13日前……パレードの向こう側

 「思い出作り」の日になった。


 週末の土日は何か由芽の喜ぶことをしてあげようと考えていた。つき合って2年になるのに、デートらしいデートはあまりしたことがないし、旅行なんて問題外だった。

 何しろ二人とも一人暮らしだったから、何処に泊まっても変わらないとオレは考えていた。むしろ「人酔い」、「乗り物酔い」したりする由芽を遠くに連れていく方がかわいそうだと思っていた。

 でも、これで別れてしまうのなら……。考えに考えて、以前から由芽が「行きたいなぁ」と何度も呟いていたテーマパークのチケットを2枚買った。

「由芽、早く起きて。由芽がずっと行きたいって言ってたテーマパーク、行くよ」

「え……? 今、混んでるから日付指定チケット買わないと入れないってよ……?」

「ほら」

 由芽はまさか今日、出かけることになるとは思っていなかったらしく、起こしてもまだ夢の中のような顔をしていた。

「どうしたの、これ?」

「ずっと行きたいって言ってたじゃん? ふたり分のチケットなら、オレのバイト代からでも出せるかなぁと思って。コンビニで買えたよ」

 じーっとオレの手のひらの上にあるチケットを見つめて、

「要、ありがとう」

「いいから、その分楽しもう」



 由芽は人混みが苦手だ。人の多いところもダメだし、満員電車なんかも連れて行くのがかわいそうなくらい、人酔いしてしまう。その日もテーマパーク行きの電車は混まない時間帯を選んだつもりだったんだけど、恐ろしく電車が混んでいた。

 由芽を見ると、真っ青で辛そうな顔をしている。

「大丈夫?」

「うん……」

 途中の駅で降りて休むというのも考えたけれど、いっそ行ってしまった方が由芽も気が楽なんじゃないかと思って彼女の体を支える。彼女もオレの上着をしっかりつかんで、揺れと人混みから自分を守っているようだった。

 つき合ってから2年、ほとんど出かけたことがないのは元々自分がインドアだということもあるけど、由芽が遠出ができないというところが大きかった。女の子なんだからいろいろ憧れる場所も多いんだろうなと思っても、具合が悪くなるかもと思うと気が引けた。結果、今に至る。

 駅で電車を降りると、自販機で冷たい飲み物を買ってきて座らせていた由芽に勧める。外は寒かったせいもあって、かわいそうに顔は真っ青で、ぐったりしていた。

「ごめんね、迷惑かけて」

「気にするなよ、いつものことじゃん」

 オレに遠慮することないじゃん、と思う。そんなになってもパークの方をじっと見ている由芽は、女の子なんだなぁと思わせてかわいい。

「そろそろ行こうか? 落ち着いた?」

と、彼女に手を差し出す。今もまだ、由芽は特別な人だ。何だか当たり前のように手を繋がなくなった分、余計に意識して、彼女の手を初めて握った時のようにやわらかく握る。


 パーク内に入園すると、電車の混雑なんか比べ物にならないくらいの人に驚く。入口から別の国に来てしまったかのようにクリスマスのデコレーションが楽しくパークを飾る。

 エントランスにはたくさんのキャラクターたちがいるらしく、それらと写真を撮るための列がたくさんできていた。由芽もどれかと撮りたいのかな、とちらっと見ると、そんなことより来られたことの方がうれしかったらしく、目がキラキラしていた。流れている音楽に合わせて手が、微妙に揺れている。

 どこかのカップルがスマホを手にやってきて、交代で花壇の前で写真を撮ることになった。見るからにしあわせそうなふたりは、見るからにしあわせそうな顔をして画面におさまった。代わりに撮ってもらったオレたちの写真は、楽しそうではあったけれど溢れんばかり、とは言えなかった。どうしても拭いされない陰りが見えるように感じてしまう。何しろ別れる日が決まっているカップルが他にいるとは思えない。

 由芽を見ると、由芽も同じように微妙な心持ちだったらしくせっかく楽しいところに来たのに心を痛めているのが伝わってくる。由芽は繊細だ。そんな彼女にひどい思いをさせている自分にガッカリする。彼女にそんな先のことは忘れてしまって、今日は楽しんでほしいと切に願った。




「そこの疲れた顔をしたお姉さん、お腹空かない? ポップコーンでも食べない?」

「何味?」

「キャラメル」

「えー、無難過ぎない?」

 昨日の夜、ネットで調べたらキャラメルポップコーンがメジャーだと書いてあったので、とりあえずそれを食べようかと思ったんだけど、却下されてしまう。

「なんだ、意外性はないのか。じゃあさ、このハニー……」

「無難じゃない?」

「好きなものを食べよう、キャラメルで」

 結局キャラメルポップコーンを買うためにワゴンに並んだ。ソーダ味とか、わけのわからないものより安心して食べられそうだ。

「すごい人だけどさ、みんな楽しそうだね?」

「うん、そこも含んで、来てみてうれしいとこなの。なんて言うか、みんなしあわせそうだから、自分もしあわせを分けてもらえるみたいな?」

「ふぅん、そうなのか。もっと話聞いて、連れて来てあげればよかったね」

 今年の、もうすぐ来るクリスマスは後悔してもお互い、別々に過ごすのだろう。玲香がどんなクリスマスを望んでいるのか、何となく想像がつく。そしてもちろん、由芽が望んでいるクリスマスも、手に取るようにわかってしまう。わかるんだけど、期待に添えないことが苦しい。

