17日後
月波結
由芽の17日
17日前……乱数
わたしこと
要とわたしは17日後に別れる。
そのとき、わたしたちはキャンパスのベンチでランチを食べ終わったところだった。わたしは二人分のお弁当箱の片づけをしていたので、一瞬で過ぎたその言葉の意味を汲み取れず、「え?」と聞き返した。
「だから……別れてほしいんだ」
「そう……」
自分でも今となってみればそんな返し方はなかったんじゃないかと思う。けれどとにかく突然のことに焦っていたし、心の動揺を要に知られたくなかった。要はわたしが大仰な反応を示さなかったことが少し気に入らなかったようだった。でもわたしは、まるで普通の事のように聞き流した。
「他に好きな人ができたんだ」
胸が、ぎゅっと締まるのを感じた。
好きな人との別れはツラいと聞いたことはあるけれど、わたしにとっては要が初めての恋人だったし、こんなに呆気なくわたしたちが終わるとは思ってなかったから、別れ話がわたしに与えた痛みは大きかった。
「……うちのゼミの大島さん、知ってるだろう? 彼女とつき合うことになった。この間のゼミの飲みのとき、その……」
要は何かを口ごもった。ああ、この前の連絡もなく外泊してきた日のことかな、と思うと同時に、その続きはあまり聞きたくなかった。でも聞かないわけにいかなかった。
「大島さんと、寝た?」
「うん……」
「彼女とのセックスが良かったんだ?」
「ごめん、由芽とするのとは全然違って……」
涙が出るかと思った。
例えば、彼から突然別れを切り出されたらどうしようって不安になることは誰にでもあると思う。そのとき、わたしは泣くだろうと思っていた。でも、頭の中は冷静で、涙は不思議と一滴も出なかった。
大島さんこと
「そっか、じゃあお弁当、明日からいらないのかな? ……引っ越しはいつするの?」
「
「わたしはいつでも……」
要は不意にスマホを取り出すと、何かのアプリをインストールし始めた。
「別れるなら、せっかくだから計画的にきっちり別れよう。乱数を作れるアプリ、落としたから。別れるまでの日数は、7日から31日の間でいい?」
「あ、うん……」
いますぐ別れたりするものじゃないんだ、と要のスマホをのぞいた。要の、わたしより長くて少し太い指先が、画面に触れようとしている。要はじっと、わたしの目を見つめた。
「押すよ」
なんのためらいも同情もなくスマホには一瞬で「17」の文字が表示された。――こうしてわたしと要は「17日後」に別れることになった。素数というのは、ある意味、キリが良かった。
「何それ? なんで由芽がそんな思いしなくちゃなんないの⁉」
午後の講義の教室で、親友の
「もう! 大体、由芽は大人しすぎるんだよ。……わたしから森下に直接言ってあげようか? それとも大島さんに言ったほうがいいかな? たった1回ヤったからって別れる? 2年もつき合ってるんだよ? 森下も大島もどうかしてるよ。大体、乱数とか、理系のヤツの考えることはわかんないよ」
「ああ、そう、ヤったんだよね……」
秋穂ちゃんは、「しまった!」という顔をした。もちろんわたしだってよくわかっていた。1回ヤっただけでわたしと別れるほど、彼女の体は魅力的なんだろう。大島さんのモデル体型が見掛け倒しなら、要だって「別れよう」とは思わなかったんじゃないかと……。彼女の派手な造りの顔が、目の前に浮かんだ。
「そっか、それで? あんたたち、一緒に住んでるじゃない?」
「んー、わかんないけど別れるまでが17日で、その間のいつ引っ越すかは帰ってから決めようって」
「17日! そんなの受け入れなくていいから。由芽も現実、見なよ。別れないって選択もあるんだからね」
でも、わたしにはいつも自信に満ち溢れてキャンパスを歩く、美しい大島さんに勝てる自信は全くなかった。
秋穂ちゃんは講義の間も時折、わたしの様子を気にしてくれた。大丈夫、秋穂ちゃん。わたし、まだ泣いてないから……。
「17日間の計画」
17日前(今日)……別れる計画を立てる
13、12日前(土日)……思い出作り
6日前(土)……要が出ていく日
1日前(木)……別れる日
その素っ気ない計画表を、わたしと彼はふたりで過ごしたわたしの部屋で決めた。少しずつ、段階的に別れたほうがお互い離れがたい気持ちも断ち切りやすいだろうし、要の物質的な引っ越しもしやすいだろうという考えのもとにそれは決まった。
要がカレンダーとにらめっこしている間、わたしは夕飯の支度をした。帰りに買い物してきた食材で、ブリの照り焼きと里芋の煮っころがし、小松菜のおひたしを作った。具体的に「17日」と言われると何かの脅し文句のように思えて、つい品数が増えてしまう。
……本当のことを言えば、「わたしの味」を要に覚えていてほしかった。別れても、同じ料理を見たときにわたしを思い出してほしいと思うのはわたしの弱さだ。
「腹減ったー。お、今日は和食じゃん。由芽は和食、得意だよなぁ。玲香は……」
はっ、という顔になって、ふたりで気まずくなる。そこでわたしから話を切り出した。
「あのね、おかしいかもしれないけど、大島さんの話、普通にしてくれていいよ。デレてくれても構わないし」
「いや、それはさすがに由芽に悪いし……」
悪いも何も、隠されていたほうが余計に気になるし。わたしは必要以上ににこにこして見せた。
「……あー、大島さんは料理、全然できないらしくて」
そうだろう、要のゼミに用事があってたまたま彼女を見たときに、彼女の爪にはすごいネイルが施されていた。真っ赤なネイルに、光るストーン。あれでは手袋をしてもお米が研げるのか怪しい。けど、その美しい彼女の爪を要は愛しているのかもしれないので、わたしは何も余計なことは言わない。
「そうなんだ。今、そういう子、多いらしいよ? ほら、わたしは貧乏性だからさ、自炊してるだけで」
要はいつも通り何も言わずに冷蔵庫からビールを出して、席に着いた。
「そんな人の何処がいいの?」とは、とても聞けなかった。
その晩、わたしたちはいつも通り同じベッドで寝て、まるで何もなかったかのように要はわたしを抱いた。それまで毎日してたわけではなかったし、「こんな状況になってもまだわたしを抱くんだ?」とちょっと驚いた。
要の腕の中で、要のよく知った、馴染んだ唇がそっとわたしの唇を探し求める。そのわたしより少し固めの唇を、ほんの少し口を開いて拒まずに受け入れる。彼は慣れているわたしの中に難なく入ってきて、すべてはいつも通り。
「彼女のセックスはわたしのとどう違うの?」と聞きたかったけど、とても聞けなかった。
大島さんとするときはどんなんなのかなぁと意識がそっちにばかり向いて、抱かれていてもちっとも集中できなくて、自然に涙がこぼれた。顔を覆って涙を隠していると、要はわたしが感じていると誤解したらしく、やさしく髪を撫でられた。けれど、そうじゃないんだと言えず……、感じているふりをした。
要は満足そうに事の後に眠りに就いた。でも、最中に「愛している」とは決して言ってくれなかった。「愛している」という言葉はわたしがぼんやりと日常を送っている間に風でどこかに吹き飛ばされてしまったんだろう。
わたしは隣に寝ている要にバレないように、声を殺して朝まで泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます