謎解きはお昼寝の後で

 夜勤の疲れを感じつつ、梅雨の合間の爽やかな陽光を浴びて自転車を走らせる。

激動の昨日は心臓に悪いような恐怖と、初めての笑い疲れを一気に経験した。

怯えてた杏花さんの様子が心配だし、朱莉がゆっくり寝れているかも気になる。

本当はすぐにでも眠りたい衝動を堪え、俺は急いで長い坂道を下っていった。


 ――― 6月13日 日曜日 暖かい陽射しが降り注ぐ朝


 チャイムを鳴らすのも寝てる組に悪い気がして、家の前から電話をかける。

すぐに杏花さんは『はいはーい!』と元気な返事をして、玄関の鍵を開けた。

部屋は昨日の騒ぎが嘘のように片付いていて、杏花さんの作ったお味噌汁の良い香りがダイニングに漂っている。

「松宮さん、夜勤お疲れ様ですー!朱莉ちゃんは少し前まで起きてて、香苗さんと

一緒にご飯食べてました。今は同じ部屋で寝てますよ♪松宮さんもいかがです?」

「そっか・・・連れて帰ろうと思ったんですけど、ご飯食べたら俺まで寝ちゃいそうだなー。」

俺がぼんやりと悩んでいると、杏花さんはバスローブとタオルを持ってきて、

さっと目の前に差し出した。

「仮眠取った方が良さそうですね!お洋服も、乾燥機付きの洗濯機あるんでスイッチ押せば洗濯してもすぐに乾きますよ。出て来る頃に朝ごはん用意しときます!」

「え・・・そんな何から何まで・・・。悪いですよー!」

戸惑って立ち尽くす俺の背中をグイグイ押し、杏花さんはバスルームへ案内した。

「洗剤とかも自動で投入されるんで、この中に全部入れて・・・この全自動スイッチ押してくださいねー♪」

そう言ってドラム式洗濯機の扉を開け、杏花さんはリビングに戻っていった。


 言われた通りにして入ったお風呂は、清潔で広々としていた。

すりガラスの窓が大きい為だろうか?良く磨かれた鏡や窓枠に置かれた観葉植物に外から差し込む淡い光が反射して、幻想的な空間になっている。

シャワーから丁度いい温度のお湯を全身に浴びると、緊張感は殆ど消えていった。

ふと、杏花さんに渡された女性が着るには大きすぎるバスローブを思い出す。

樫井さん用なのかと思っていたら、彼女はハサミでタグを切っていた。

前から用意しているのに、使えていなかったバスローブの意味を考える。

想い合っているのは誰の目にも明らかなのに、なぜか一向に進展しない。

やはり二人が話さない過去は、俺なんかには理解出来ない程に重いのだろう。


 高そうな生地のバスローブはとても滑らかな肌触りだ。

タオルで髪を拭きながらリビングへ向かうと、食卓にはお味噌汁と卵焼き、ご飯に白菜のお漬物まで用意されている。

「うわー・・・何か完璧すぎてビックリしちゃいます・・・。」

「ん?そうですかー?みんなと同じメニューですよ!・・・これから仮眠するなら

コーヒーよりもミルクの多めなココアにしましょうか!」

「あ・・・ありがとうございます。い、頂きます!」

これが彼女にとっての当たり前のおもてなしなのだろうか?

