第7章:脱出

第1話 メアリー帝

「何を言っているのだ! ツナ=ヨッシーとモル=アキスの両名は、我が息子であり、あなたの夫であるナッギサを殺した重罪人ですぞ! それをまるで恩人であるかのように言うのは納得できない!」


 チクマリーン帝に公然と非難をおこなうのは、ナギッサ=フランダールの父親であるエヌル=ボサツであった。彼は息子を失ったことで意気消沈しきっていたが、聞き捨てならぬみかどの一言に怒りの炎が心の奥底から沸き上がったのである。


 だが、チクマリーン帝はクイッと顎を横に振り、兵士たちにエヌル=ボサツを捕らえよと言葉そのままに顎で指示を出すのであった。エヌル=ボサツは怨嗟の声とみかどを視線で殺すつもりの強い非難の色を濁った銀色の双眸から放つ。それでもチクマリーン帝は意に介する様子は無い。


「ぶひっ! さっそくチクマリーン帝に仇名す者が1名捕らわれたんだブヒッ! これは幸先の良い話なのだブヒッ!」


「宰相:オレンジ=フォゲット。兵を出してくれてありがたいのデスワ。先日の争乱で、まともに動かせる兵はあなたの騎士団だけなので」


 騒然となっていた玉座の間に集まる貴族たちにさらに衝撃が走る。なんと、ナギッサ=フランダールの暗殺計画の片棒を担っていたオレンジ=フォゲット卿が空席となった宰相の座にいつの間にか収まっていたからである。


「な、な、なんたることをしているのっ! チクマリーン! あなたは一体、何をしているのかわかっているのですか!」


「あら? お母さま。ワタクシを非難するつもりなのデスカ?」


 教皇:テリア=フランダールが怒りにその身をわなわなと震えながらも、毅然とした態度で娘であるチクマリーン帝に詰問するのであった。しかし、チクマリーン帝は、うーーーん? とよくわかってないような顔つきである。そして手をパンッと叩いて、次のように言う。


「そうデスワ! チクマリーンと言う名を捨てることにするのデスワ! この名は長すぎて、皆から呼ばれるのに語呂が悪いのデスワ! チクマ……。マリーン……。マリー……。はっ! メアリーが良いのデスワ! 皆様? 今からわたくしのことは『メアリー帝』と呼ぶようにっ!」


「私の質問に答えなさい! チクマリーン! なにがメアリー帝ですかっ!」


 テリア=フランダールはまったく会話にならぬ娘に業を煮やし、彼女を叱り飛ばす。いつもは寡黙で必要以上なことはほとんどしゃべらないチクマリーンがまるでひとが変わったように饒舌になっている。さらには、意味不明な理論を展開し、あまつさえは親が与えた名を捨てる愚行に走っているのだ。


 そんな不孝な娘を叱るのは親である自分の努めだとばかりにテリア=フランダールはチクマリーンにずけずけと意見を言い続けるのであった。だが、チクマリーン、いやメアリー帝は両手で自分の耳を塞ぎ


「あーあー、うるさいのデスワ。がみがみ、がみがみと。宰相:オレンジ=フォゲット。母上の罪を適当にでっちあげるのデスワ。少し、冷却の牢獄フリージング・ジェイルに入ってもらって、反省してもらうのデスワ?」


(罪を適当にでっちあげる!? この娘は自分が何を言っているのかわかっているの!?)


 テリア=フランダールは驚きのあまりに声が口から出てこない。開いた口がふさがらないとはまさにこのことだろう。だが、テリア=フランダールが手をこまねいている間にも、宰相:オレンジ=フォゲットが次々と彼女の罪を言っていくのだ。


「ひとつ。テリア=フランダールは教皇である身なのに、メアリー帝がおこなう政治に口を出したこと。ひとつ。テリア=フランダールは、メアリー帝に対して、不遜にもチクマリーンと呼び捨てにしたこと。以上、10に上る罪を犯したんだブヒッ!」


「あら。10も罪を犯したの? それでは死罪となってしまうのデスワ? ワタクシとしては、さすがに自分の母親に死刑を言い渡すのは気が引けるのデスワ?」


「ぶひっ。それでは、今日はメアリーさまが帝位についた記念すべき日なのです。そこで恩赦として、死刑から冷却の牢獄フリージング・ジェイルでの冷凍睡眠刑に減刑としてはいかかがブヒッ?」


 宰相:オレンジ=フォゲットの提案にチクマリーン改めメアリー帝がそれは良い案なのデスワ! それを採用するのデスワ! と手放しに彼女を褒めたたえるのであった。玉座の間に集まる貴族たちの眼には、この一連の流れは悪夢としか映っていなかった。


 罪はでっちあげられ、さらに裁判が執り行われるわけでもない。全て、メアリー帝と宰相:オレンジ=フォゲットの差配加減で、罪と罰が決まってしまうのだ。確かに重罪人に対して、刑罰を与える認可は最終的にはみかどの仕事である。


 だが、それは裁判の結果を踏まえてのことだ。ポメラニア帝国250年の歴史で、裁判を経ずにさらにはその罪自体をみかど自身がでっちあげろと宰相に指示をしているなどということは、前代未聞の初めてのことである。


 ここにポメラニア帝国の裁判権はメアリー帝が握ったといっても過言では無かった。帝国を治めるみかどが賞罰権を持っているのは当たり前の話かもしれない。だが、それは『公正なる裁判』が執り行われてこそなのだ。


 罪をでっちあげ、さらには、その『公正なる裁判』という過程をすっとばすという愚行としか言いようのないことを眼の前のメアリー帝がおこなったのである。玉座の間に集まる貴族たちが混乱に陥るのは当たり前といってよかったのである。


 そして、メアリー帝はさらにその先の領域へと踏み込んでいる。ポメラニア帝国は政教分離をエイコー大陸において、初めて実現した国であった。宗教は政治に介入しない。そして、政治も宗教には過度に介入しない。独立しあった組織として互いに干渉しあわない仲となっていたのだ。


 その均衡をメアリー帝は崩したのである。ヤオヨロズ=ゴッド教の首魁たる『教皇』に罪を被せて、さらには刑罰に処すると宣言したのである。


「なんということを……。なんとういことを……。チクマリーン! あなたはいったい何を言っているのかわかっているのですか!」


「うるさいのデスワ! 誰か、あの重罪人をとっとと捕らえるのデスワ! みかどに対する数々の侮辱罪で本当なら死刑であるところを減刑してあげたというのに、まるでわかってないのデスワ! 宰相! 早く、そやつをワタクシの眼の見えぬところに連れて行くのデスワ!」


 メアリー帝が母親であるテリア=フランダールを一喝する。そして、またもや顎をクイッと横に振り、宰相に彼女を捕らえるようにと指示を出す。


 テリア=フランダールは菜の花色の鎧を着こんだ兵士たちに両脇をしっかり抱え込まれながらも、手足をばたつかせ、必死に抵抗を続ける。だが、兵士たちはそんな彼女の抵抗を無視するが如く、ズルズルと引きずっていくのであった。

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