第3話 駆ける

――ポメラニア帝国歴257年 6月1日 午後2時過ぎ 火の国:イズモにて――


 クロード=サインは一刻の猶予も無いとばかりに、オベール家の面々が住む一軒家に一番近い町の駅馬車で馬を1頭借りて、大神殿がある街:オダニへと馬を駆けさせる。運の良いことに、次の町の駅馬車で馬を借りた時に、四大貴族のひとり:ハジュン=ド・レイさまが近々、下界に視察にやってくるという情報をクロードは掴む。


 都合が良すぎないか? とクロードの頭の中に疑問がよぎるが今はそんなことを気にしている暇などない。町民たちの噂によれば、ハジュン=ド・レイさまは、明日の6月3日:午前10時頃に浮島から大神殿へと転移門ワープ・ゲートをくぐって、下界に降りてくるらしい。下界に降りてきたハジュンさまがそこから先はどこへ視察に向かうかまでは、誰にもわからなかった。


 だが、重要なのは、クロードが大神殿で浮島へ昇るための許可を得る必要がないことだ。冷凍睡眠刑を受けたカルドリア=オベールが残した家族の従者をしているクロードが、四大貴族の屋敷がある浮島へ昇るための転移門ワープ・ゲートを利用できる道理など存在しないからだ。


 クロードは食事と睡眠を削ってでも、馬を駆けさせた。オベール家の面々が住む一軒家から大神殿までは、町を4つほど超えた先の大きな街の中央部にある。直線距離にしてざっ50キロメートル程度なのだが、如何せん、火の国:イズモは平野部でも林や森が多く残っている。


 日中ですら太陽の光が通りにくい深い森を、夜に抜けるのは危険だ。そういった深い森には、かならず魔物が住んでいるからだ。そのため、どうしても道行く人々は迂回路を通らなければならない。クロードも急がば回れと自分に言い聞かせて、なるべく魔物に出くわさないような安全な道を選んで、馬を駆けさせる。


 急ぎに急いだ甲斐もあってか、クロードは大神殿のある大きな街:オダニの入り口に6月3日の午前9時頃、到着することに成功する。クロードはへとへとになりながらも、駅馬車で借りていた馬を返し、休む間もなく、街の中心部にある大神殿へと足に喝を入れて、ゆっくりとではあるが、やや駆け足で向かっていく。


 クロードの眼に大神殿の全容が見えると同時に、大空に浮かぶ浮島から直径15メートルはあろうかという桜色に輝く円柱形の光の束が大神殿へと降りてくる。


(あ、あれはっ! ハジュンさまが下界に降りてきたに違いないっ!)


 大き目の町にある神殿の転移門ワープ・ゲートを利用しても、あれほど見事な発光は起きない。さすがは大神殿に設置されている転移門ワープ・ゲートである。普通の神殿にある転移門ワープ・ゲートとは違い、大神殿のそれは50人ほどを一度に運ぶだけの力を持っていると言われているだけはあるな……とクロードは感心せざるをえない。


(四大貴族のハジュンさまのことだから、最低でも騎士ひとりと兵士20人は引き連れているよな……。さらには従者5~6名ってところか……。へへっ。そいつらを振り切って、ハジュンさまのところまでたどり着けってか? こりゃ、命がいくらあっても足りないかもな……)


 クロードは今、大神殿の正面扉へと続く石で出来た緩やかな階段の中ほどの脇で、へたり込んでいた。ここまでの強行軍で、彼の体力は残りわずかとなっていた。これから自分が起こす騒動のためにも、少しでも体力を回復させようと人目もはばからず、石畳の上に片膝を抱え込んだ状態で座り込み、呼吸を整えているのであった。


 大神殿に降り注ぐ桜色に輝く円柱形が消え去っていく。それは幻想的でもあり、街に住む誰しもがその桜色の光を惜しむかのような表情をしていた。しかし、そんな街の人々とは対照的に、クロードは消えていく桜色の円柱形に眼を向けず、石畳の上で片膝を抱えて、ゆっくりと深呼吸をしていた。


 クロードの視線はただ大神殿の正面扉に向かっていた。彼は狐色の双眸の奥に静かに揺れ動く紅い炎を宿らせていた。その様はまるで林や森で野生動物を狩って生活する凄腕の狩人ハンターのようにも見える。クロードは虎視眈々と獲物が大神殿の正面扉から現れるのを待っていたのであった。


 もちろん、街行く人々は、大神殿の正面扉に続く緩やかな階段の脇で座り込んでいるクロードの姿を視認はしていた。しかし、強行軍でこの街までやってきたクロードの上着やズボンはところどころが裂けており、しかも、泥で服だけでなく顔までもが汚れていた。そのため大神殿に住む修道士からお恵みをもらおうとしている、ただの物貰いの類だろうと、それほど気に留めなかったのであった。


 街を往来する人々の憐れみ、もしくは蔑むような視線を喰らいながらも、クロードはそれを無視して、自分の役目を遂行しようと、呼吸と気持ちを整えていた。


 桜色の円柱形が消え去ってから10分ほど経った後であろうか。大神殿の正面扉がゴゴゴと低く重い金属音を立てて、大きく左右に観音開きされる。


 その大きく開かれた扉から、紅い金属鎧を身に着けた兵士が10人ほど出てくる。そして、次は騎士と思わしき筋肉隆々の人物が半裸の状態で大神殿から出てくるのであった。彼は赤褐色の肌の上半身の背中側に大剣クレイモアを革製のベルトで括り付けていた。


 革製のベルトは肩から腰に向かって巻き付けられていた。しかも上半身の肌を露出しているだけでも異様なことなのに、さらには見るモノを委縮させるような意匠が施された鉄仮面を顔に着用してたのだ。クロードの眼から見ても超弩級の変態か何かに見えてしまう。


「えっ? なんだ、あいつ……。あれがハジュンさまじゃない……よな?」


 あんな自分で自分を超弩級の変態だと宣伝をしているような筋肉だるまが、まさか四大貴族の一家の代表者なのか? と訝しむクロードである。あんなのが四大貴族の一家の代表なら、ポメラニア帝国はとっくの昔に滅びているだろう、きっとハジュンさまの騎士に違いない、変態っぽいが……とクロードは考えて、赤褐色の肌の男から視線を外すのであった。


 その超弩級変態の後ろを従者と思わしき格好をした3人組が大神殿から出てくる。さらにその3人組の後に続くように、蒼を基調とした黒の糸でド・レイ家の家紋が刺繍された外套マントを羽織る紳士然とする男が登場する。その男は琥珀こはく色の双眸で壮年のヴァンパイアであった。


 そのヴァンパイアは大神殿から外に出てきた後、ただちに民衆たちに向かって、右手を大きく左右に振っている。


「いやあ、出迎え、ご苦労さまですね! 皆さんは先生の顔を覚えていますか? もしかして、覚えてないとかっていう不遜なひとはいませんよね!? 念のために言っておきますけど、自分が火の国の実質的支配者であるハジュン=ド・レイですからね!?」


 クロードは蒼い外套マントを羽織るヴァンパイアを見て、ポカーンと口が開いてしまうのであった。四大貴族というのは、ポメラニア帝国に属する貴族の中では最高位である『侯爵』を与えられている。


 その身分の高さは、みかどに次ぐ地位なのだ。だから、民衆に対して居丈高いたけだかに振る舞うものだという思い込みがクロードにはあった。だが、石畳の上に座り込む自分から前方15メートル先を歩いていくハジュン=ド・レイには、そんな嫌みな感じをまったく受けないのであった。

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