Page03:ファースト・エンゲージ①

 さて、事務所を後にしたレイは八区の中を探していた。

 ジャックとライラも同行すると言ったが、彼らはこの辺りの土地勘が無いのでレイは一人で迷子探しをする事にした。幸いにして、件の依頼人は判り易い特徴も着けている。


 第八居住区は全体が森で囲われている土地である。それ故に居住区への入り口の数はあまり多くは無い。

 そして、ジャック達はギルド本部がある中央区から来ている事が分っている。

 中央区から八区に直通している道は一つしかないので、レイはその辺りを探してみる事にした。

 その道中、必然的に居住区の中を通過するのだが、レイを良く知る住民たちが気軽に声をかけてくる。


「おぉレイ、珍しく外で仕事か?」

「あぁ、珍しくも迷子探しだ」

「レイ! またウチの魔道具直してくれよ」

「依頼なら事務所にどーぞ、てかアンタ今月何回目だ!?」

「あ、レイ兄ちゃんがまたサボってる」

「アリスお姉ちゃんにいっちゃおー」

「サボりじゃ無くて仕事だ」

「ペットさがし?」

「人間探し」


 さばさばした態度で適当に受け答えして数分後、レイは森の中に到着した。

 とは言っても、この辺りは建物も無く何か特徴的な目印も何も無い。しらみ潰しに探していくしか無いのだ。

 面倒事を片付けたいと言う気持ちが大きいが、もう一つレイの中では心配事もあった。

 一人で迷子になるには、此処は少々危険過ぎる。土地柄ボーツが発生しやすいのだ。


「ま、バケモノ級操獣者だったら心配はいらねーと思うけどな」


 基本的には雑魚と言われているが、この辺りで発生するボーツは他の場所で出るボーツよりも強い。普通のルーキーだったら十体も相手にすればボロ雑巾になる事間違いなしだろう。


 しばし森の中を探索するレイ。道が整備された場所は粗方探してしまい、鬱葱とした場所を進む羽目になったので「これは後で文句の十や二十言っても罰は当たらないだろう」と少々頭に血を上らせていた。


 空を見上げると日が傾き始めている。探し始めてから随分と時間が経過したようだ。

 道程を遮る草やツタをコンパスブラスター(剣撃形態ソードモード)で切り裂きながら進むと、広く開けた場所に出た。

 

 それは御伽噺に出てくる花畑の様な光景であった。

 所狭しと咲き乱れる幻想的な花々。花弁の形こそ皆同じだが、その花々は優しくも美しい光を放っていた。

 橙色、薄紅色、桃色、水色などなど個体ごとに違う光を放つ花であった。

 何も知らない者が見ればその美しさに魅了されて、その場でしばし身が動かなくなるだろう。この光景を記憶しようと、瞬きを惜しむ者も現れるであろう。

 それ程までに幻想的な光景であったが、レイは少々嫌な気分になっていた。


――あの花がある場所は、少々マズい――


 早急に依頼人を探し出さなければ、と考えたレイなのだが……ここで一つ気づいてしまう。


「つーか、よくよく考えたらライラ達経由で『動くな』って言ってもらえばいいじゃん!」


 遭難者と迷子の基本。今更気付いてしまうレイであった。

 善は急げと言わんばかりにグリモリーダーでライラ達に連絡を取ろうとするレイ。


 その時であった。レイの視界に一つの人影が目に入った。

 花畑の中を動く影。ここはあまり人の来る場所ではない、ならばあの人影が目的の迷子か? そう思ったレイは人影を注視する。

 しかしレイは、それが探している依頼人では無いと直ぐに気が付いた。

 チームレッドフレアのメンバーが着けている筈の赤いスカーフが無い。

 そもそも、ライラに『姉御』と呼ばれていたのだから少なくとも女性の筈である。その人影は、女性と言うには少々ガタイが良すぎた。

 ならばあの男は何だ。顔をフードで隠しているが、自生している花を収穫しに来た花屋にしては雰囲気が異様過ぎる。


 男が気になったレイは、男を注視する。

 チラリと見えた腕は枯れはてた老人の様であった。


「迷子のボケ老人か?」


 これは余計な仕事が増えてしまった。レイは渋々といった表情で男の元に歩み寄る。このままでは依頼人よりもこっちの迷子の方が危険である。

 その男に近づくにつれて、男はブツブツと何かを言っている声が聞こえてくる。


「もうお終いだ…………あの人に見捨てられた……………………これが最後の一つなんて…………どうすれば…………」


 随分と悲観的な言葉が聞こえるので、家庭環境がよろしくない哀れな老人かと思ったレイ。

 慰めの言葉の一つでもかけてやろうと近づくレイであったが、男が抱えているが目に入った瞬間レイの顔は一気に強張った。

 先ほどまでの感情はどこへやら、レイは背後から男の首にコンパスブラスターの刃を突きつけた。


「おい、こんな場所で御禁制の薬物ヤク使ってんじゃねーぞ」


 突然剣を突きつけられた男は、驚いて腰を抜かしてへたり込んでしまう。

 その際に男のフードが外れ、顔が外に晒された。先程の通り両腕は老人の様にか細いが、その顔はまだ20代といった若者のものであった。

 腰を抜かしてなお、粘性のあるどす黒い液体が入った瓶を大事そうに抱える男。

 この街に住む者、特にギルドの関係者にとってその液体が何かは周知の物であった。

 【魔僕呪まぼくじゅ

 一時の快楽と超人的な身体能力向上、そしてを得られるが、依存性が極めて高く、服用した生物の肉体を徐々に喰らい尽くしてしまうギルド指定の禁制薬物である。


「な、何なんだよオマエ! オレになにすんだよー!!!」

「手足の老化に錯乱の症状、典型的な中毒者ジャンキーだな」


 脅えた表情で後退る男に対して知るかと言わんばかりににじり寄るレイ。

 別にこの男が薬物中毒になろうが知った事では無いのだが、この液体を持ち運ばれるには、此処は場所が悪すぎる。


「落ち着け、別に俺はアンタからそれを取り上げようってつもりじゃねーんだ。 ただ此処は場所が悪いからちょっと移動して欲しいだけなんだよ。 できれば中央区の方に行くのがオススメかな?」


