15日前……貪欲に

『今夜はゼミで飲むことになったから』


 定型文のように遊びのない連絡を送る。今までの経験から由芽は、今日は学校に泊まるんだろうと思うだろう。それとも玲香の部屋に泊まると思うんだろうか? だとしたら、由芽は何と言ってくるんだろう?


『りょ』


「りょ」。

 オレたちの間のちょっとした暗号だ。打つのがめんどくさい時、「了解」を「りょ」で済ませてしまう。……要するに、由芽の方がオレより簡潔な文章を送ってきたわけだ。

「どこに泊まるの?」

とか、

「本当にゼミの飲み会なの?」

とか、そういうことは聞いてこない。今までは信用があったのかもしれない。でも今はたぶん、信用ゼロだ。玲香のところに行くのはバレてるんだろう。




 玲香はそもそも学食でランチを取ったりしない。気まぐれで学食でランチを取ることになり大騒ぎだ。8人くらいで食べるので、まず席取りが大変だ。でも玲香は学内の有名人なので、仮に席が埋まっていても見知らぬ誰かが変わってくれる。自分は、その不思議な世界の住人になってしまった。

「ねぇ、森下くん。さっき、彼女に会ったよ。えーと、汐見しおみさん。彼女、かわいい顔して言うことは言うからちょっと新鮮」

「由芽と何を話したの?」

「ああ、今日は『借りる』って一言断っただけ。彼女だって、あなたがどこにいるのかわからないでいるのは不安でしょう? はっきり言ってあげた方がやさしいかと思ったんだけど、違った?」

 取り巻きの何人かはくすくす笑った。

 大してうまくない学食の定食を急いで食べると席を立った。

「あ、要!」

「要って呼ばないでって約束したでしょう?」

「ごめん……名前の方が呼びやすくて。でも約束だよね、わかってる、約束の日までは苗字で呼ぶから」

 彼女は今日は特に高いヒールを履いていて、ほとんどオレと身長が変わらない。鼻と鼻を傾けるだけでキスができる。便利なものだ。

 もっとも、そんなに背が高かったら、由芽はきっと、「足が痛くなるから」とかなんとか理由をつけて、ヒールの低い靴を選ぶだろうけど……。比べることなんか、今更意味が無いのに。




 ゼミの飲み会自体は本当にあった。

 同じゼミなので、玲香もいるし、イケメン原田も一緒だ。原田とは入学してからずっと仲が良くて、ゼミまで一緒になってしまった。この男はイケメンなだけあって女の子が放っておかないのに、友人オレの彼女である由芽を気に入っているらしい。本当かどうかはわからないけど。

