いていなかった。


「こちらも偽札についてのお話よ」


「まさか、混ざってましたか?」


 エリオットが頬を引きつらせ、計数係たちは目を丸くしてフレアの表情をうかがっている。


「もう、たっぷりね」


 エリオットは息をのみ、計数係の一人が小さな悲鳴を上げた。


「他の人から集めた分もひっくるめてだけど、半端な数じゃないわ」フレアの声に男達全員が頷く。


「まぁ、見てこれよ」お仕着せの胸の中からフレアは紙幣を取り出した。既に左上隅に赤い丸が付いている。「よくできていて、そこにあるような子供だましじゃない」


 フレアは数え終わった札束が置かれた机まで歩き、そこに偽札を置いた。隣に束ねられた紙幣を並べる。


「拡大鏡はある?」


「はい!」


 計数係の一人が机の引き出しを引っ搔き回し拡大鏡を取り出した。


「見て、これとこれ」 フレアが該当の箇所を指で指す。


「葉っぱが一枚多い……ですか」と計数係の男。


「正解」


 フレアの裁定に男が息をつく。


「偽造犯が自分たちで区別が付けるために目印をつけたんじゃないかと聞いてるわ」


「そんなところでしょうね。これがなかったら刷った連中でも区別を付けるのが難しくなるでしょう」エリオットが拡大鏡の中を見つめる。


「これは置いていくから手持ちのお札を確認なさい」


「はい」


「それからローズ様は今回の件であなた方に責任を問う気はないそうよ」


「ありがとうございます」


「ただし、このお札を使うような奴が現れたら必ず捕らえておくように、それがローズ様のお言葉です」


 それだけ言うとフレアは外へ向かった。


「どちらへ?」エリオットが声を掛ける。


「後三カ所でね同じ話をしないといけないの。大変だわ」


「そりゃぁ、ご苦労様です」




 塔には様々な人々が訪れるが肉屋や新聞の配達人などを除けば、魔導騎士団特化隊はその回数に於いては上位を占めているだろう。


「あら、こんばんは」


 翌日の夜の事、来客の呼鈴に応じて開いた玄関扉の向こうには、特化隊隊士デヴィッド・ビンチとその相棒ニッキー・フィックスが立っていた。お馴染みのローズ達のお目付け役を押し付けられた二人組だ。


「ローズはいるか?」これがビンチの挨拶の言葉である。


「留守よ」


「どこへ行った?」


「さぁどこかしら。ベランダから外へ飛び出してそれっきりよ」


「呼び戻せるだろ」


「出来るわけないでしょ」


「それなら、少し待たせてもらう」


「じゃぁ、中に入りなさい。柄の悪い大男に通りをうろつかれちゃ近くの店に迷惑よ。ちょうどお茶を入れているから飲んでるといいわ」


 応接間に通された二人に出されたのは茶葉による薄い赤に着色された白湯。特に悪意はないフレア基準では十分お茶なのだ。


「今日の用は何なの?」二人にもお茶を出すとフレアは最寄りの席に腰を下ろした。


「お前たち、偽札に手を出してるだろ?」


「偽札、紙幣の偽造犯を探しているだろ?」フィックスが補足を加える。


「あぁ、それは歌劇場でもめている人をローズ様が鎮めただけよ」


「とぼけるな。じゃあ何でお前が東の顔役連中に偽札犯を探すよう触れ回ってるんだ」ビンチが睨みつける。


「それはうちにも偽札が回ってきたからよ。ローズ様が新市街の大地主なのは知ってるでしょ。あの人たちの儲けに紙屑が混ざり込むとローズ様の取り分も目減りする。それで注意喚起に回ったの。犯人を捜すのは自衛のためよ。そのまま警備隊に突きだせば問題ないでしょ」


「そこまでにしておけよ。余計なことはするな」


「わかってる。あなた達も大変ね」


「お前たちが何にでも首を突っ込むから、俺たちにお鉢が回って来るんだよ。余計な仕事が増えるんだ。大人しく芝居だけ見ててくれ」


「あれ退屈なのも多いのよ」


「我慢しろ」


 この夜、スイサイダルパレスで漆黒の仮面と外套を羽織った人物を目にした客は多くいただろう。だが、背に施された幻龍の刺繍を目にしても、それをアクシール・ローズと直結したのはごく数人である。彼らがそれを周囲の友人に告げた時には既に彼女の姿はなかった。そのため彼らは酔った頭が作り出した幻影として片付けた。