 宥める様に語りかけるレイだが、伝わってないのか男は後退るのみである。


「嫌だ、渡すもんか! これは全部オレのもんだ!」

「そうだな、そういう事にしておこう。 だからその瓶を


 瓶の中身を零されるのだけは避けたいレイ。ゆっくりと男に近づいて落ち着かせるか、瓶を奪うかをしたい。

 どうせ足も老化しているのだから簡単には逃げられないだろう、と高を括っていたレイだったが…………


「嫌だァァ、これが最後なんだ!  誰にも渡すもんかァァァァァァァァ!!!」


 狂ったように叫び、逃げ出す男。

 迂闊だった、まだ無茶して走るだけの力はあったのか。

 だがどれだけ走って逃げようとも、碌に筋肉のついていない足ではどうにもならない。それどころか、瓶を抱えたまま倒れる可能性の方が高い。


「おいバカ、走るな!」


 男を止めるために追いかけるレイ。だがその行動は既に遅かった。

 貧弱な足で無理矢理走っていた男は、瓶を抱えたまま前のめりに倒れ込んでしまった。

――ガシャン!!!――

 レイの耳に最悪の音が聞こえる。


「あぁ、魔僕呪、オレの、オレのぉぉぉぉ」


 瓶が割れて、中に入っていたどす黒い粘液が地面に流れ出る。

 男は勿体無い勿体無いといった様子で、犬の様に地面に流れた魔僕呪を舐め取っていた。

 普段なら男のそんな様子を見てもおかしな変質者として放置するレイだが、今回ばかりは事情が違った。

 零した場所が悪すぎたのだ。この土地で強力な魔力活性剤を流すという事は…………


「馬鹿野郎! 今すぐそこから逃げろ! ここはデコイインクが大量にあるんだぞ!」


 レイの言葉に耳を貸さず、恍惚の表情で魔僕呪を舐め取る男。

 しかしその周囲からは、鈍色のインクがゴポゴポと大量に湧き上がろうとしていた。


 この世界の魔力インクには大きく分けて二種類ある。

 魔獣と契約した人間と獣魂栞から生み出されるソウルインク。

 もう一つは、自然に発生するエネルギー資源でもあるデコイインクである。


 そして食獣植物であるボーツは、デコイインクを栄養にして発生するのである。

 ここはデコイインクの一大生産地セイラムシティ。

 こんな土地に強力な魔力活性効果がある魔僕呪を零せばどうなるかは火を見るよりも明らかだった。


「ボッツ、ボッツ、ボッツ」


 地面から湧いた鈍色インク。そこから灰色の人型、ボーツが現れた。

 それも一体や二体なんて数では無い。特徴的な鳴き声を上げながら、三十体は優に超えるボーツが湧いて出た。

 レイは「逃げろ!」と男に向かって叫ぶが、返事はおろか動く気配もない。


「クソッ!」


 止む無くレイは、腰にぶら下げていたグリモリーダーと懐に仕舞っていた鈍色の栞を取り出す。

 魔獣と契約できず操獣者ではないレイだが、戦うための力は持っているのだ。


起動ウェイクアップ:デコイインク!」


 左手に持った鈍色の栞に起動用の呪文を入れるレイ。すると栞から鈍色の魔力液、デコイインクが滲み出て来た。

 インクが滲み出た栞をグリモリーダーに挿入し、十字架を操作するレイ。


「デコイ・モーフィング!」


 偽装変身。

 グリモリーダーから放たれた鈍色の魔力がレイの全身を包み込む。

 肉体を変化させはしないが、身体を守るための黒いアンダーウェアを魔力が紡ぎだす。

 その上から灰色のローブ、ベルト、ブーツ等が形成されていく。

 最後に一本角が生えたデザインのフルフェイスメットがレイの頭部を覆い隠した。


 デコイモーフィングシステム。

 契約できない人間が操獣者になる為の偽りの変身システム。

 魔核を持たないレイが戦う為の数少ない手段だ。


 変身を終えたレイはコンパスブラスターを片手に男の元に駆け寄る。

 が、その行く手を数匹のボーツが阻む。


「ボッツ、ボッツ」

「邪魔だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


――斬ァァン!!!――


 大剣で一閃。首を刎ねられたボーツはその場に崩れ落ち、物言わぬ塊になってしまった。

 そして男の前に近づいたレイは大声で語りかける。


「おい、生きてるか!?  さっさと逃げろ!」

「アー……あぁー……」

「こんの腐れ中毒者ジャンキーィ、こんな所で意識飛ばしてんじゃねーよ!」


 しかしこちらの事情など毛先ほども理解していないボーツの皆さま。

 極上のエサ二匹を前に容赦なく襲い掛かってくる。


「チィッ!」


 トリップしている男に近づくボーツを切り捨てる。

 犯罪者といえど見捨てたら目覚めが悪いので、泣く泣くレイは防衛戦をする事になった。


「ハハッ、今日は間違いなく厄日だよ畜生め!」


 手先を槍や鉤爪のような形状に変化させて攻撃してくるボーツ達。

 レイは男に攻撃が当たらないように左手で首根っこを捕まえた状態で反撃をする。

 槍の手を伸ばしてきたボーツはその腕を切り落とし、後ろから鉤爪で攻撃してきたボーツには魔力を含んだ蹴りで胴体を爆散させる。

 しかし、あまりにも数が多すぎる。次第にレイは何発かの攻撃をその身に受けるのだった。


「ボッツ、ボーツ!」

「ぐゥッ!!!」


 ボーツが伸ばした槍手がレイの左腕を切る。痛手を与えられたのが嬉しいのか、ボーツは醜い笑みを浮かべている。

 いくら変身して防御力が上がっているとは言え、所詮は偽物デコイでしかない。

 本来ボーツと戦うはずである操獣者の魔装と比べれば、その性能は天地程の差がある。

 だが、それを重々承知した上でレイは戦う事を選んでいるのだ。


「こな、クソォォォォォォォォ!!!」


 コンパスブラスターを天高く投げるレイ。そして空いた右手で左腕に刺さっているボーツの腕を掴んだ。


「フンッ!」


 力いっぱいボーツの腕を引っ張り、引き寄せるレイ。

 落下してくるコンパスブラスターをタイミング良くキャッチし、正面から飛んでくるボーツを迎え撃つ。

 一刀両断。

 レイはコンパスブラスターを思いっ切り振りかざし、ボーツの身体を縦から真っ二つに切り裂いた。

 仮面越しにボーツ達を睨みつけるレイ。

 しかし、知能の低いボーツは構うことなくレイ達に襲い掛かってくる。


「チッ、面倒くさいなぁもー!」


 そう言うとレイは左手で掴んでいた男を一度下ろし、コンパスブラスターに鈍色の栞を差し込んだ。


「インクチャージ!」


 コンパスブラスターの中が魔力で満たされていく。

 魔力刃生成、破壊力強化、攻撃エネルギー侵食特性付与、出力強制上昇。

 レイは複数の魔法術式を瞬時に頭の中で構築していき、完成した術式をコンパスブラスターに流し込んだ。


「そのままかかってこいよ~」


 レイはコンパスブラスターを逆手に持ち変える。

 ボーツ達は360度、全ての方向から一斉に襲い掛かって来た。


 今だ!


偽典一閃ぎてんいっせん!!!」


 レイが魔法名を叫ぶとコンパスブラスターから巨大な魔力の刃が現れる。

 すかさずレイは円を描くように、その刃で薙ぎ払った。


――斬ァァァァァァァァァン――


 一斉に襲い掛かってきたのがボーツ達の運の尽きであった。

 ある者は首を、ある者は胴体を切断されて、一匹残らずその場に崩れ落ちていった。


 少し無茶をしたせいか、肩で息をするレイ。

 視界にはもう活動しているボーツの姿は見えない。

 これで一安心か…………レイがそう思った時だった。


「ボッツ……ボッツ」

「オイオイ、まだ生えてくんのかよ!?」


 魔僕呪の魔力活性の影響を受けたせいか、通常では有り得ない頻度でボーツが湧き始める。

 新たに発生したボーツは目算しただけでも約四十体。身動きできない男を守り、さらに先ほどのダメージも残っているレイには到底捌ききれない数であった。


「ボッツ、ボッツ、ボッツ、ボッツ、ボッツ」


 鳴き声を上げながら近づいてくるボーツの大群。

 レイはコンパスブラスターを構えるが、仮面の下では既に余裕を無くした表情をしていた。

 今回ばかりは流石に無事では済まないかもしれない。

 ボーツの大群が容赦なくレイ達に襲い掛かってくる。

 レイが覚悟を決めてボーツの大群に立ち向かおうとした、その時だった――


「クロス・モーフィング!!!」


 それは、操獣者が変身の時に唱える呪文であった。


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