第2話

 帝都旧市街からひたすら西へ、街を出てからは海岸線に沿い、帝都管轄内西の果ての断崖絶壁に目指す場所があった。丘の上で城壁に囲まれた建築物がニコライとフレアが目指すコムン城塞である。帝都で一般的なレンガで飾り立てられた塀ではなく、本格的な戦時対応の石積みの城壁である。周囲は低い外塀に囲まれた広大な農園となっている。それが城塞の遥か向こう側まで広がっている。

「すごいもんだ」ニコライが客車で呟いた。

 フレアもそれには同感だった。目の前にそびえる塀は過去に目にした城塞より規模と堅牢さは同等に見える。

 フレアはベルビューレン家の動馬車の手綱と踏板を操作し、開け放たれた正門から進入した。石造りの門は狭く馬車が入れば残りは人がぎりぎり通れるほどの隙間しかない。防衛上仕方ないのはわかっているが、理解してもめんどうなことは変わらない。

 塀の中は実物大の建物で作られた町の箱庭となっていた。最奥に城主の居館とそれに連なる兵士たちの居住棟。居館の目前は広場となっており、それを中心に教会、複数の小屋。物置に工房そして厩に家畜小屋などが配置されている。

 城主の居館とそれに連なる居住棟、教会は城壁と同時期に建てられたのだろう、それらに帝都で見られる華やかさはなく、飾り気を一切排した機能的構造物といった外見だ。居館の上階ばかりか教会の尖塔にまで配置された銃眼が威嚇的である。

「馬車は厩の傍に止めておこう。見れば誰のものかすぐわかるはずだ」とニコライ。

 鉄馬、客車共に深緑に塗られ、客車の側面には盾に巨大な角を持つ羊というベルビューレン家の紋章が描かれている。友人たちなら一目瞭然だろう。

「はい」

 フレアはいつもの馬車と同じ機種ということもあって何の問題もなく厩の傍に寄せることができた。鉄馬から降り客車後部の収納庫の扉を開き内部に収められていた荷物を取り出す。同じく持ってきた引き車にそれらを乗せる。

「俺が持とうか」

 どうしてもフレアの容姿に惑わされる者は多い。背の低い少女の容姿をしていても荷物がしっかりと詰まった鞄でお手玉は可能であるし、二階までそのまま荷物を投げ上げることもできる。それもかなりの手加減をしたうえで。

「お立場上それはやめた方がいいと思います」

「そうだった」

 フレアは友人ではなく、知人の行儀見習いという触れ込みで付いてきた。もちろんローズの許可を得ての行動である。ローズ、ニコライ共にスリラン家の守護者の考えが読めないでいた。だが、カシロに何らかの敵意を抱いているのであれば、この機会に動きがあるかもしれない。それを防ぐ手は多いに越したことはない。そこでフレア貸し出しの段取りとなった。

「何も起こらないといいが、君なりの目で警戒をしてほしい。では行くとしようか」

「はい」

 教会や物置小屋の前を通り、使用人二人と顔を合わせた。二人の身なりからか軽く会釈はしてきたが、彼らはこちらには大して関心ないようだ。仕事で忙しいのだろうがそれでかまわない。今は下手な興味は持たれたくない。

 城主の居館前に到着したニコライは重厚な両開き扉に付けられた鐘を鳴らせた。鐘の音が響くと、まもなく右側の扉がくぐもった音を立て開き、中から野良着の中年男が現れた。ニコライが男に名乗り、カシロの所在を尋ねた。男はそれに頷くと扉を開けたまま中に少し入り、そこで大声を出しカシロを呼び出した。もちろん敬語を交えてではある。二回目の声で奥から若い男が現れ、小走りで玄関に近づいて来た。長身で短い茶髪の男である。

「ロビンスありがとう。後はこちらで引き受けるよ」

 労いの言葉を受け男は奥へと下がっていった。

「久しぶりだなニコライ。コムン城塞へようこそ。あの男は使用人頭を任せているロビンスだ。農夫でもある。よくやってくれている」

「カシロ、元気そうで何よりだよ」

 ニコライはカシロと握手を交わした後、隣にいるフレアを手で示した。

「彼女はフレア、知り合いの娘で今は行儀見習いでうちに来ている。帝都の埃臭い家にいるよりはと、ここに連れた来た」

「よろしくお願いします」フレアは頭を下げた。

「フレア、彼がカシロ・マドラジッペ。話していた俺の友人だ」また、ニコライがカシロを手で示す。

「よろしく、フレア。俺のことはカシロと呼ぶといい。帝都の屋敷よりさらに古臭い建物だと思うがゆっくりしてくれ。ニコライ、部屋に案内するよ。フレア、君にはロビンスにいって部屋を用意させよう」

