第2話

「こりゃぁ驚いた。まさか、持ち直すとはな」これがオ・ウィンが再び目覚めた時に最初に耳にした言葉だった。

 目を開けると、そこは汚れた水の中ではなく窓のない薄暗い部屋の中で、オ・ウィンはベッドに寝かされていた。少し身体を起こすと、すぐ傍に調理師と思しき男が腕を組んで立っているのが見て取れた。その背後に革鎧の男女が三人、さらにその後ろに彼らに隠れるように若い女の看護師がオ・ウィンの様子を見ている。

「ここはどこだ」オ・ウィンの発した問いに誰も答えようとはしなかった。

「それより、まずここにいる連中に礼の一つもしてやってくれないか。彼らは、あの汚れた水に浸かっていたあんたを引き上げここまで連れて来て、身体を綺麗に洗ってベッドに寝かせて、今までずっと面倒を見ていたんだ」調理師は後ろにいる者たちを手で示した。

「すまない……」状況が飲み込めないオ・ウィンはそれしか言うことができなかった。そして重要なことに気がついた。「俺だけなのか。他の奴等は傍に仲間がいたはずだ!」

 しばらくの間誰も口をきかなかった。沈黙の後、最初に口を開いたのは調理師だった。

「助かったのはあんただけだ。お仲間はどうにもならなかった。俺たちは彼らを知り合いの司祭に預けることしかできなかった。あんた達が何をするつもりだったかは知らないが、あんな恰好であそこに入って生きて出てこられたのはあんたが始めてだよ」男は言葉を切り、オ・ウィンを見つめた。「あそこは王宮の水使いが操る魔物の巣になっているんだ。生者の赴く場所ではないと言われている。王はあそこを気に入らない奴、逆らう奴を身分を問わず放り込んで、始末しているんだよ。御丁寧に出口に鉄格子まではめてな」彼は吐き捨てるように言った。 

 彼らが入って来たのは入り口ではなく出口だったのだ。


「作戦は最初から失敗するべくして失敗したんだ。情報収集、準備、装備、作戦行動、全てがまるでだめだったんだ。何が皇帝陛下の影、最強部隊だ」オ・ウィンはため息をついた。

 二人は駒鳥の像の傍のベンチに座っていた。事情を知らなければいうことをオ・ウィンの様子はお願いを聞いてもらえず悲しんでいる子供のように見えただろう。

「それに引き換え、彼らは慣れたものだったよ。彼らが毒袋と呼んでいたあの汚水の魔物の扱いも心得ていた。地下は反体制派を取り締まる王宮親衛隊もあれを恐れて立ち入らない。彼らはそれを逆手にとって通路として利用していたんだ。俺たちを見つけたのも、彼らが地下を使って物資の搬送中のできことだったらしい。俺が生きていたことに心底驚いていたよ。俺が生きていたのはユウナギのおかげだ。俺は簡単には死なないし、死ねないんだ」オ・ウィンは服の袖を捲り上げ腕に付いているユウナギとの契約の証エヴリーに指し示した。

「その地下の人たちが抵抗組織ヴォルパ・ロサだったんですか?」

「さっきの年寄りの話からするとそうなんだろう。だが、当時俺はその名前は知らなかった、彼らもその名を口にする事はなかったよ」


 オ・ウィンは体調が無事回復したことにより彼は個室を与えられた。正確には個室に監禁されることとなった。オ・ウィンが彼らのいう王党派である証拠は見つからなかったが、地下水道に集団で武装して突入するなど正気の沙汰ではなく、その素性を明かさないとなれば簡単に解放されるはずもない。

 部屋は元は倉庫として使われていたのか、床には棚と思わしき脚の跡が多数残っている。ここも地下らしく窓はない。床にはマットが敷かれ簡易トイレも用意されている。食事も簡素だが日に二度運ばれてくる。思いのほか条件は悪くはない。当時の帝都の市街外部、今でいう新市街では拘束されていなくとも、これより酷い生活をしている者がいくらでもいたのだ。そうはいってもオ・ウィンはここに長居をするつもりはなかった。ここを抜けだし、この地に潜伏している帝国の協力者と接触し作戦を続行するつもりでいた。

 部屋が静かなため上階の様子は手に取るようにわかる。上階は無人ではなく時間帯により人の気配が大きく増減する。おそらく情報収集なども兼ねて上階は店舗などに利用しているのではないかとオ・ウィンは考えた。すぐにでも抜け出すことは可能と思われたが、無駄に騒ぎを起こすことはためらわれた。下手に敵を増やしたいはない。

