5.逆らえなくて

 ビシッと伸ばした人差し指の先に、私の持ち物を隠した犯人が──!


「ひにゃあぁぁぁ! ど、どうしてこの場所がバレたんですにゃ!? ぼ、ぼくは命令されただけですにゃ! いじめにゃいで下さいにゃー!!」


 ……いや、それは人ではなかった。

 真っ白な体毛に包まれ、くりっとした青い目を持つその生き物は──人語を話す二足歩行の猫妖精、ケット・シーだったのだ。

 教科書を放り出して頭を抱え丸まっているケット・シーは、私に追い詰められて酷く怯えている。


「い、いじめませんわよ! ですから、とりあえず私の話をお聞きなさい!」

「ほ、ほんとにいじめにゃいですにゃ……?」

「本当にいじめません! 私だって、まさかケット・シーが犯人……いえ、犯猫? だったなんて思いもしていなかったから、戸惑っている真っ最中なんですもの!」


 もふもふの猫手の隙間から顔を覗かせ、私を見上げるケット・シー。

 私は可愛らしい外見をした生き物に危害を加えるような人間ではない。

 なるべくこの子を怖がらせないようにしつつ、私への嫌がらせを命じた人物が誰なのか、口を開かせてやらなければ……。

 私は目線を低くするようにして屈み、穏やかな声色を意識して語り掛けた。


「……まずは、貴方のお名前を聞かせて下さる?」


 すると、少しだけ警戒心が薄れてくれたらしい。

 ケット・シーはおずおずとしながらも、ちょっぴり声を震わせながら答えてくれた。


「ぼ、ぼくはニャータですにゃ……」

「ニャータね。答えてくれてありがとう。もう一つ聞きたい事があるのだけれど……貴方に私の教科書を隠すように命じたのは誰か、教えてくれませんこと?」

「にゃ……そ、それは言えにゃいですにゃ!」

「私、自分の教科書やペンが突然無くなってしまって、とっても困っているんですの。優しくて良い子のニャータは、私が可哀想だとは思いませんの……?」


 実際は、微塵も困ってなどいないのだけれど……。

 見るからに素直そうなこの子なら、命令に対して罪悪感を持っているのではないかと予想し、思い切って揺さぶりをかけてみた。

 それに加えて今にも泣き出しそうな顔をしてやれば、ニャータはその場であわあわしだしたではないか。

 ちょろい! ちょろすぎですわよニャータ!


「あにゃにゃっ!? にゃかにゃいで下さいですにゃ! ごめんにゃさいですにゃー!」


 まんまと作戦通りの反応をしてくれるニャータに対し、逆に罪悪感が芽生えてしまう。

 私の方こそ謝るべきなのだろうけれど、この子に指示を出した諸悪の根源を叩かなければ終わりませんものね。

 自分の心に鞭を打って泣き出す演技をフェードアウトさせ、私はニャータに励まされて、元気になったふりをする。


「ありがとうニャータ……」

「ぼくがご主人さまを止められにゃかったのが悪いんですにゃ! ぼくも心が痛かったんですにゃ……でも、使い魔のぼくは命令には逆らえにゃくて……」


 そう言って悲しそうな顔をする彼は、本当に心が綺麗な妖精なのだと痛感する。


「……あの、ぼくにこんにゃ命令をしたのは……サーニャさまにゃんですにゃ」

「サーニャ……?」


 そんな生徒、一組に居たかしら。


「あ、えっと、正確にはサーニャリアさまですにゃ! いつもはサーニャさまとお呼びしているので、ついうっかり……」


 サーニャリア……?

 もしかして、私と同じクラスのサーナリアという女生徒の事を言っているのかしら。

 これが正解だとしたら、ケット・シーは『な』の発音が『にゃ』になってしまう癖があるのかもしれにゃい。

 ……ああ! ずっとニャータの言葉を聞いていたせいで、にゃが移ってしまいましたわ!