 カシロを先頭に奥へと進む。細かな間隔でランプが配置されているが廊下は薄暗い洞窟のようだ。この階に人気は感じられない。香辛料、干し肉やチーズや他の甘い香りに加えて錆止め油に薬品臭、通り過ぎる扉毎に違う匂いが漂ってくる。

「床に微妙な段差ができているところがある。足元に気を付けてくれ。ここは倉庫として使っている。上はまだ過ごしやすい」

「ここはお前のうちの持ち物なのか?」

「いや、管理を任されているだけだ。親たちの口ぶりだと押し付けられているという表現の方が正しそうだが、それは黙っておいてくれ。ここはうちが爵位を受ける前からある城塞だ。南からの侵攻を監視するために建てられたそうだが、今はその役目はもう薄れてる。沿岸の人たちが直接通報できる時代だからな」

 階段を上り二階へ、長い廊下の中ほどにある両開きの扉を開ける。そこは広間となっており中央に巨大なテーブルが置かれその周囲に十数個の椅子が配置されていた。天井からは無骨な作りのランプのシャンデリアが下がっている。壁に並ぶ窓はすべて開け放たれて、降り注ぐ自然光によりテーブルに置かれた燭台も含めて一切火は点されていない。

「食事の折はここに来てくれ。隣が談話室だ。ゲームテーブルもあるし酒もいろいろと用意している」

「何人来るんだ?」

「ごく近しい仲間のみだ。お前と後はマルデリンとヒルス。俺はここの城主となると自由に動くことは難しくなる。その前に改めて話しておきたいことがある。それで集まってもらうことにした」

「この腕に関係ある事か?」ニコライは義手となった右手を掲げ開閉して見せた。

「少なからずな、あの時は悪いことをした」


 眺めは期待しないでくれとカシロに案内されたのは庭に面した階段に近い部屋。窓から見えるのは城壁と教会の屋根、そして城門だった。城壁の見張り台からなら海が一望できるというので荷物を片付けてから二人で登ってみることにした。

 教会の裏にある木製の階段を上り城壁の頂上へ、そこを這う通路から最寄りの見張り台に入った。名前の通り見晴らしの良い場所である。下方に広がる海、そしてそこを行きかう船が霞んで見える。左側にはここまでやって来た海岸線の道が見て取れる。

「こんな風に呑気に海を眺めていられるのも時代が変わったおかげだよ」ベルビューレンが呟いた

「南寇って時期がありましたよね」

 フレアの言葉に驚きベルビューレンが彼女の顔を覗き込んだ。

「これでも人の何倍も生きてます。ローズ様と会って本を読む機会も増えました」

「そうだった。それをすぐ忘れてしまう」

 風に吹かれ海を眺めてどれぐらい経ったのか,庭からの物音にフレアは振り向き眼下に目をやった。音は馬車のようだが、今は教会の影に隠れて見ることはできない。ほどなく、居館の前に群青の馬車が現れた。客車には羽の生えた蛇が錫杖に絡む紋章が描かれている。間髪入れず扉が開きカシロとロビンスが現れた。

御者が客車の扉を開きそこから中背で金色の髪の男が降り立つ。

「ヒルスだ。ヒルス・リベリカ。ポワントゥ子爵家の次男だよ。十分に陽に焼けた以外は変わりはないようだ」

 ヒルスはカシロの前まで真っすぐ歩いていき、カシロも歩み出て握手と言葉を交わしている。フレアはその二人の間にどこかぎこちない空気を感じた。

 ヒルスの馬車が去らないうちにもう一台馬車が入ってきた。こちらも暗く濃い色だが若干の赤が混じっているように見える。降りてきたのは黒髪の男、荷物は御者に任せ玄関前の二人の元に歩いていく。互いに握手をし言葉を交わす。そうしている間にもロビンスと御者達が荷物を片付けていく。

