ザリガニ釣りをしよう!
「忠宏兄ちゃん! 朝だよ!」
身体を揺さぶられ、暗闇の中にいた意識が徐々に持ち上がる。
重い瞼を開けてみると、目の前には黒髪をポニーテールに纏めた七海がいる。
「ん? 七海?」
「そうだよ。七海だよ。ほら、忠宏兄ちゃん起きて! 朝ご飯!」
俺が仰向けになりながらボーっとしていると、七海が元気よくそう言ってタオルケットを剥ぎ取った。
その表情はとても無邪気なもので、昨日の二時間にも及ぶ散歩の疲れなど全く見えていない。
それに比べて、俺は少し身体が重い。これが子供と大人の回復力の違いか。
しかし、タオルケットを剥ぎ取られたくらいで観念する俺ではない。
まだ眠いので抵抗するように丸くなる。
「あー! ダンゴムシになった!」
七海が俺を起こそうと揺すってくるが、眠気の中を揺蕩っている俺からすれば、それは心地良い揺れでしかない。
再び意識を暗闇に沈めようとすると、脇にスルリと手が入り込んできた。
「えーい、こしょこよこしょー!」
「わっ、わはははは! やめてくれ!」
七海が可愛らしい声を上げながらも、無慈悲にくすぐりを繰り出す。
これが同級生などであれば、蹴飛ばしたりするところであるが七海にそんなことができるはずもない。
せめてもの抵抗とばかりに身体をよじるが、七海はがっちりと抱き着いてきてくすぐり攻撃を繰り出してきた。
「ちゃんと起きる気になった?」
「起きる! 起きるから!」
俺が観念するように言うと、七海は満足げな表情をしながら離れて、脇から手を抜いてくれた。
その油断したタイミングを見計らって、俺は即座に剥ぎ取られたタオルケットを回収。自分の身体に巻き付けるようにして、防御を固めた。
「あー! 忠宏兄ちゃん! 嘘ついた!」
「ふふふ、すぐに人を信用するからそうなるのさ」
やはり七海もまだまだ子供。ツメが甘いな。
「こうなったら、もう一回……っ!」
七海がもう一度くすぐり攻撃を繰り出すが、俺の身体はタオルケットで包まれているので効きはしない。
「むー! くすぐれない!」
「フフフ、七海にタオルケット防御は突破できないさ。母さんに俺は朝ご飯は後で食べると言っておいてくれ」
「ダメだよ! 朝ご飯は皆で食べるものって、おばさんも言ってたんだから!」
そう言って瞼を閉じると七海がポカポカと身体を叩いてくる。
しかし、少女の拳など俺からすれば心地良いマッサージ程度にしか感じないな。
「七海も甘いわね。起こすならもっと容赦なくしないと」
確かな勝利を感じていると、不意に母さんの声らしいものが響いてきた。
目を開けようとすると、不意に頭の下に敷いていた枕がすっぽ抜ける。
それにより支えを失った頭部が布団に落ちた。
「ぐはっ!」
痛くはないけど目が覚める程の衝撃。
目を開けて状況を確かめようとすると、下にあった布団がスッと抜かれてしまう。
自分の下にあるのはもはや畳だけだ。
「すごい、おばさん! テーブルクロスだけ引き抜く奴みたい!」
「ふふん、長年の経験を積むとこれくらいできるようになるものよ」
やっぱり母さんの仕業か。
多分、枕だけを蹴り抜き、俺が驚いて隙に布団だけを抜き取ったのであろう。
ダルマ落としとテーブルクロス引きをやられたような感覚だ。
昔、起きるのを渋ってよくやられていたな。まさか、またやられるとは思ってもいなかった。
「七海カーテンを開けて!」
「うん!」
母さんの指示が飛ぶと、カーテンが開いて外から眩しい光が入ってくる。
「……光が眩しい」
「ほら、朝ご飯できたからリビングに降りるわよ」
さすがにこんな状態で二度寝をするつもりにもなれず、俺は素直に起き上がって母さんと七海についていくのであった。
◆
「ザリガニ釣りに行きたい!」
朝ごはんを食べ終わって、リビングでだらだらとテレビを見ていると、七海が急にそんなことを言い出した。
「ああ、昨日言っていたやつ?」
「うん!」
確かめるように尋ねると、七海は実にいい笑顔で頷いた。
確かに今度行こうとは言っていたけど、翌日にやりたいと言い出すとは予想外だ。さすがは子供、行動が早くてアグレッシブだ。
とはいえ、こちらは無職。別に急に言われたからと言って困るなどということは全くない。仕事の予定など皆無なのだから。
「いいよ。それじゃあ、ザリガニを釣りに行くか」
「やったー!」
俺がそう言うと、七海が嬉しそうな声を上げる。
本当はまだ昨日の疲れが残っていて、今日は家でゆっくりしていたかったのだが、七海の喜ぶ顔を見るとそんな気持ちは吹き飛んだ。
どちらにせよ、ザリガニ釣りなら大して体力も消費しないだろうしな。
外に出るとなると水筒の用意だ。昨日は油断して痛い目にあったからな。
大人の俺はともかく七海を熱中症なんかさせられない。
俺は台所から保冷効果のある水筒を二つ取り出す。
「それじゃあ、飲み物の用意だな! ここに水筒があるから、七海は氷とお茶を入れておいてくれ」
「わかった!」
指示すると、七海は水筒を軽く水で洗って準備を始める。
その間に俺は、昔に使っていたザリガニ釣りの竿を探しに自分の部屋へ。
記憶の中にある場所は押し入れの奥だ。しかし、そこには雑多な収納箱や冬用の布団などがあるだけで竿は見つからない。
「あれ? ここに入れておいた気がするんだけどな?」
一通り調べ終わって、俺は首を傾げる。
念のために自分の部屋を探してみるが、竿らしいものは見つからない。
昔の記憶なので勘違いしている可能性もあるが、俺は確かにここに置いていた気がするんだけどなぁ。
「さっきからゴソゴソして何探してるの?」
部屋の中にある物を引っ張り出しながら探していると、母さんが様子を見にきた。
「昔使っていたザリガニ釣りの竿を探しているんだけど、母さんもしかして捨てた?」
「ああ、あのプラスチックの竿ね。あれなら父さんが使って、自分の部屋にしまい込んでいたわよ」
「……父さん、なにしてんだよ」
まさか俺の竿を持ち出して遊んでいるとは思わなかった。あの年でザリガニ釣りって……まあ、俺も今から遊ぶし人のこと言えないけど。
呆れながらも母さんについていって、父さんの和室に入る。
そして、同じように押し入れ部分を開けると、そこには懐かしいプラスチックの竿が入っていた。
「置いておく場所も同じなのは親子故かしら?」
「……なんだか嬉しくない」
習性が同じみたいでちょっと嫌だ。
「それにやましい雑誌を隠す場所も同じなのよね。押し入れの収納箱の底とか、収納カバーの裏とか――」
「うわあああああ! 勝手に探すなよ!」
心当たりのある物と場所が看破されて、俺は恥ずかしさのあまり遮るように声を上げる。
まさか昔からあるコレクションが全て母さんにバレているとは……絶望だ。
「片付けをしていたら出てきたのよ。所持するなまでとは言わないけど、今は七海ちゃんも住んでいるんだからもっと目のつかない所に置いておきなさいよ?」
母さんはどこか理解のある声音で優しく言うと、父さんの部屋から立ち去った。
ザリガニ釣りの竿が見つかったのは良かったけど、大事な何かを失った気分であった。
もう、雑誌は全部捨てて、電子に移行しようかな……
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