 窓もなく時間に関しては推測の域を出ないが、二回の食事を目安として片方の後は上階からしばらく人の気配が消えることがわかった。オ・ウィンはそれが夜間であろうと推測し、その時を待つことにした。

 その日の夜と思われる食事からいくらも経たないうちに、上階が慌ただしくなってきた。喧嘩騒ぎならオ・ウィンの知ったことではない収まるまで放っておくのだが、どうやらそうではなさそうだ。壁に耳をあてると静寂の中で何らかの書類を高らかに読み上げるような男の声が聞こえてきた。喧嘩の前に口上を述べる奴はいないことはないが、それが書きつけられた紙を読む奴は少ない。

 おそらくやってきたのはこの地の警察組織、彼らは階下に下り、遅かれ早かれこの部屋にやってくるだろう。その時にここの連中がオ・ウィンをどう扱うかもわからない。彼は腹を決めてここから出ていくことにした。

「ユウナギ、出番だ」

 オ・ウィンの腕から刺青が剥がれ宙を舞い、次の瞬間大太刀へと姿を変えた。彼はそれが床に落ちる前に片手でつかみ取った。狭い部屋の中で刀を少し振り、感触を確かめてみた。問題はない。また上階が騒がしくなってきた。オ・ウィンはその物音にまぎれて監禁部屋の鍵を破壊した。

 扉を開けオ・ウィンが部屋から顔を出すと、すぐ傍に見張り役の男が立っていた。オ・ウィンはなぜ彼がそこにいるのか、その答えを見張りの男が出す前に当て身を食らわせ昏倒させた。彼は通路の端にいるもう一人の見張りに素早く詰め寄り、同じように昏倒させた。そして、物音が立たないように静かにその場に寝かせた。辺りを速やかに調べると、ここはさっきまでいた監禁部屋とこの前まで寝かされていた部屋しかない袋小路となっていることが分かった。出口は見張りの男が傍に転がっている扉しかなく、ひと騒ぎは避けられないようだ。

 扉の鍵は転がっている男が持っていた。静かに鍵を開け、進み出た先は薄暗く短い通路だった。さらに進むとそこは大広間となっており、オ・ウィンは二つの集団からなる二十人ほどの男女が緊張感を持って対峙しているところに出くわした。一つは見知った顔もいる平服と革鎧の集団、それともう一つは厳めしい黒い制服の武装集団、さっきから大仰な口上を上げていたのはこの連中なのだろうとオ・ウィンは考えた。

 突然暗い通路の向こうから大太刀を手に現れたオ・ウィンの姿に彼らの視線が集中した。彼らの瞳に浮かぶのは驚き、困惑、不審、恐怖といったもの。

 武装集団の指揮官らしき男が闖入者オ・ウィンの捕縛の指示を出そうとした時、その眼前にオ・ウィンが現れた。その常識外れの素早さはユウナギとオ・ウィンの努力の賜物。男の上着から勲章や飾り紐が弾け飛び、彼は操り糸が切れた人形のようにその場にくずおれた。それからは何かが叩きつけられる鈍い音がするたびに、黒服の男達が膝をつき、腰を折りその場に倒れいった。仲間が一人また一人と倒れても、オ・ウィンの常軌を逸した速度の動きを捕らえられない黒服達になすすべはない。それは無理もない彼の動きを小細工なしで捕らえることができるのは、塔のメイドと呼ばれているフレアが現れるまでいなかったのだ。

 黒服全員が上質な板張りの床に転がってようやくオ・ウィンはその動きを止めた。ユウナギは静かに刺青に戻った。

「何者だ、こいつらは?」オ・ウィンは足元に転がる黒服を指差した。

「王宮親衛隊……の連中だ。殺ったのか?」

 言葉を少し詰まらせつつ答えた男はオ・ウィンが目を覚ました時にいた三人の中の一人だった。

「峰打ちで寝てるだけだ。まぁ、骨の一、二本ぐらいは折れているかもしれないな」床で転んでいる男達はよだれを垂らしている者はいるが、血を流している者はいない。

 男はうつ伏せで倒れている指揮官の元まで歩き、まるで汚物を扱うように足を使って指揮官をひっくり返した。だらしなくよだれを垂らし白目をむいている。男は指揮官の首筋に手を当て脈を確認する。

「そのようだな」男は少し遠巻きに並んで様子を見ている仲間達に眼をやった。「こいつらは壁際に片付けておこう。ここは引き払う準備を始めてくれ。こいつらが帰ってこないとなればすぐ援軍が駆けつけてくるぞ」

