人を殺す者

 飛鳥とシェリアもシートンに続き身を潜める。そして、その視線の先を見た飛鳥は……。


「あっ!」


 思わず飛び出しそうになった。柄にもなく我を忘れ体が勝手に動いてしまった。


 そんな飛鳥の右腕をシートンが掴む。


「シートンさん! 何で止めるんですか!? あれじゃ、あのままじゃ、……あの人が!」


 三人の視線の先にはカインが横になっていた。そして彼の周りには血の海が広がっている。


 だが、シートンは今すぐ駆け寄ろうとする飛鳥を制止するしかないのだ。


「落ち着け、可哀想だが……、あれはもう助からない」


 血の海の中で倒れるカイン。そしてその上には、跨るように四足歩行の魔物がカインの肉を貪り食っていた。


 その様子に流石のシェリアも顔が青くなり口元を手で押さえる。


「でもっ! あの人は、俺のせいで……俺が素直に謝罪を受けていたら、……せめて遺体だけでも!」


 飛鳥はシートンの掴む腕を振り切るためさらに力を込める。


「あぁ、もう! 先に謝っておくよ!」


 呆れ、そして怒りを込めたシートンの声が耳に入ると同時に飛鳥の掴まれた右腕に激痛が走る。そしてその痛みは瞬く間に右肩へと伝わり、やがて胴体を左肩から斜めに切られたような範囲で止まった。だが、その痛みはすこし和らぎつつも未だ治ることはない。


 そのあまりの痛みに地面に倒れ悶える飛鳥を見て、シェリアが必死に回復法術をかけるが全く効果はない。


「図になるなよ。彼は彼自身の意思でここに来たんだ。それをさも自分のせいとか……彼を侮辱するのも大概にしろ!」


 あの魔物に聞こえない程度の声量だが、その声質から確かな怒りを感じ取った。そしてそれはすぐにいつもの優しい声に戻った。


「ごめんね、あまりに聞きわけがなかったから。たぶん、すぐに治るよ」


 そう言われるもこの常に鈍器で殴られているような痛みがそう簡単に収まるとも思えない。だが。


「あがぁぁぁぐぁぁ……がぁ……はぁ、はぁ!……あれ……」

「アスカ、大丈夫?」


 今にも泣き出してしまいそうシェリアに支えられながら体を起こす。

 その間もシートンは魔物から目を話すことはない。


「何を、したんですか?」


 シートンは一瞬飛鳥をちらっと見たがすぐにまた視線を魔物に戻し言う。


「簡単だよ、君の中に僕の聖術気を流し込んだ。腕からね」


 今もなお疑問顔を浮かべる飛鳥にシートンは溜息をつく。


「この世に存在する全ての生きた生物は他の生物の聖術気が体内に入った時、極度の拒絶反応を示す。聞いたことない? ……魔物は魔核を持たない純粋な人間の肉を好むって」


 以前キセレが言っていた気がする。人間が魔物に最も狙われる理由は体内で聖術気マグリアが自家発電されず、その身に宿すのは空気中に漂う純粋な聖術気マグリアを取り込んだもののみだと。


 飛鳥もシートンに並び魔物に目を向けながら話す。


「でも、それが理由なら人間の聖術気が他人に入っても無害なんじゃないんですか?」


 飛鳥の疑問はもっともだ。人間の体内にあるのは大地から生み出された聖術気を取り込んだものだけ。魔物がそれを好むのなら他人に入れたところで問題は無いはずなのだ。


「それはまだ解明されていない。てか、他人から注がれた聖術気が理由は不明だが毒だと発表された方が先で、魔物がそれを好むとわかった方が後なんだよ」


 シートンは続ける。


「それに、人間が取り入れた聖術気は確かに純粋だけど、取り入れた瞬間にその人オンリーの聖術気に変化することが分かっている」


 つまり他人の聖術気を体の中に取り入れると毒となり、魔物はそれを好む。いまいち要領を得ず、飛鳥の頭から疑問の念は消えない。


「でも、その毒が魔物や魔族に効かないわけじゃない」


 飛鳥はシートンが本当に何を言っているのか分からなくなった。大地から取り込んだ聖術気はその人のものになり他人には毒である。だが、魔物はそれを好み、且つ有効打にもなる。シェリアも飛鳥と同様に頭を悩ませる。


