第6話 高笑い

 ヌレバは見当違いをしていた。ヌレバが打ち抜いたモノが樹齢300年の巨木であったのならば、その巨木は幹をへし折られるだけでは足りず、幹の内側から爆ぜるように砕け散っていたであろう。


 だが、タマモの身体は樹齢1000年に達する神木かのようであった。樹木も芽を出してから400年を過ぎれば、その身に神性を宿すと言われている。その軽く2倍以上もの年月を経ているかと思われるほどの柔軟さと堅さを合わせもっていたのである、タマモの身体は。


 ヌレバは自分の渾身の一撃が利かぬと察したと同時に、タマモから距離を保つために素早く後ろへとステップをする。しかしだ。タマモはニヤリと口の端を歪ませる。ヌレバが下がったと同時にタマモもまた無造作に前進し、ヌレバとの距離を詰める。


 タマモの行動にヌレバはまたしても驚愕してしまう。


「瞬歩を使いこなすのでもうすかっ!」


「オーホホッ! これくらい造作のなきことじゃ!」


 ――瞬歩。これは武芸の達人のみが使いこなせる歩行術である。音よりも素早く移動することが可能な足技であり、ヌレバも条件さえあえば使うことは可能であるが、タマモはいとも簡単なことと言い切っているのだ。


 そしてタマモは瞬歩から流れるような動きで、ヌレバの腹に自分の右手を添える。そして、その手のひらの先に禍々しい黒色に金色が混ざった魔力のたまを具現化させる。


「さあ、おぬしの汚らしい臓物を腹から飛び散らかせるのじゃっ! 禁呪・絶破ブロークン・ハートっ!!」


 タマモが詠唱破棄で、禁忌の領域に踏み込んだ威力を発する【禁呪】と呼ばれる類の魔術を発動させる。そして、ヌレバの腹とタマモの右手の間で目も眩むような光と爆発音が巻き起こる。


 その爆発の余波を受けて、洗濯用のたらいだけでなく、洗い終えて竹籠に移してあった洗濯物の数々が大空に吹き飛ばされる。さらにはチワも元々居た場所から10メートルほど吹き飛ばされてしまう。チワは爆風に巻き込まれたことにより、背中を強く地面に打ち付けれていた。


 もうろうとする意識をはっきりさせようと地面に伏せた状態であるチワは必至に頭を左右に振る。ヌレバはどうなってしまったのか? チワははっきりと焦点が合わない視線であったが、ヌレバが居たはずの場所に顔を向ける。


 だが、もうもうと茶色い土煙がコテージの中庭を中心として、周辺を包み込んでいる状況であった。


(ヌレバ……。生きていて……!!)


 チワはヤオヨロズ=ゴッドにヌレバが無事なことを祈った。地面に伏せた状態のまま、ヌレバが居た方向に右手を必死に伸ばす。


 チワの両目には涙が滲んでいた。先ほどのヌレバとのキスの味を思い出そうとした。唇を介して感じたヌレバの体温を思い出そうとした。


「ヌレバっ!! 生きていてっ!!」


 チワは悲痛な声でヌレバを呼ぶ。未だ土ぼこりが舞い上がり、チワはまったくもってヌレバの様子を伺い知ることが出来ていなかった。


「ヌレバーーーっ!!」


 チワは再び叫ぶ。ひょっとするとヌレバはこの世から肉片のひとつも残さずにタマモの手により塵にされてしまったかもしれない。


 チワは号泣していた。その黒い瞳からとめどめ無く、涙を溢れさせていた。自分がこの世に生を受けて、初めて心の底から好きになった男性。


 筋肉だるまで、頭の髪の毛は全て剃り上げていて、無精髭もまともに処理しない。さらに夏も冬も上半身裸で過ごす男性。


 そんな一見、超弩級変態にしか見えない男性である、ヌレバは。でも、そんなことはチワにとっては関係がない。


 ヌレバだけがチワを心の底から愛してくれている。それだけで良いのだ。それ以外、重要なことがあろうか?


 それだけで良いのだ。そんなヌレバが好きなのだ、チワは。


「ヌレバーーーっ!!」


 3度目の叫びが中庭に響き渡る。チワの声に呼応するようにあの男が雄たけびを上げる。


「ウオオオオオオーーーンッ!!」


 それは巨人族が得意とする【紅き咆哮レッド・ハウリング】であった。ヌレバが放った紅き咆哮レッド・ハウリングは中庭に立ち籠る土ぼこりの一切合切を吹き飛ばす。


 土ぼこりが吹き飛ばされた後、そこに居たのは血の色のように紅い襦袢じゅばんの尻の部分から9本の尾を生えさせた魔物と、身体のところどころに裂傷があり、そこから血を流している筋肉だるまの屈強なる戦士であった。


「ガハハッ! チワ殿の声が心臓の止まっていた我輩の耳に届いたのでもうす!」


 ヌレバは血まみれになりながらも、両腕を振り上げてのガッツポーズを取っていた。そのヌレバの勇ましい姿を苦々しい顔でタマモが睨みつけていた。


 タマモが着ている紅い襦袢じゅばんは右腕部分がはじけ飛んでいる状態であった。そこから見えるタマモの右腕は、右手の先から二の腕の中ほどにかけて肉が裂けてズタボロになっており、ところどころから骨が見えるほどの凄惨な状態になっていたのである。


「何故、ワラワの身にこれほどの衝撃が弾き返ってくるのじゃっ! おぬし、何をやったのじゃっ!!」


「おぬしは我輩の筋肉をなめたのでもうす! 我輩は我輩の筋肉の硬度を自在に変えることができるのでもうす! 紅き竜レッド・ドラゴンを覆う鱗には並みの武器が通じぬように、我輩の筋肉も同じく並みの攻撃では貫けぬのでもうす!」


(何を言っているのじゃ、この馬鹿はっ!)


 これがタマモの素直な感想であった。しかしだ。この男の言っていることが事実であることは、自分の右腕の状態を見れば自明の理でもあった。自分の身に伝説級の武器を使わずに、ここまでの大怪我を負わせることが出来る存在など、タマモには信じられない気持ちであった。


(この男はこの場で殺しておかねばならぬのじゃ!!)


 想像を絶するほどの痛みを右腕から感じながらも、タマモはヌレバを殺すことを決意する。だが、そのタマモの決意は次の瞬間には頭の中から弾き飛ばされることとなる。


 それもそうだろう。タマモの全盛期に匹敵するほどの魔力が森の方向から発せられたのと同時に、彼女がローズマリーを捕らえようと森に放った15体もの鳥人間ハーピーの妖力が一斉に消えたからである。


 タマモはあっけにとられ、一瞬だけ茫然自失となる。そして次に彼女が取った行動は邪悪な笑みを顔に浮かべて、妖艶な笑い声をあげることであった。


「オーホホッ! さすがはワラワが真に欲する身体なのじゃ! ローズマリー……。必ず、ワラワの魂の器となってもらうのじゃっ!!」

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