「……そうだね」

 

 オレはここに来るのは修学旅行以来初めてだったので、勝手がまったくわからなかった。なのでかなり熱心に予習をしてきた。由芽は人に囲まれるのが苦手なだけで、乗り物自体は絶叫系でもOKだった。次から次へと乗れる限りアトラクションを制覇する。彼女は怖いアトラクションに乗ると大笑いして、降りてからただ歩いている時も大笑いしていた。悲しいことなんて吹き飛んでしまったみたいに、熱中してアトラクションを回った。

 道みち、ターキーレッグやらピザやらをつまんでお腹の中がごっちゃになる。普段ならジャンクフードにあまりいい顔をしない由芽も、入れ物に「かわいいねぇ」と喜びながら一緒につまみ食いをした。


 


「何かに買う?」


 昨日のうちに調べてあった。……由芽の好きそうなものは悩まずとも決まっていた。

「あのさ、ネットで調べてきたんだけど、由芽、こういうの好きじゃない?」

 オレの思う由芽なら、きっと喜ぶはず。

 店内はキラキラとしたガラス製品が所狭しと飾られていた。気をつけないと、どれかを落として割ってしまいそうだ。

 由芽をある商品の棚に連れて行く。2年つき合っていて、好みを把握していると思っていてもドキドキする。

「すごい、ガラスの靴……」

 ガラスの靴がこの世に実在するなんて、男のオレから見ても驚きだった。由芽も心底驚いていた。しかし、現実は恐ろしいことに実際、人間が履けるものは10万円という冗談にもならない値段だった。

「あの、人が本当に履けるサイズは10万なんだって。あれはちょっと無理だから、気持ち程度の大きさで勘弁」

 値段相応の、ちょっと飾るにはいいくらいのものを買う。部屋に飾ってくれるだろうか? 由芽に、新しい王子様が訪れるように。――そういう意味で買ったわけではなかったのに、何故かふと、その考えに囚われてしまい胸がしめつけられる。

 由芽を一人にしてしまうのはオレなのに、感傷に浸るのは利己的すぎる……。




 夕飯は由芽がふらふらになっていたので、しっかり座って食べられるレストランに行こう、と声をかけた。そこは人気のお店だったらしく由芽も最初はうれしそうにはしゃいでいたが、レストラン前には長い列が出来ていて「50分待ちです」とあっさり言われる。これだけ人がいればまぁ仕方ないよなぁと思っていると、

「あー、レストランまで待ち時間あるなんて思わなかったなぁ」

と由芽はため息をついた。一日歩いて疲れただろうし、何より暗くなってぐんと冷えたから疲れも倍増だろう。デニムで来ればいいものの、余程楽しみだったらしく、ふわふわしたスカートが余計に寒々しく見える。由芽の手をぎゅっと握る。……肩を抱いてやるには気がして、歯がゆくなる。他のカップルのように難なく肩を抱いてやればいいものを、素直に手が出せない。

「大丈夫だよ、『永遠』に待たされることはないからさ」

「『永遠』はないもんね……」

 彼女が座り込んだ植え込みの隣に腰を下ろす。突き刺さる言葉になんて答えてあげればいいのか、正解が見当たらない。今日くらいはオレだって由芽のことだけを見ていたいのに、玲香の姿がうっすら頭を掠める。「わたしがいるのを忘れたらダメ」。彼女は頭の中から出て行ってくれなさそうだ。

「あのさー。『永遠』ってあると思ったよ。由芽といる間」

 精一杯だった。由芽とオレの間には「永遠」という大きなものが当たり前のように今までは横たわっていた。それはどこかに消えた……裏切り者はオレだ。

「……ありがとう」

 小さく彼女は呟いた。自分が、言っても仕方の無いことを口にした愚鈍な男だと感じた。


 レストランの長い列に並んでいる間、人山の向こうにイルミネーションのパレードが流れて行く。きっと由芽はこれも楽しみにしていたんじゃないかと思う。LEDの電飾が、ものすごいたくさんの量でキャラクターの形になっている。キャラクターがその上に乗って観客に手を振っていた。由芽は何を考えているのか、本当に疲れ切ってしまったのか、ぼんやりそれを見送っていた。まるで電池が切れた人形のようだった。

「どうしたの?」

と聞くと、

「ううん、何でもない」

と小さく首を横に振った。その横顔は寂しげで、それでもいつものように強く抱きしめる資格はないと、自分で自分を責める。

 由芽が、二人で繋いでいた手を上に持ち上げて、オレの頬に触る。

「来てよかったね……ありがとう」

「喜んでくれたんなら、来た甲斐があったよ」

 由芽、好きだよ、といつも通り言葉にできないのが、悲しい。自分で言い出したことだけど、「思い出作り」という言葉は、二人が離れつつあることを意識するためにあるんだな、と電飾を見ながらそう思う。


 




 

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