「要さー、大島さんってマジ?」

「……何処で聞いたんだよ」

「噂になってる。大島さんも匂わせてるし、この前の飲みの後、お前たちがホテルに入るの見たってやつもいるよ」

「……」

 原田は更に声を控えて話した。

「由芽ちゃんは知ってるの? たった1回なら許してもらえるかもしれないじゃん。そういうのも『誠実さ』だと思うけど」

「別れるよ」

「は?」

「由芽とは別れる。玲香とつき合うことにしたから」

 原田は何かを考えているような顔をしたけれど、ただ酔ってるだけなのかもしれなかった。

「じゃあさ、今まで遠慮してたけど由芽ちゃんに手を出してもいいんだよね?」

「……いいんじゃん? ただし、15日後からな」

「なんだよその微妙な数字……」

「そういう約束なの」

 オレは原田に例の約束を話した。原田は眉根を寄せて何かを考えていた。難しい顔をしていると思ったら、いきなり目がぱっと開いて話し始めた。

「要は15日で由芽ちゃんと別れる。オレはその微妙な15日間で由芽ちゃんと仲良くなる。彼女の受け皿になれるように。どうだろう?」

「どうだろうも何も。15日間は手、出すなよ」

「友だちとして接するから大丈夫だよ」

 原田はいいやつだと思う。こうして表裏もないし、賢い。由芽も人見知りする癖に、原田には心を許してる感じがするしなぁ。

 まぁ、15日後のことなんて誰にもわからない。オレは玲香のものになる。


「ちゃんと飲んでる?」

 ちゃっかり序盤からいいワインをプラスチックのコップに入れて、玲香は言った。

「森下くんはビール派なの?」

「うん、うちではね。由芽は全然飲まないから、フルボトルなんかは買うわけにいかなくて」

「ふぅん、不便。ここ、適当に抜けて何処かに行くよね?」

 大して飲んでないのに顔が火照る。彼女ははっきりと誘っているのだ。

「あー、うん。何処がいい? またホテルでいいのかな?」

 くすり、と彼女は笑って、猫の目のように目をくるりとさせてオレを見た。

「森下くん、面白い。緊張してるの? 何処でだってやることは一緒だからいいんだけど……じゃあそういうことで。ちゃんとわかってるよね?」

「あ、うん」

「……わたしのこと抱けるの、森下くんだけだから」

 こそっと耳打ちして、彼女はまた助手や院生、助教授などがいる賑やかなグループに話に戻った。

 イスに座ってため息をつく。

 たった一つのことでも、こんなに緊張するなんて。彼女と一緒にいるのが楽じゃないのは、最初からわかっていたことだけど。

 離れたところから玲香が笑う声が聞こえる。気品のある笑い方。助教授や、合流した教授も楽しそうだ。彼女のウィットに富んだ話術で場は盛り上がっていた。




「妬いてるの……?」

「いや、別に」

 玲香が指を絡ませてくる。外の空気はピリッと痛いくらい寒くて、酔いを醒ましてくれる。

「ここでいいよね?」

 ホテルの入口は裏口のようになっている。由芽とはお互いに一人暮らしだったこともあって、ホテルには慣れていなかった。手馴れた様子で玲香が部屋を取る。

「もう。本当はこういうとき、男の子がやってくれるものなのに。……そういうとこも好きだけど」

 エレベーターの中でそれだけ言うと、彼女は濃厚なキスをした。


 1枚ずつ服をお互いに剥がしていく。気持ちが止まらない。早く彼女のあの美しい肢体に触れて、感じたい。自分のものだと満足したい。

 貪るように唇を重ねて、息が切れた時、彼女がオレを止めて言った。

「お風呂、入らない?」

 気が急いてしまったことに気がついて、ベッドに座る……。下着姿の彼女が隣に来て、ふざけて押し倒してくる。

「ねぇ……そんなに急がなくても、わたしは何処にもいかないよ?」

 お風呂のお湯を張っている間もふざけてベッドの上で体を絡め合う。

「玲香……どうしてオレ?」

「そういうのは秘密の方がよくない?」

「聞きたい……」

「わたしがあなたを選んだ理由?そうね……ひとつは『度胸』かな。わたしに誘われても断る人もいるの。なのにあなたは挑まれてるって顔してた。彼女がいるのにわたしとじゃない? それって女としてはうれしい。それから『物覚え』の良いところ。最初から上手な人っていないもの。その点あなたは物覚えがよくて、上達が早いから。あとね、『貪欲』だってこと。何かをすごく欲しがるって大切だと思うの。どこまでも情熱的に何かを追求してる時のあなたが好き。わたしをいつも屈服させようとしてるでしょ? ……誰かが何か言っても気にすることないよ。わたしが選んだんだもの」

「……褒められてるかわかんないな」

「難しいことはどうでもいいんじゃない? 汐見さんより、愛してほしいだけ」


 オレの部屋も由芽の部屋も、「1人入ればやっと」の浴室だった。だから浴室の中で愛し合う、ということがわからなかった。玲香がイチから、バスタブの中でふたりで何ができるのか、浴室で何ができるのか教えてくれた。

 そこからベッドに倒れるようにもつれて、そう、玲香の言う通り、オレは玲香を屈服させるために自分のできることを一つずつ、こなす。玲香の手が、時折オレの手を導いて、もっとを教えてくれる。彼女が一つずつ、反応を示す。熱い吐息と甘い声。「嫌だ」と言ってもやめてやらない。では、オレが王様で、玲香は奴隷役だ。彼女は決してMではなかったけれど、蹂躙じゅうりんされることを楽しんでいるように見えた。


「ねぇ、一緒に眠って……」

 疲れてしまったオレは、うなずく。終電に間に合うように走るのは、無駄な努力に思えた。

「森下くん、好きだよ」

「オレも」

 それは心の問題なのか、体の問題なのか、深く追求はしなかった。とりあえず眠らせてほしい。体が泥のように重い。




 

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