「ええと……貴方のご主人はサーナリアという方ですの?」

「はいですにゃ! サーニャリアさまが、レティシアさんの持ち物をどこかに隠してしまえとぼくにご命令を……」


 何となくだけれど、その女の顔は覚えていた。

 教室の窓際で私やリアン達が固まっている反対側で、やけに沢山の女生徒に囲まれた金髪の少女──その子が確か、そんな名で呼ばれていたような気がする。

 やはり、一組の人間の仕業だったか。

 予想が的中したものの、同時に新たな疑問が浮かぶ。

 私は彼女と一度たりとも会話をした事が無いというのに、何故こんな嫌がらせをされているのだろう。

 ニャータという使い魔を持っているのだから、妖精と契約出来る実力のある者か、誰かからこの子を譲り受けたかのどちらかなのだろうが……。

 まあ、サーナリアが主犯だと分かっただけでも収穫だった。早く食堂へ向かわないとお昼が食べられなくなってしまうから、急いで皆の所へ行かなければ。


「本当の事を話してくれてありがとう、ニャータ。後で貴方のご主人としっかりお話をしてくるから、もしかしたらその時にまた会えるかもしれないですわね」

「にゃーん……サーニャさまに見付からにゃいように、ぼくが隠したものはこっそり元の場所に戻しておきますにゃ。酷いことして、ほんとにごめんにゃさいですにゃ……」

「きちんと謝ってくれたのですから、もう貴方には怒っていませんわ」


 俯くニャータの頭を撫で、私は雑木林を後にした。





「あー、やっと来たぁ! こっちこっち! 遅いから心配したんだぞー?」


 食堂に着くと、リアンさんが大きく手を振りながらそう言った。

 四人掛けのテーブルに、日替わりランチのプレートを持って席に着き、私は苦笑混じりに言葉を返す。


「お待たせしてしまってごめんなさい」


 三人の食事は手が付けられておらず、私が来るまで待っていたせいで、すっかり冷めてしまっている。


「先に食事をされていても良かったですのに……」

「そんなワケにはいかねぇだろ。アンタが居ないランチタイムは味気ねぇからな」

「そうそう! ほら、早くしないと昼休み終わっちゃいますよー? はい、いっただっきまーす!」

「ほらほら、レティシアも一緒に食べようぜ!」


 リアンさんもウィリアムさんも、そして別の意味でも心配させてしまったミーチャまで、私の事を思って待ってくれていた。


 思えば学院時代、今のように私が食事の席に着くのを待ってくれていたのは、セグとエリミヤだけだった。

 私は彼の花乙女だったからまだ分かるとして、邪険に扱っていたはずのエリミヤまでもが、食事に一切手を付けず待ち続けていたのだ。

 他の花乙女達はセグが居る手前、この後急ぎの用事があるからだとか言って誤魔化して、先にお昼を済ませていた。

 セグもエリミヤもお腹を空かせていただろうに……。

 そして、二人以外で初めて私を待っていてくれたリアンさん達の存在が、私の心に深く染み込んでいくように感じた。

 こういう人達の事こそを友人と呼ぶのだろう。

 ああ……この学校に来て良かった。

 彼らに出会えて、本当に良かった……!


「……ええ、一緒に戴きますわ!」


 今度は本物の涙が溢れてしまいそうだったけれど、私はそれを堪えてクリームパスタを口に入れる。

 ここで泣き出してしまったら、また皆に心配を掛けてしまうだろうから──





 そうして昼休みが終わり、午後の授業も終わった。帰りにアレク先生が連絡事項を伝え、礼をして放課後が訪れる。

 私はすぐに例の少女、サーナリアの席へ向かって歩き出した。

 一緒に教室を出ようと誘いに来ていたらしい取り巻き達を一睨みして、私は口を開く。


「こうして面と向かってお話するのは初めてですわね、サーナリアさん。お帰りになる前に一つ確認しておきたい事があるのですけれど、お時間宜しいかしら?」

「……構いません。わたしに何のご用がおありなのかしら?」


 赤いリボンでツインテールにした金髪の毛先は、くるくると巻かれ、敵意を孕んだ彼女の新緑の瞳が私を見上げた。

 他の取り巻き達も私を睨んでいるけれど、そんな視線如きでは花乙女時代に培った精神力に、傷一つ付けられない。


「……貴女、使い魔を使って私に嫌がらせをしていましたわね」

「何の事かしら? 身に覚えが無いわね」


 はぁ……よくもまあそんな台詞が言えたものですわね。

 こちらはもうニャータから貴女に命令されたという証言を得たというのに、表情一つ変えずにしらばっくれるとは。

 突然彼女を犯人呼ばわりし始めた私に、教室中から注目が集まった。

 リアンさんやウィリアムさん達は何事かと戸惑い、教卓からはアレク先生が黙って視線を向けている。

 周囲の反応を窺った私は、ほんの少しだけ勝利の笑みを浮かべてこう言った。


「ケット・シーの使い魔に、私の持ち物を隠すように命令しましたわよね? 私はその子から貴女が主人であると教えて頂きましたの」

「…………」

「疑っているのでしたら、その子に直接訊ねてご覧なさいな。とても素直で優しい子でしたから、私に酷い事をしてしまったと謝ってくれましたわよ?」


 クラス中に聞こえるように、あえて大きめの声で言ってやった。

 するとサーナリアはより険しい顔付きになり、怒りに震えながら勢い良く立ち上がる。


「あの馬鹿猫が……っ!」


 低く唸るようにそう吐き捨てて、彼女は教室を飛び出していった。

 取り巻き達は呆気にとられていたものの、全員で身を寄せ合いヒソヒソと何かを話し合った後、ぞろぞろと大人数でどこかへ行ってしまった。

 私とミーチャ以外の女子はほとんど居なくなり、男子全員とアレク先生が呆然と固まっている。


「……何があってこうなったのか、説明した方が宜しいでしょうか?」

「可能であるのなら、是非とも話してもらいたいな」


 先生のその一言を受け、私はこの場に残った全員にこれまでの経緯を説明するのだった。

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