 支配人であるエリオットの恭しい出迎えを受けローズは建物の奥へと向かった。関係者以外立入禁止と書かれた扉の前で立ち止まる。


「中はむさくるしい場所になりますがご勘弁を」


 エリオットは扉に手を掛け引き開けた。上部に取り付けられた鐘がけたたましく音を立て中の小部屋にいた男達が飛び出してきた。


「警報付きというわけね」


「迷うお客さんも少なからずいるものですから」


 男達はエリオットの顔を目にすると軽い会釈の後引き上げていった。後ろにいる人物は気に留めていない。知る必要はないことを心得ているようだ。


「先にある部屋で待ってていただければ、奴を連れてきますがどうですか?」


 彼としては隠したいわけではない。ローズを気遣っての事のようだ。


「それには及ばないわ。わたしが行く」


「はい、では御案内します。その先になります。あまり気持ちの良い場所ではありません。ご勘弁を」エリオットは左側にある下降階段を手で示した。


 階段とその先には人の様々な匂いが漂っていた。血に排泄物、死それらに由来する匂いは人としては良い印象はないだろう。ローズは特に悪感情はない。このような匂いが漂う場所でも狩りをしてきた。


 地下に降りると男の大笑いが薄暗い通路の奥から響き、それを耳にしたエリオットが顔をしかめる。通路を進むと古びた扉の向こうに小部屋があった。テーブルが一つ置かれ男二人がカードゲームに興じていた。エリオットの姿に気が付くと慌てて立ち上がり、いたずらが見つかった子供のような微妙な引きつり笑いを浮かべた。気味が悪いだけである。


「すみません、奴は変わりないです。エリオットさん」一人が軽く頭を下げた。


「暇なのはわかるが……」エリオットは息を吐いた。ローズの前で余計な騒ぎを起こさないためだ。今一度間を置く「鍵を開けてくれ。姐さんが奴に直接会いたいそうだ」


「姐……さん?」想定外の言葉が彼らの脳髄しみ込むまで少し時間が掛った 。


 彼らはまさか、エリオットが姐さんをここまで連れて来るとは思わなかったようだ。恐る恐るフードの中を覗いている。


「そうだ。ご挨拶しろ」 とエリオット。


「こんばんは!お役目ご苦労様です!」男達が声を上げる。


 二人は腰を直角に折り曲げ硬直した。息まで止めているようだ。


「頭を上げてゆっくりなさい」 とローズ。


「はい!」今度は勢いよく頭をはね上げた。


「早く鍵を開けてくれ。忙しいお方なんだ」


 薄汚れた扉の向こう側には若い男がいた。足を両手で抱え床に座り込んでいる。半ばあきらめの表情で現れた二人を見上げる。目の周りや頬に赤黒い痣ができている。身なりはそこそこだったろうが衣服は腕周りが肩で裂け、血や何やらで汚れてしまっている。


「昨夜ここに一人できました」エリオットは若者を睨みつけた。「黒エールと豆を頼んで例の札を出しました。受け取った給仕が確認したところ間違いなく偽物でした。それで事情を聴きました」聞き方は若者の様子で察しが付く。「金を渡されて使ってくるように命じられて、思いついたのが釣銭詐欺のようです」


「使ったのはその一枚だけ?」


「うちではその一枚だけのようです」


 ローズも男を覗いてみたが隠し事はないようだ。旧市街からこちらに訪れ、何店かで飲食し釣銭をだまし取った。エリオットの元で詐欺がばれて取り押さえられた。深い事情を知ることのない下っ端のためもう打ち明ける情報も持ち合わせていない。


「こいつどうしましょうか」


 エリオットのこの言葉に男が初めて反応を見せた。用済みとなれば悲惨な末路が待っている。問いかけられたローズの仮面の中にある瞳をのぞき込む。


「あなたの好きに……」ローズの言葉に男の瞳が恐怖を帯びる。「何?……」


 無言となったローズに二人の男が視線を注ぐ。


「面倒ね。どこから聞きつけたのか」ローズが息をつく。


 フレアからの伝言だった。東にも帝都側の情報源がいる。ローズが帝都内に多数の内通者を持っているように。

「彼が使った一枚の他に偽札は見つかった?」


「はい、お嬢さんが帰られた後に点検してみたところ十二枚見つかりました」


「そう……」


 ローズは踵を返し室外へと出て行った。背後で扉が閉められる。


「警備隊に知り合いがいるわね?」


「はい……」


「そいつに彼と偽札を引き渡しなさい」エリオットの懸念が流れ込んでくる。「彼にはあなたの害になるようなことは言わないように枝をいれておいたわ」


「ありがとうございます」


「後は任せたわ」


 ローズの声がエリオットの耳に届いた時には彼女の姿は消えていた。


「はい、仰せの通りに……」


 エリオットは今一度頭を下げておいた。

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