淡いピンクの短めなドレスに可愛い絵柄のエプロンを着て、手際よく作業する杏花さんの後姿と優しい気遣いの後に見せた笑顔は、容赦なく男心を揺さぶって来る。

『アイスココアできました!』彼女は食事を始めた俺の隣に来てグラスを置く。

丁寧にミルクで溶かした後に氷を浮かべたココアは、とてもいい香りがした。

「んぐっ・・・す、すみません。」

キッチンに戻ろうとした彼女の淡い栗色の巻き髪が揺れて、俺の肩に触れる。

さっき借りたシャンプーと同じ匂いがした瞬間、自分の意思とは関係なく勝手に胸が高鳴ってしまった。

すぐに誰に対してか分からない罪悪感で一杯になる。

「あの・・・ちょっと話してもいいですか?」

ハッキリさせておかなければ・・・そう思った。

喉に詰まったご飯を味噌汁で飲み下し、キッチンでハーブの鉢植えの世話をしている杏花さんに、俺はゆっくり語りかける。

笑顔で振り向いた彼女は無言で頷いた。


「えっと・・・ご飯、凄く美味しいです。バイトで蒸し暑かったので、シャワーと洗濯もホントに助かりました。親切にありがとうございます。」

「いえいえー全然平気ですよー!こういうの好きなんです!」

「でも!・・・でも、このこと樫井さんには言って欲しくないと思いました。」

明るい彼女の返答を遮るように口を挟み、俺は杏花さんの目を見て話し続ける。


「・・・俺は杏花さんの過去についてそんなに知りません。でも、樫井さんがこのお家に良く来て休憩したくなる気持ちは、良く分かります。

決して・・・単にあなたが心配だからとか、コーヒーが美味しいからってだけの

理由じゃない。俺が・・・俺が樫井さんの立場だったら、というか・・・杏花さんが好きだったとしたら、いくら友達でもこの状況は嫌です。」

『・・・。』

二人の長い沈黙が部屋を包む。

「松宮さん・・・今の・・・。」

「そう、このバスローブで食事を・・・」

「松宮さん!今の、すっっっごーーい!!めっちゃ格好良かったんですけど!?」

「・・・いや、話聞いてました?」

予想外の反応に、俺の語彙が底をついた。彼女の言葉を待つより他にない。

「き、聞いてましたよ!・・・逆に、松宮さんはどうなんですかっ!?

さっきみたいに、ハッキリと嫉妬心や自分の気持ちを好きな人に伝えてますか?」


「い・・・いや、俺は本来・・・会話がそもそも得意じゃないし、全然ですけど!

樫井さんは男らしく言いたいこと言ってるじゃないですかー。」

「優しすぎて困るんです!どんなに勧めても二人の時は絶対お酒飲まないし・・・

夜遅く来てもソファで仮眠だけして帰っちゃうし。」

『・・・。』

一体これは、何の会話だったのだろうか?混乱する頭を必死に整理する。

「もう・・・杏花さんから告白しちゃえばいいんじゃないの?」

「・・・そんなことして、実は私の腐りきった脳ミソの壮大な思い込みで・・・

『いや、刑事として興味あっただけだから』とかなんとか、アッサリ振られたらどーしてくれるんですかぁぁぁーーーー!松宮さんが責任取ってくれますか?」

杏花さんはこじらせていた。それはもう盛大に。

「・・・だからって俺を使って相手の気持ちを試すのは、良くないと思います。」

「松宮さんは良いですよね・・・試す必要なんてないくらい・・・」

「いや、偉そうな事言ってるけど実際・・・好きになっちゃうと頭おかしくなりますよね。俺も相手の気持ちが解らなくて立ち止まるタイプです。」

人付き合いすら避けてきた筈の俺は、今・・・年上の女性と恋愛話をしている。

自分で話してる内容に、だんだん恥ずかしくなってきて思わず俯く。


「・・・この会話は、不毛ですよね。」

深く悩んでいる様子で自分の指先をじっと見つめ、杏花さんはそう呟いた。

「俺も・・・そう思います。」

「夕方、香苗さんがバイト行く前に・・・樫井さんが来る予定です。

今から5時間くらいは仮眠してても大丈夫なので、服が乾いたら着替えて下さいね!ちょっと松宮さんにも手伝って欲しい謎解きがあるので、今日のバイト行く時間までここに居てくれると助かります。」

杏花さんは少し頬を赤らめつつ、いつもの調子を取り戻したように早口で話す。

「・・・謎解き?」

「はい。樫井さんも少年について捜査はしてくれているのですが、何しろ生霊というのは科学的に立証もできないし、探しようがなくて困っているんです。

樫井さんは、松宮さんの事をとても頼りにしているんですよ!あの子は頭いい!

っていつも言ってます。正式な捜査ではないけど、ここで皆の知識をまとめてみたら・・・結構優秀な探偵チームになる気がするんですよねー!」

杏花さんは人差し指を立てて興奮気味に話す。

そんなアニメのような事を素人がしても、上手くいく気がしないのだが・・・。

俺は今まで真面目に考え過ぎていたことが馬鹿らしくなって、朝食の残りを一気に食べ進める。

「ご馳走様でした。・・・分かりました。俺なんてどうせ役に立ちませんけど、

昼寝したら一緒に少年について調べます。」

「わー!ありがとうございます!・・・あっ!朱莉ちゃんが起きたら、松宮さんが

バスローブで寝てる理由はきちんと説明しときますから、安心して下さいね!」

「・・・。おやすみなさい。」


 大きなソファに寝転び、杏花さんが貸してくれた毛布にくるまった。

フワッとした繊維には、彼女の好きな男が良く使っている整髪料の匂いが染み込んでいる。

そのことを少し冷やかそうと思い、キッチンで鼻歌を響かせる杏花さんを見た。

彼女は樫井さんがプレゼントした鉢植えの前で、微かな笑みを浮かべている。

窓辺から差し込む朝の光の中で、白くて細い指がそっと若葉を撫でていた。

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