第3話

「それで、そのサークレットのことで何かわかったことはあるの?」


「いいえ、今日はそれどことじゃありませんでした」フレアはため息をついた。


 陽が沈みローズは着替えを済ませ、食事を終え、血液の保存パックも片づけられくつろぎの時間となっている。そしてローズはお気に入りの椅子で新聞を読んでいる。


「新聞には今回の騒ぎを事件、事故の両面から検討する必要があり、その証拠の保全を考え、工作所を営業停止とし、明日家宅捜索が入ると書いてあるわね」


「わたしもその記事を読んで、工作所の様子を見に行ったんですが警備隊に囲まれてて、近づけませんでした。昨日までは何もしなかったのに」


「あのお二人はどんな様子?」


「工作所に人気がないので連絡をしてみたところ、ハンセン、ベック様や他の方もお住まいに警備隊の監視がつけられて外出もままならず軟禁状態となっています」


「あらあら、念の入ったことね。まぁ、今回の騒ぎのことを考えるとしかたないかもしれにけれど……」


「そうですか?……、少しおかしくないですか。明らかにやり過ぎですよ。そう思いませんか。それもなぜか一日遅れの今になって」


 思わず熱くなったフレアだが、彼女が気がつくと既にローズの姿はなかった。


「ローズ様?」


 さっきまで読んでいた新聞は二つに折られてテーブルに置かれていた。その隣には、地下に籠ります。あなたはこの本の翻訳を進めておきなさいというメモと共にゴトウから借りた本が置かれていた。




 昼間は馬車が行きかう大通りも、夜が更けるにつれ人通りが絶え闇に包まれる。昼間ハンセン・ベック魔導工作所に配置されていた警備隊士も今は撤収となり、店先は無人となった。


 そこに近づく人影が二つ、それは正面玄関の施錠を確かめると長居することなく、工作所裏口へと移動していった。裏手の入り口の鍵を手早く解錠した影は二つとも工作所内に侵入していった。


 影達は侵入後持ってきたランタンに火を灯した。淡い光に照らし出されたのは黒髪短髪の女と小太りの男、二人は迷うことなくハンセンの私室へと繋がる階段に向かいそれを登って行った。


 施錠されていないハンセンの部屋に入った女は肩から提げていた鞄から深緑色のサークレットを取り出し、男を偽物が入っている引き出しへと案内した。


「それはそのまま持って帰ってくださいな」二人の耳に落ち着いた女の声が聞こえた。男女は慌てて周囲を見回すが誰もいない部屋にいるのは自分たちだけだ。「それをあなたが以前に置いていった偽物と入れ替えて、この店にあなた方の罪を被せるつもりですか?家宅捜索の際にそれが見つかるようにして……。プレスト・リソ医療品販売社長秘書シライ・シクサさんとお付きの方ですね」シクサと呼ばれた女は声の主を求め部屋の中で視線を巡らせ、男は腰に収めていた短剣を取り出した。


「ここですよ」言葉と共に机の傍に青白い肌と赤い瞳を持つ黒髪の女が現れた。「警備隊と新聞を使って餌を撒いたら見事に食いついてくれましたね。探す手間が省けましたよ。こんばんは、アクシール・ローズです。お見知りおきを……手に持っている物はしまってください。夜は短いですからね。のんびりとしてはいられませんよ」


 ローズの言葉に応じてシクサはサークレットを鞄へ、男は短剣を腰の鞘におさめた。


「後はわたしをあなた方の主人の元へ案内してください。大急ぎでね」ローズは両手を打ち鳴らした。パン、パン、パン。


 二人はそれを合図に猛然と夜の旧市街へ走り出した。


 


 旧市街港にほど近い倉庫街、その一角にあるプレスト・リソ医療品販売、そこに駆け込んで来た男女を始めに目にしたのは、社屋内で待機していた社員の一人だった。仲間の男女が屋内に飛び込んでくるなり床に倒れるのを目にして、大慌てで社長を呼ぶこととなった。


「シライとパブロが帰ってきたか。うまくいったのか」


 社長と呼ばわる声に現れたのは白髪で痩せぎすの中年男。彼は汗まみれで息も絶え絶えに床に転がる二人の男女を見て絶句した。


「こんばんは、おじゃまします」


 建物内に女の声が響く。それと同時に正面の大扉が誰の助けもなく開き始めた。




 ローズは秘書のシクサとお付きの男が駆けこんでいった倉庫の扉を開け入っていった。


 入り口から入ってすぐの床に男女二人が身体を震わせ横たわっている。その後ろに呆然として立っているのは白髪頭の男と部下らしき男が三人。


 建物は倉庫としてはそれ程大きくはない。戸口の傍には配達用の荷車と馬車や工具、他の備品が並び、使い込まれた木箱が所狭しと並んでいる。事務所は奥にあるのだろうが、ローズはそこまでいく必要はないようだ。


「お初にお目にかかります。わたしはアクシール・ローズ」男達全員の顔が強張る。「あなたが社長のサカン・ヒオーセさんですね。お初にお目にかかります」ローズは白髪頭の男にほほ笑みかけた。


「そこのあなたと隣のあなた、お願いします」


 ローズが並べられている木箱を指差した。二人の男が頷き工具置き場に走り、そこから巨大なくぎ抜きとハンマーを取り出してきた。彼らはそれを使い、渾身の力を込めて並んでいる木箱の破壊を始めた。壊れた木箱から布袋が大量に転がり出てくる。彼らはその布袋を引き裂き、中身を床に撒き散らす。彼らはそれを繰り返し、倉庫の通路は真新しいマスクで満たされていく。