「マルデリンも到着だ。あいつはウバダン男爵家。うちの遠縁に当たる。懐かしい二年ぶりだな」

「たくさんお家があるんですね」

「貴族は全部が皇帝陛下の親戚筋じゃない。それは一部に過ぎない。ほとんどは飲食店が開店を期に雇った従業員のようなもんさ。数だけはいる。それが偉そうにしているんだ」

「そんな身も蓋もないことを」

 フレアは思わず噴き出した。

「あのお三方は最近までご一緒だったんですよね」

「帰って来たのはつい最近だ。皆帰還後、身支度を整えここに来た状態だと思う」

「皆さんどういうお知り合いですか?出兵される以前からご存じでしたか?」

「タマリとカシロは別として、他はお互い、家の名前は薄っすらと聞いたことがある程度だった。実際に会ったのは最初の訓練の時だ。その時に組むことになったのが俺とタマリ、マルデリン、ヒルスで拷問のような模擬戦闘を乗り切った。タマリの活躍が目立ったが他の二人もなかなかだった。そのままの勢いで西端に乗り込んだ。そこでカシロが現れた。あいつは現地に着いてまもなくタマリの元にやってきて手合わせを望んだ。最初の一瞬こそ険悪な雰囲気だったが、タマリもカシロが何者か気づくと目を輝かせて、二人で表に飛び出していった。カシロが持ってきた棒切れで営舎前の広場で大立ち回り、その挙句懲罰房行きとなって、戻ってきたのは次の日だ。その時にはもうすっかり意気投合していたよ。いい奴らだよ。俺がいたのは短い間だったが」

 ニコライは黙り込み、通路へと歩き始めた。

「全員揃ったことだし一度降りるとしようか」

「はい」

 通路を駆け足で戻り、騒々しくを階段を駆け下りる。その物音に広場の三人のやり取りが止まり全員の視線がニコライとフレアに集中した。始めは怪訝そうに眺めていたヒルス、マルデリンも正体がわかると声をかけ手を振り始めた。

 ニコライ達が教会の裏から出てくるとそこではカシロを含めた三人が待ち構えていた。握手を交わしフレアを二人に紹介する。

「行儀見習いの娘を連れて来たとは、いい身分だな侯爵様というのは」とマルデリン。

「従者ならお前も連れて来ただろ」

「イカトゥは俺が羽目を外さないよう付いてきた見張り役だ。まったく戻ってきたと思えばこの扱いだよ」

「俺も同じだよ」ニコライが手を組みうなだれた。「今回は特例だ」

「ニコライ、手は大丈夫だったのか」

 ヒルスの言葉に一同の雰囲気が凍りついた。

 フレアはヒルスの言葉に悪意はないのは後の表情で見て取れた。友人が腕を失ったのが、自分の勘違いであってほしいとの願望の現れであろうと察した。つまり、今も彼らは激戦で起きた悲劇を引きずらずにはおれないのだ。

「無くなったが戻ってきたよ」ニコライは袖口をまくり上げ笑いながら義手を動かして見せた。「いい職人と出会って、新しい腕を作ってもらい、そいつと友人になれた。いい腕と友人を得たわけだ。原隊復帰はかなわなかったが、おかげでお前たちが必死に戦っている時に、こっちは人形細工を始めて、芝居三昧で過ごしていたよ。十分に充実しているよ」

「お前が人形細工、何作ってるんだ」カシロが入ってきた。

「主に小鳥、最近は小動物も始めた」

「うまくいってるのか」とヒルス。

「個性的だとの評価は得てるよ。商売の方も手ごたえは出てきた」

「個性的って、それは下手だってことを遠回しに言ってるのかもしれないぞ。なんといっても相手は侯爵家のご子息だ」

「マルデリン、お前までイェスパーのようなことを言い出すのか」

「本当に言われてるんだな」とヒルス。

 ニコライの言葉で場は和みそれからしばらく会話は続いた。

 フレアは四人の様子を傍で眺めていた。最初感じたぎこちなさもニコライの登場で和らいだように見える。そんな彼らのうちの誰かがカシロに害意を持っているようには見えなかった。

 しかし、それであっても胸騒ぎは消えない。フレアは今しばらく警戒を解かずに彼らの観察を続けることにした。

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