第6話 葉巻

 ようやく咳込むのが収まったハジュンが席から立ち上がり、ロージーの前に立つ。そして、ロージーの右手を自分の両手で優しく包み込む。


「はじめましてで合っていましたっけ? 先生がド・レイ家の当主であるハジュン=ド・レイです。気さくにハジュンちゃんと呼んでくださいね?」


 ハジュンはそう言うと、右目でウインクをするのであった。いきなりウインクを飛ばされたロージーは眼を白黒させてしまう。ハジュンはまるで宝石のように透き通る琥珀こはく色の双眸である。もし、町娘が気構えもなくハジュンにいきなりこんなことをされれば、一発でハジュンに惚れてしまうのではないだろうかとさえ思わせるほどの威力を持っていたのである。


 しかし、生憎あいにくだが、ロージーはセイ=ゲンドーに箱馬車の中であらかじめ、ハジュンさまには気をつけておくんだよォ? あのヒトの趣味は乙女の生き血をすすることだからねえ? と釘をさされていたのである。そのため、ハジュンのウインク攻撃は大した威力を発揮しなかったのであった。


「あれ? あれれ? おかしいですね……。いつもなら、先生のウインクひとつで『素敵! 生き血を吸って!!』って、若い女性には言われるんですけど……?」


「あーははっ。ハジュンさま、そりゃ残念だったねェ? それだけロージーのお嬢ちゃんはクロードくんに惚れているってあかしだよォ? ハジュンさまが何かしたところでロージーのお嬢ちゃんの心は揺らがないんだよォ?」


(冗談を言うのが本当に上手いわね……。こう言っちゃなんだけど、やっぱり、セイさまは油断ならないわね……。クロにもしっかり釘をさしておかないと)


 ロージーはどうしてもセイ=ゲンドーに対して、猜疑心が拭えない状態であった。舌の滑りが良すぎるニンゲンは、本当にヒトが良いか、本当に悪いニンゲンかの二通りに分かれがちだからだ。ロージーは今の段階では、セイ=ゲンドーがどっち付かずのためにきっぱりと判断できないのである。


 いっそのこと、悪いなら悪いで腹黒いところをありありと見せつけてほしいものだが、セイ=ゲンドーは巧みにそれを隠しとおしているのであった。


「あーあ……。せっかく久しぶりに生娘の生き血を吸えると思っていたのに、残念この上ないですね? あ、もちろん冗談ですけど!」


「ちゅっちゅっちゅ。冗談か本気か判断しにくいことを言うのはやめるのでッチュウ。それよりも、さっさと本題に入るのでッチュウ」


 クロードの左肩に乗っているコッシローがさっさと話を進めろとハジュンを促すのであった。ハジュンは一度、ふうううと嘆息し、仕事机にお尻をドカンと乗せる。そして、セイ=ゲンドーに対して、右手を前後に降り、まるで犬でも退散させるかのようにシッシッと振り払うのである。


 セイ=ゲンドーはそんなぞんざいに扱ってくるハジュンに軽く一礼をした後、執務室から退出するのであった。


(えっ? えっ?)


 ロージーはあの舌がよく滑るセイ=ゲンドーがハジュンに対して、何も言わずに一礼だけおこなって、あっさり部屋から退出してしまったことに驚いてしまう。絶対に皮肉のひとつくらいあるだろうと思っていただけに、意表を突かれてしまう形となったのだ。


 さらにはハジュンは銀色のシガレットケースの蓋を開き、そこから葉巻を取り出し、その葉巻の先端を専用の器具でカットする。その手慣れた行為にロージーはまたしても驚いてしまう。


 ロージーの父親が葉巻を愛用していたので、ロージーはハジュンが煙草愛用者であることが、その一連の行為を通じて察することが出来たのだ。


「ぷはあああ~~~。やっぱり葉巻は良いですねえ……」


「あの……。なんでパイプの時はあれほど煙草を嫌がっていたのに、葉巻はへっちゃらなんです?」


 ロージーは少し混乱する頭の中を整理するためにも、ハジュンに思ったことをそのまま聞いたのである。ハジュンはロージーから質問された後、もう一度、葉巻をスパスパ吸って、煙を吸い込み、それを吐き出した後、ようやくロージーの疑問に応えることになる。


「ああ。それは単純にパイプ煙草と葉巻は似て非なるモノだからなんですよ。味も煙の質もまったく別モノなんです。まあ、煙草を吸ったことのなさそうなローズマリーくんにそれを説明するのは困難なのですが……。先生はパイプ煙草のほうが格好良くローズマリーくんの眼に映るかな? と思って、苦手なパイプ煙草を吸っていた。ただそれだけですよ?」


「恰好良いだけって……。ただそれだけなんです?」


「はい。それだけです。男っていうのは格好つけなんですよ。キミの想い人であるクロードくんだって、ローズマリーくんの前で変に恰好つけてる時があるでしょ?」


(うーーーん? クロがわたしの前で恰好つけてる? そんなことあったかしら?)


 とロージーはそう思いながら、右隣りに立つクロードの顔をまじまじと見つめるのであった。何故かクロードはロージーと視線を合わせないように顔をやや右方向に向けている。


「はははっ。ローズマリーくんは気づいてないようですが、クロードくんには心当たりがバリバリあるようですね? ローズマリーくん。機会を見つけて、クロードくんに聞いてみると良いですよ? クロードくんがしどろもどろになりながら、ローズマリーくんに弁明を開始しますから」


(ふーーーん。それはちょっと面白そうかも。クロって、わたしの前では自然体で居るように見えて、実はところどころで恰好つけてるのかしら?)


 クロードをいじるネタが出来たので、ロージーは満足することにした。そして、ハジュンの方に顔を向け直して、ハジュンの次の言葉を待つのであった。


「さて、遠路はるばるド・レイ家の屋敷までやってきてくれて、まずは感謝の言葉を述べさせてもらいます。ようこそ、我がド・レイ家へ! あなた達の到着を首を長くして待っていましたよ!」


「ちゅっちゅっちゅ。そんなことは良いから、さっさと本題に入れと言っているのでッチュウ」


 コッシローがややイラついた感じで、ハジュンがおこなおうとしていた美辞麗句の数々を止めたのであった。当然、ハジュンはコッシローに対して反論を開始する。


「えええ!? 先生、これでも歓待の言葉を3パターンほど練っていたのですよ? それをさも時間の無駄遣いのように言うのはやめてくれませんかね? コッシローくんは先生に冷たすぎなのですよ。先生にもっと愛情を込めて接してほしいんですよ!」


「うっさいんだッチュウ。どこの寺子屋スクール通いの恋に恋する年頃の女子学生でッチュウか。そういうのは、100歳を超えたおっさんが求めることじゃないでッチュウ。そして、お前の話は前置きが長すぎなんでッチュウ」

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