「あれが自慢のマスクですか。今回の事件、動機に関しては少し楽しみにしていたんですよ。貴族同士のドロドロの権力争いや骨肉のお家騒動とかね。でも蓋を開けてみるとがっかりです。ただの金の問題です。そうなんでしょ?自分のインチキ商売を邪魔する公爵様の活動を力ずくで封じるため。それだけ、つまらない」


「あいつらを止めろ。やめさせてくれ」

 金づるが汚れて消えているの目の当たりにし、ヒオーセはローズの言葉に耳を傾ける余裕はないようだ。脚も動かなくなっている。

「コバヤシの鉄巨人を使い貴族を殺そうなんて、その手口の斬新さと大胆さは評価しましょう。しかし、その特殊性ゆえに足がついてしまいましたね。もっと巨人について学ぶべきでした」


「頼む、やめさせてくれ」


「誰が巨人でアイオミ公爵を狙ったのか?今回は後ろ隠れて見させてもらいました。あの娘たちは偽物のサークレットから犯人を手繰ろうとしたようですが、それには及びません。犯行は巨人を扱える者にしかできないんです。あの場にいた人たちは爵位や卿を付けて呼び合う身分の人たちばかり、剣や魔法の腕は確かでもコバヤシの機械なんて扱う立場でもないし力もない。例外はハンセン、ベックさん、技師や整備工の皆さん、そしてあなたたちお二人。巨人を操ったのは秘書さんですね。彼女はおそらく砂漠の警備隊出征経験者ですね。あの肌の色は砂漠の強い日差しで焼けたため。サークレットはターバンで隠せば見つからない。この辺りじゃターバンなんて珍しくもなんともない。誰も気にしない。今夜、餌に食いついてくれなかったら……」ローズは床に横たわっているシクサを指差した。「そこのお嬢さんの経歴を調べさせようと思ってたんですが、手間が省けました。あの娘ときたら、事件の調査にハンセン・ベックのお二人まで巻き込んでどうしたものかと思ってたところでしたから」


「金なら欲しいだけやる、やめさせてくれ」


「もちろん、お金は頂いていきます。この件ではわたしも多大な出費を強いられましたから当然対価は頂いて帰ります。これをよい教訓として以後素直に生きていってください」ローズは満面の笑みを浮かべた。


「あぁ、わすれるところだったわ。そこのあなた」ローズは床にまかれたマスクの上でダンスを踊っている男に声を掛けた。男が頷く。「今から警備隊の方を呼んできてください。会社で乱闘騒ぎが起こって社長が大けがをして倒れていると通報してきてください。今にも死にそうだと」


「何をする気だ?」ヒオーセは逃げようとするが、やはり足が床に根付いたように動かすことができない


「わたしは何もしませんよ。わたしはね」


 倒れていたシクサが立ち上がり、ゆっくりとヒオーセの元に歩いてくる。手に予備のアン・ピロタを握り締め、眼に憎悪をたぎらせ近づいてくる。深緑のサークレットを握り締める手は力に満ちていた。




 陽が落ちて、ローズが現れ夜が始まる。ローズが読む新聞の一面には「アイオミ公爵効果のない疑似医療品に苦言」「帝国議会虚偽の効用を謳う製品に罰則規定検討へ」などの見出しが躍っている。


「わたしはどうにもマスクの連中が仲間割れで自滅したっていうのは納得できないんですよね」フレアは今の課題となっている翻訳の手を止めて呟いた。


 書き物机の上にはコバヤシ語辞典、紙束やインク壺そしてゴトウから借りた「黄金の日々」が並んでいる。


「社長がお金の持ち逃げを企て、それがばれて秘書と社員たちの怒りが爆発、社長を滅多打ちにして瀕死の重傷を負わせ、さらに勢いに任せて商品を台無しに、それを外出から帰ってきた社員が目にして通報、罪を悔いたか、逃れようとしたのか実行犯の女がお恐れながらと全てを警備隊にぶちまける。つまらない小悪党達のやりそうなことよ、何かおかしいの?」


「いくら痩せてる中年男でも一方的に殴られっぱなしはあるんでしょうか。手下が暴れたのも怒りから暴走?何か変ですよ」


「彼の秘書、新聞報道によると辺境警備隊経験者ね。そこで鉄巨人の操縦を覚えたとか、それなりの戦闘訓練も受けて普通の中年男より腕もたつはずよ?そう思わない?」


「そうでしょうか」


「あの社長もいずれ犯行がばれるのはわかっていたでしょうから、一人で逃げるつもりでいたのよ。それが先に部下にばれた。自分達に全て押し付けられちゃキレるでしょ。それだけよ。帝都もそれで納得しているようだし、気にしない、気にしない」


「ふーん、ところでローズ様、気になることがもう一つあるんです」


「何かしら?」


「今回、姿を消してわたしの後ろに付いて見ていたってことはありませんよね」フレアは巨人から情報を抜き取った後の妙な気配のことが気になっていた。あの時はあまりに事がうまく進み過ぎていた。


「わたしがここ数日ずっと地下に籠っていたことは知っているでしょ?」


「知ってますが、地下でずっと何をしていたんですか?」


「それは……」それは考えてはいなかった。「そんなことより早く翻訳を終わらせなさい。その本は今度ゴトウ様が見えた時にはお返ししないといけないのよ」


「わかりました」


 今回はフレアとしてはローズの力を借りることなく、自分で事を解決する。それを目標としていたが、結局は彼女の手の中で踊らされ、導かれていただけなのではないかとか感じていた。


 フレアがもう一言発する前にローズは姿を消していた。それでもうフレアとして何も気にしないことにした。


 フレアは再びコバヤシ語との格闘を始めた。


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