王たちの機械
谷口 由紀
第1話 砂嵐の彼方
眼を開いて、砂嵐の彼方を見るんだ。
そうすれば、きっと見えるはず。
生命なき大地より生じ、
低く厚く立ちこめる雲を貫く、
あの歪んだ塔……『脊柱』が。
だから、眼を見開け。
――私よ。
自分を奮い立たせる言葉を、いつからか探していた。
砂塵を含んだ風が頬を吹き過ぎる。まるで顔の皮膚を削っていくかのようだ。つい閉じそうになる瞼を開き続けるために、なにか言葉が欲しかった。意思だけではだめだ。心のなかにゆらめく形のないものを、たしかな構造にしてくれるものが、いる。
この砂嵐のなか、そうでなければ、『脊柱』を見失ってしまう。
(見失ったが最後。私はきっと、「機械」たちの餌食となるだろう)
背負っている対甲銃の重みを、あらためて意識する。使い慣れた銃だ。自分自身の、非力な腕に、たしかな力をあたえてくれるもの。
すでに集落を離れて数時間ほどもたつ。
ここまでは、地図とコンパスさえあれば、あるていどは安全に近づくことができる。
だが、ここからは違う。
『脊柱』とその周辺は、『機械』たちの領域なのだ。
『脊柱』。それは、この世界において、天と地をつなぐ塔のたとえだ。
その外見を、このうえなく的確に捉えた言葉だと、ユウリは思っている。
ゆるやかな湾曲を描きつつ雲のかなたに伸びていき、階層ごとに、空中に張り出すようなバルコニーが設けてある。ふしぎな造りだ。
『脊柱』を初めて目の当たりにしたときの気持ちを、ユウリは今でも思い出せた。
──不可解だ、と思った。
仮に、集落に住まう石工の老人達がおなじものを作ったとしても、その不自然なかたちゆえに、おそらくは自重に負けて、すぐに折れて崩れてしまうだろう。
そんな不可解なものが、当たり前のように立っている。
うねりの多い地形を、這うように進んでいく。風と砂塵に負けぬよう、身体をひくく構える。風を受けてばたばたと暴れる外套を、強くかき抱きながら。防塵眼鏡があれば良かったが、近頃は他の街でもよいガラス材が手に入らないという。
(……あれは)
領域に踏み込んで数十分ほども歩いたところで、ユウリは転々と散らばる何かを見つけた。
それがなにかを、ユウリはもう知っていた。これまでに何度か、おなじものを目の当たりにしたことがある。
人間の骸だ。
(…………)
死者たちのもとへ赴くと、ほとんどの者たちが、なにかを大事に抱えている様子が分かる。
胸の前に散らばり、いまにも砂塵に埋もれつつあるもの。それは、貨幣だった。
きらきらと輝き、どんな職人でも決して
ユウリは骸を子細に調べる。まとっている衣服はまだ新しい。だが。
「……また、崩れている」
身体の各所が、まるで張力を失ったかのように、崩れ、こぼれ落ちていた。決して腐敗によるものではない。このあたりに吹く乾いた風の中では、肉体は容易に腐らないことをユウリはよく知っていた。
そう。それはまさに、ひとがひとの形を失ったかのように、崩れているのだ。
他の者たちはどうか、と、ユウリは点在する遺骸を調べて回る。だが、すべては同様だった。貴重な貨幣を抱いたまま、まるで力尽きたかのように倒れている。いずれ風と時が過ぎていけば、人間の身体は滅していく。その傍らで、ただ貨幣だけが真新しい輝きを保ち続ける。
ユウリは短く祈りの言葉を捧げ、その地を離れようとした。
そのとき、より『脊柱』に近い彼方の砂丘に、何か人影のようなものが立っているのを認めた。
(──だれか、ここにいるのか?)