 その言葉に男の仲間たちは速やかに動き出した。有事の取り決めは行き届いているようで誰も戸惑うことなく作業を進めていく。

「あんた達が俗にいう抵抗組織なのか?」オ・ウィンはまだそばにいた男に尋ねてみた。

「……まぁ、そういうところだ。で、あんたは何者だ?まだ聞いてなかったな」

「俺は……」オ・ウィンは腹をくくった。ここでこれ以上の騒ぎは起こせない。「多くは話せないが、事情あってあんた達の王様を討ちに来た」

「ほぉ、そりゃぁ願ったりかなったりだが、簡単なことじゃないのはわかってるよな」

「それはわかっている。いきなりで悪いが、手伝ってもらえないか?」


 エヴリーは思わず噴き出した。

「大胆なことをいいましたね。行き当たりばったりもいいところ」

「仕方ないだろう。こっそり抜け出すつもりが大立ち回りをやらかした。無理して抜け出して彼らまで敵に回すわけにいかない。何より彼らには地下水路を移動する術を知っていた」オ・ウィンは小さな手を轆轤を回すようにバタバタと動かした。

「まぁ、うまくいって良かったですね」

「まだ、何も話してないぞ」

「とにかく、隊長はその後駒鳥と会うことができた。彼がどのような人物であったとしてもです。そして王は無事討たれ、おかげで隊長は帰還することができて、今ここにいる。ということは、ヴォルパ・ロサ、彼らの協力は得ることができた」

「面白くない奴だな、おまえは」

「小さい頃からそういわれてます」

「確かに結果的にはそうなるんだが、大変だったんだぞ」

「そういえば、隊長が倒した見張りはどうなったんですか?それと地下施設というのはどんな感じでしたか?」

「お前の関心はそこか。見張りの二人はすぐに起き上がってきたから謝っておいた。施設は昔は闇賭博場だったらしい。りっぱなものだったよ。地下に詳しい連中だったからな仲間がそこを見つけて地上階の食堂ごと買い取ってアジトとして使っていたらしい。あの時までな」


 手慣れたもので、彼らは地下水路に浮かべた平底の小舟に荷物を速やかに積み込み、撤収作業を完了させた。当初より彼らはオ・ウィンをリーダーの元に連行する予定だったらしく、問題なく彼らに同行することを許された。ただし逃亡、反抗防止用の首輪を装着されてのことだった。「この中には毒袋が作る毒が入ってる。これは俺の命令か、俺が死ぬかどちらかで破裂する。それがどういうことか、あんたならわかってるよな」それがオ・ウィンに対する首輪についての説明だった。

 窮屈で暑苦しい防護服を着て、汚水内を行進した末に到着したのは忘れられた地下礼拝堂、納骨堂をアジトに転用した施設だった。知り合いに聖職者がいて当然である。オ・ウィンは改めて、湿っぽくカビ臭い鉄格子の中に閉じ込められることとなり、そこでリーダーの来訪を待つこととなった。

 そして、半日ほど経ったであろう頃。

「久しぶりだな、駒鳥。あんたの申し出は聞かせてもらった」

 鉄格子の向こう側に現れたのは最初にあったあの調理師だった。首輪の男とあと数人も傍にいた。


「駒鳥って隊長のことだったんですか」エヴリーは冷めた目で筋骨隆々の石像と隣で足をブラつかして座るオ・ウィンを見比べた。

「いちいち話しの腰を折るんじゃない。俺だって、この二百五十年ずっとこのガキのなりをして生きて来たわけじゃない。あんな時期もあったんだ」そう言いながらオ・ウィンは目の前にある石像を指差した。

「すみません。でも、なぜ駒鳥なんですか?」

「神の力により不死身となった男の名前、渾名らしい。伝説上の話らしいがな、俺が名乗らないから勝手に名をつけられた」


 オ・ウィンは調理師の言葉の続きを待ったが、彼はしばらく黙り込んでいた。黙り込んだまま対峙する二人に他の者が戸惑い始めた頃、調理師がようやく口を開いた。

「結論からいうと、あんたの手伝いはできない。突然現れた素性もわからない奴の指示に従うなんでことはできないというのがとりあえずの総意だ」

「そうか……」オ・ウィンはため息をついた。

「しかしだ、あんたはかなり腕が立つそうだな。助っ人としてなら使ってやろう。あんたが暴れたおかげで、俺たちへの締め付けがさらに厳しくなってきた。親衛隊が白目をむいて街中を運ばれて、奴らのメンツは丸つぶれだ。今は躍起になって圧力をかけていている。腕の立つ奴は多い方に越したことはない。死ぬ気で働いてもらいたい」

「死ぬ気はさらさらないが、今までのただ飯の分は十分働かせてもらう」

「いいだろう、それならまず、あんたの知っていることを話してくれないか」

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