第2章:オベール家の窮地
第1話 母
――ポメラニア帝国歴257年 3月7日 火の国:イズモにて――
「ごほごほっ! 火の国といえども春先はまだまだ寒いわね……。ここ、イズモの国に流れてきて早半年が過ぎ去ろうとしているのに、身体がまったく気候に合いませんわ……」
オベール家の奥方:オルタンシア=オベールは春先になっても、ベッドから出てこれるほどには体調は回復していなかった。半年前にオベール家に起きた惨事により、オルタンシアは過度のストレスをその身に浴びた。精神的に弱まれば、それは連鎖反応を起こし、体調まで悪化してしまう。
オベール家の当主であるカルドリア=オベールが汚職と収賄の罪により、刑期不定の冷凍睡眠刑に処されただけではなく、残された奥方:オルタンシア=オベールとその娘であるローズマリー=オベールにも累が及ぶこととなる。彼女らは魔物が多く住まう火の国:イズモへと流刑となったのであった。
しかも、流刑先である火の国:イズモは夏は32度に達するほどの高温でありながら、冬は雪が降り積もり、外の気温はひどいときは氷点下へと達する。
夏は高くて28度、冬も10度前後と比較的に温暖な水の国:アクエリーズとは、気候がまったく違うことがオルタンシアの身には毒となって、彼女の身体を蝕むのであった。
「オルタンシア、無理をされませんように……。暖かいスープを持ってきましたので、これで身体を温めてください」
そう言うは、オベール家の元・筆頭侍女であるチワ=ワコールであった。オベール家が没落したあと、オベール家の従者や侍女たちは自動的に解雇となり、他の貴族の家へ就職をしなおした。しかし、チワ=ワコールとクロード=サインだけは、オベール家の奥方と娘の流刑先である火の国:イズモへ共に流れてきたのであった。
「ごほごほっ。ありがとう……、チワ。あなたが見知らぬこの土地に共についてきたことに感謝しているわ」
「いえ。オルタンシアを守るのは、わたくしに与えらえた責務ですので。族長との約束もあります。わたくしがオルタンシアを見捨てることは決してありません」
チワ=ワコールは咳込むオルタンシアの背中をさすりながら優しい言葉を彼女にかける。そして、彼女の咳が少し収まったあと、ベッドの脇の小さなテーブルの上にさきほど置いた、コーンスープ入りの大き目のカップと小さな木製のスプーンを彼女の両手に渡す。
オルタンシアは渡されたカップをフーフーと2,3度、息を吹きかけた後、それを木製のスプーンですくい、ズズズと口に含む。コーンスープの濃厚な味に混ざって、肉の風味を舌に感じることが出来たのであった。
「うふふっ。
オルタンシアが満足気な表情を顔に浮かべて、また一口、コーンスープをごくりと飲むのであった。しかし、オルタンシアの表情とは対照的にチワ=ワコールの顔は曇ったままである。
「できましたら、コーンスープだけでなく、パンも食べてほしいところです。水の国:アクエリーズと違って、あまり質のよい麦を使っていませんが、そろそろ食感にはなれてほしいところです」
「あらあら。申し訳ないわ……。でも、どうしても米粉を混ぜたパンは匂いが、そのね?」
火の国:イズモは夏は高温多湿のため、麦ではなくて、米が主体に栽培されていた。米は麦とは違い、胃に訴えかけるような独特な匂いがする。そして、火の国:イズモは麦を北西に位置する風の国:オソロシアからの輸入に頼りっぱなしである。そのため、パンの原価を少しでも抑えるために、パンの原材料には米粉が混ぜられることになる。
それゆえにどうしても、火の国:イズモのパンはもっちりさくさくといった食感を味わえず、どちらかと言えば、舌と胃にどっしりとのしかかってくる。体調があまり良くないオルタンシアには受け付けがたい味なのであった。
さらにニンゲンは、気候だけではなく、水が合わないと体調を崩しがちになるものだ。長年、水の国:アクエリーズのやや硬水に慣れてしまったオルタンシアには、火の国:イズモの軟水は美味しく感じるものの、井戸から汲み上げた水をそのまま飲むことにどうしても馴染めない。
それゆえ、せっかくの美味しい水をわざわざ一度、沸騰させてからオルタンシアはこの国の水を飲むようにしている。娘は毎日がぶがぶと井戸から汲み上げた水を飲んでいるのがうらやましく思えてしまうオルタンシアである。
「そういえば、ロージーはどうしたのかしら? 昨日は残っていた雪がほとんど解けきってくれて良かったーって言っていたけれど……」
「ああ、ローズマリーさまなら、クロードと共に、庭でどうにかして花の育成が出来ないかと模索しているようです。どうやら、ローズマリーさまが少しでも生活費を稼ぐために、生花売りを始めるつもりらしいですね……」
水の国:アクエリーズから、この流刑地である火の国:イズモに彼女たちはやってきたわけであるが、質素でありながら2階建ての一軒家が与えられたのであった。いくら庶民の身分へと落とされたからといって、住む場所も着るモノも無しで、流刑地に飛ばされるのはあまりであろうと、オベール家の上司にあたるボサツ家が配慮してくれた結果でもあった。
この2階建ての一軒家には、オベール家の屋敷の庭に比べれば、申し訳ない程度の広さの庭がセットでついていた。しかし、手入れされている庭ではなく、雑草がぼうぼうと生えていて、一見、庭とは思えない様相であった。
そんな庭とも呼べない荒地で花を育てようなんて、ロージーはいったい何を考えているのかしら? とオルタンシアは思ってしまう。窓の外からはロージーとクロードくんの悲鳴にも似た叫び声が聞こえてくるのである。
「チワ? 出来たら、ロージーたちの手伝いをしてもらえるかしら? いくら若い2人でも、あの荒れ果てた庭とも呼べぬようなモノと闘うのは難儀しそうですし……」
「はい。わかりました。オルタンシアが、パンも食べ終わるのを確認してから、2人のお邪魔をしてこようと思います。コーンスープのお代わりを持ってきますので……」
「あらあら。チワは意地悪なのですわ。そこはパンはわたくしにお任せください! この
オルタンシアの冗談をチワ=ワコールは、はいはいと受け流し、彼女から空になったカップを受け取り、彼女の部屋から退室するのであった。オルタンシアは、あらあら、かわされちゃったわと思ってしまう。
そんなニコニコ笑顔であったオルタンシアであったが、チワ=ワコールが部屋から退室したのを見届けた後、彼女は我慢していた咳をゴホゴホッとつきだすのであった。
「やれやれ……。思っていた以上に、私の身体はやわに出来ていたようね……。このまま、火の国:イズモの高温多湿な夏を迎えることが出来るのかしら?」
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