死者たちは、もとより死者として生まれたわけではない。生者が、ここで死ぬのだ。ユウリは走った。もしかしたら……ここで失われる誰かの命を守れるかもしれない。だから、一心に走る。砂地に脚を取られて、転倒しそうになりながら。だが、警戒心だけは心から飛ばしてしまってはいけない。背負っていた銃を下ろして、脇に抱えるようにして構える。
近づいていくと、そこにいる何者かの姿がだんだんと明らかになっていく。
背の高い、細身の姿だ。風を受けて、かの者の鮮赤色の外套が激しくはためいている。まるで、あかあかと燃える、地上の炎のようだ。
この強風のなかで、揺らぐことなくすらりと立つその姿に、ユウリは違和感を覚える。しかし、もはや足を止めるわけにはいかない。かの者も、既にユウリに気づいているようだった。
距離、およそ十メートル。
ユウリとその者は対峙した。
まだ、遠い。
銃を構えたまま、じりじりと距離を詰めていく。
初弾は装填済み。相手から眼を離さぬまま、安全装置を解除する。
引き金に指を掛けるかどうかは、相手の出方次第だ。
ユウリが全身で示している警戒心を、かの者はとがめる様子もない。
やがて、お互いの姿を正確に認められる距離に至る。
ユウリは、訊いた。
「何を……している」
その言葉を受けて、外套をまとった者は、まるで声高く告げるかのように言った。
「取引をしていたのよ。ここにいる彼と」と、足下の何かを指さす。その声は、まるで水辺の花のように、みずみずしく華やかだ。吹き抜ける風の音にも負けぬしなやかな響きが、ここではひどく場違いに聞こえた。
だが、その言葉が意味することには、はっきりと不快感を覚えた。
(取引、だと)
それがどのようなものであるかは、ユウリは知らなかった。しかし、辺りに散らばる骸たちを見れば、分かることもある。
「奴ら」は、奪ってはならないものを奪っている。
視線をわずかに落として、外套の者の足下を窺う。言葉通りに人が倒れている。
やや小柄な人物だ。身動きはしていないが、生死のほどは分からない。生きていてほしいと思う。
真実を知りたければ、目の前に立つ者を退ける必要があった。
「貴様は『機械』か」ユウリは問うた。
眼前の者は「そうよ」と答えながら、外套の頭巾を払った。
黄金色に輝く長髪がこぼれ出て、風を受けて激しく踊る。
はじめて見るその相貌は、女性のようだった。
「……人間? いや、違う」
子細に観察すると、どこか透き通るような肌の奥に、これまでに何度も目にした、『機械』の実体がちらつくように見える。陶器のようにすべらかな、そして甲冑のように無骨な、人形の、人ならざるもの。
「なぜ、そのような姿を身にまとっている?」
ユウリがそう訊くと、機械はこう答えた。
「……美しいでしょう? 私がいま晒しているこの肌。これは、彼から譲り受けたものなの」
と、笑みを浮かべつつ、足下にうずくまる者を指さした。
姿を、譲り受ける。
どのような手法によるものか、それを解明することも必要だろう。
だが、それは今でなくてもいい。
ただ、不快だ。
「……それ以上、喋るな」
心の中にわき上がる苛立ちを、もはや押さえる術はひとつしかなかった。
ユウリは素早く銃の照準を定める。
射抜くべきは、あの者の胸。薬室内に装填された撤甲弾は、この距離ならば確実に「機械」の装甲を貫くはず──。
しかし、目前の者は、このとき初めて微笑を捨て、やや硬い面持ちを作った。
「……私を撃ったならば、この人の望みもまた潰えるわ」
「望み、か。命と引き替えにするような大望が彼にあったとしても、それを馬鹿正直に叶えてやるような者は、すくなくとも善良ではない」
望みを叶えるために、とりかえしのつかない代償を必要とする。それは悪魔のやりくちだ。
それに……と、ユウリは思った。
(悪魔に助力を求める者も、その心根は同じだ)
機械たちに足下を見られて朽ちていくのだとしたら、その者の誇りはどこに消え失せてしまうのだろうか? それは決して手放してはいけないものだ。
だが、『機械』はそんな思考を見透かしたかのように、まるで哀れむような笑みさえも浮かべていた。
「……嫌な目をするのはおやめなさい、お嬢さん。あなたには彼や、ここに倒れる者たちを嗤う資格はないわ。命を差し出さなければ得られないようなもの、そういうものを欲せざるをえないひとは、つまるところ、あなたたちの社会では救われることのないひとなのだから。……あなたもじきに分かるわ」
「人殺しの説法か」
「私たちにとっては、あなた達が差し出せる唯一の価値、それを頂くだけのことよ」
「そうやって人間の外見を奪い、殺すことが『価値』か」
話せば話すほどに、心の芯が冷えていくように感じる。おそらく、分かり合えるのは「相容れない」という事実のみ。
「命を奪うのではないわ。『人を人の容にあらしめるもの』、それを頂くの」
「それは何だ」
ひと呼吸ほどの間をおいて、『機械』は答えた。
「それは、精神」
その言葉とともに、彼女は艶やかに微笑んだ。
まるでその言葉が、かけがえもなく貴いものを示すかのように。
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