第10話 士爵

――ポメラニア帝国歴256年 9月1日 水の国:アクエリーズにて――


 この日、宮中より、第1皇女:チクマリーン=フランダールとボサツ家の次男:ナギッサ=ボサツとの結婚式の正式な日取りが各地に発布されることになる。


 帝国に所属するどの国でも、領民たちはこれをこぞって祝い、国中がお祭り騒ぎの賑わいを見せるのであった。特に水の国:アクエリーズの実質的支配者であり、かつ、四大貴族の一家:ボサツ家は民衆たちに今年の税の減免及び、犯罪者たちの減刑を宣言する。


 殺人などを起こした重犯罪者においては死刑から無期懲役へ。傷害罪などによる中犯罪者は半年から1年の刑期の短縮。そして、万引き・食い逃げ程度の窃盗罪に関しては無罪放免で、留置所から釈放されることになる。


 水の国:アクエリーズの住民たちは、寛大なボサツ家の処置におおいに喜ぶ。しかし、ボサツ家はそれだけでは足りぬとばかりに、急遽、収穫前の祭りを執り行うことを宣言する。


 ポメラニア帝国のどの国でも、10月始めから半ば過ぎには秋の収穫祭が住民たちの手により自主的におこなわれているのだが、四大貴族の一家が祭り自体を取り仕切るなど、50年に1度の珍事が起きたのである。


 各地の祭りはその町や村を治める男爵や子爵が取り仕切る習わしとなっていたのだ。四大貴族のような【侯爵】が出張ってくることなど、まずそんなことは無いといっても過言ではなかった。


 それほどまでに、ボサツ家がみかどとの繋がりが強まったことに喜んだあかしともいえよう。


 そして、ボサツ家の派閥の傘下に入っているオベール家、コーゾ家もまた、収穫前の祭りに従事することになる。これは両家には寝耳に水であり、収穫祭に値するものを短期間で2度もしなければならない事態に陥ったこととなる。


 オベール家の当主であるカルドリア=オベールは東奔西走とうほんせいそうさせられることとなる。ただでさえ、自分の愛娘とその護衛役が『婚約』を交わしたため、その護衛役に『士爵』をもらおうと、上司に当たるボサツ家に働きかけている真っ最中だというのにだ。


「ううむ。これは困ったことになった……。オルタンシア。きみの手を借りることになる……」


「あらあら。これは大変なことになってしまいましたわね? どうせなら、今後のためにも、ロージーとクロードくんに祭りの手伝いをさせます?」


 カルドリア=オベールは、妻からの提案をなるほど、それは良いなと思ってしまうのであった。将来的に、娘のロージーは自分に代わって、領地の町や村の住人たちとこれまで以上に交流していかなければならない。カルドリア=オベールとしては、ロージーが16歳になり、さらには『成人の儀』を終えたあとの来年の春におこなわれる豊穣祈願の祭りにでもと考えていた。


 それが半年ばかり早まるだけであり、さらには、こういう行事には若い内から関わっておいたほうがロージーのためにもなる。


「ううむ。では、きみの案を採用させてもらうよ。今は猫の手も借りたいほどなのだ。ロージーとクロードくんには自分から伝えておく。あと、屋敷は空けがちになるから、きみと筆頭侍女のチワ=ワコールくんに頼りっぱなしになるのが心苦しいが……」


「あらあら。彼女ならば、甘いお菓子の差し入れでも、時折、しておけば良いかと思うわよ? 彼女は常々、宮殿でみかどが食している『苺のショートケーキ』とやらを食べてみたいと、こぼしていましたわよ?」


 みかど、及び、四大貴族たちはお菓子作り専門の料理人【パティシェ】を雇っていた。パティシェは日々、みかどたちに、ほっぺたが落ちそうなほどの甘くて美味いお菓子を提供している。


 先日、みかどが開催した酒宴の席でも、そのパティシェたちが腕によりをかけたお菓子の数々が提供された。オルタンシアは肉料理よりも、そのパティシェたちが提供するケーキの数々に手をつけていったのである。


 そしてあろうことか、甘いモノに眼がないオベール家の筆頭侍女であるチワ=ワコールに、大変、美味しかったわ。特に『苺のショートケーキ』は本当にほっぺたが落ちたのかと錯覚しましたわと言ってしまったのである。


 その時のチワ=ワコールが彼女らしくもなく、ハンカーチを口に咥えて、さらには涙目になっていたことにカルドリア=オベールは驚いたものだ。


 しかしだ。アレは四大貴族並びにみかどとその周りが雇っているパティシェたちが作ってからこそだ。『苺のショートケーキ』を手に入れようとするならば、これまた上司にあたるボサツ家に頼み込まなければならなくなる。


 カルドリア=オベールは次々と自分の身に降ってくる難題に頭を抱えそうになる。一難去れば、また一難とはまさにこのことだ。いくら上司と言えどもボサツ家に借りを作りたくないというのがカルドリア=オベールの本音である。ただでさえ、クロードの『士爵』の話をボサツ家に持ち込んだ際に、ついでだから、オベール家は『男爵から子爵』に位階ランクを上げないか? と誘われたのである。


 ボサツ家の当主:エヌル=ボサツの言い分としては、オベール家は自分の領内の会計だけではなく、周辺貴族の分まで、会計補佐をやっているのだ。それは『男爵』としての地位を凌駕した仕事なのだと。ならば、それに相応しい地位の向上を望むべきだとボサツ家の当主:エヌル=ボサツは言ってくれているのである。


 しかしだ。いくさの無い今の時代において、その政務の腕が認められて地位を上げたモノなど、宰相:ツナ=ヨッシーを除いてほとんどいない状況であった。やはり、貴族が自分の位階ランクを上げるには武功を挙げる道しか無いのが現状なのだ。


 逆にこのことは貴族の身分の安定を意味するのだ。いくさが無いということは、同時に武功を挙げるモノが存在しないことである。ゆえに貴族たちは自分の今の位階ランクから蹴落とされる心配が無いのである。


 男爵位よりさらに下位には、『准男爵』、そして『士爵』という騎士の階級がある。魔物退治で功を挙げた武人などが『士爵』をみかどや四大貴族から与えられる習わしとなっている。しかし、士爵は村長程度しか権限が無い。さらには士爵に与えられる土地も開拓すべき土地が多く残されている風の国:オソロシロア、もしくは、魔物が多くはびこる火の国:イズモである。


 愛娘との婚約者であるクロード=サインの場合は、ロージーが『男爵』を引き継ぐ以上、形式上でも貴族の身分にならなければならないという事情があるので、カルドリア=オベールは『士爵』という名だけが欲しいのであった。


 だが、ボサツ家の当主から『子爵』を受け賜わることになれば、ロージーの将来の夫となる予定のクロード=サインの位階ランクも上がらなければ、おかしい話になってしまうのだ。


「ううむ。面倒事が次々と増える……。これはヤオヨロズ=ゴッドが自分に与えた試練なのか?」


 カルドリア=オベールは、自分のやるべき仕事が一向に減らないことに、ため息をつかざるをえないのであった。

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