「すみません、もうちょっとわかりやすく説明してもらっていいですか?」

「つまり、魔物の魔核にさっき君にやったのと同じように聖術気を流し込んでやれば、聖術気のみで活動を続ける魔物、そして魔族はそれだけで倒せてしまう」


 飛鳥は今は細かいことは全て無かったことにし、聖術気を魔物に流し込む。ただそれだけを頭にねじ込んだ。


「それなら、さっさとあの魔物を倒すべき、じゃないの……?」


 今度はシェリアが問う。


「こんなところで見てないで、皆でかかっていった方がいいんじゃないの?」


 シェリアは真っ直ぐにシートンを見る。シェリアにとっても目の前で人が死ぬ、それも魔物の食い物として、何て経験は一度たりともない。


 だが、シートンは首を縦に振ることはなかった。


「あぁ、僕も普段ならそうしてた。……でもね、僕も初めて見たんだよ。ここまで育った魔物を……」


 シートンの顔はすでに冷や汗に覆われている。ナウラ一の冒険者であってもあの魔物がそれほど恐ろしく見えているようだ。


 確かにその風貌は毛など全く生えていない真っ黒い体で、見ただけでわかるその強靭な筋肉に包まれている。額から長いツノが一本生えており体長と同じぐらいの尻尾が生えている。


 そして、


「グガガガガガガガァァァ!」


 もはや生物とは思えぬ声をあたりに撒き散らす。するとその魔物の体が光りだした。


「ほんっとに始まりやがった! 体を隠してっ! 今は見つからないように、やり過ごすことだけを考えてっ!」


 飛鳥もシェリアも何が起こっているのか分からずシートンの言われるがままに身を隠す。


「誕生するよ、人類の天敵――」


 シートンは子供達の目を抑え出来る限りその姿を見せないように覆いかぶさる。


「――魔族が!」




 ——————




 魔族の生まれ方には二種類ある。


 一つ目が魔族同士で子をなすこと。だがこれにはある条件がある。

 魔族が『人類』に対し敵意を全く持っていないのは魔族の総数の約二割。そして子をなせる条件を持つ魔族はそのさらに三割ほど。

 つまり魔族同士の行為により生まれた魔族というのは極端に数が少ないのだ。


 二つ目は進化。魔物の誕生は現象にも近く未だ、いつ、どのタイミングで生まれるのか全く分かっていない。その魔物があらゆる物を食べて食べて、それを己の力と変えてゆく。魔物にとって不純物を含むはずの亜人族、純粋な聖術気を持つ人間。さらには聖術気を溜め込むことの出来る物ならそれが木や岩でも構わない。何でも何でも何もかも、食べて食べて食べ尽くす。

 そして、それにより蓄積された聖術気が己の限界を超えると魔物にある変化が起こる。かつて食べたのもの特性や姿形を取り入れた変化を起こすこともある。

 それが魔族の誕生だ。


 今、目の前で起こっているのは、まさにカインを食す事によって起こる進化である。


 無制限に溢れ出ていたどす黒い聖術気マグリアが魔物の中へと収束されていく。四足歩行の生物の態勢が徐々に起き上がり、黒い皮膚は白さが増すと肌色で止まる。その体は筋肉に包まれ、あの魔物の象徴とも言えるツノと尻尾も健在だ。


「ぐ、あぁぁ……はぁ、はぁ。やっとか……」


 魔物から発せられていた光が収まる。そして進化前、あんなにも不快だった声は今は割と聴きやすい声となった。


「あぁぁぁぁぁ、におう。……にぃおぅぅぅなぁ。一、、四、六かぁあっはっはーっ!」


 完全にバレている。生まれたばかりの魔族がゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。


 聖術気の感知に関しては鈍感な飛鳥もその魔族の体内に収まりきらず漏れ出した聖術気マグリアの濃さに震えが止まらない。


「……仕方ない。僕がここに残ってあいつと戦おう」


 シートンがそう言った。だが、それがどれだけ無謀なことか飛鳥とシェリアはすぐに理解した。


「無理です! あれは、一人で何とか出来るわけありません!」

「ん、アスカが正しい」


 シェリアの手もわずかに震えている。クマとは直接対決できても魔族はそれだけ別格なのだ。


「まだ距離はあると言ってもここでじっとしているわけにはいかないだろ。ネオ、レイ。君たちも行くんだ」

「まっ、待ってよ! 俺たちも残る!」

「そうよ! 私たちだって強くなったわ!」

「いいやダメだ。あいつは今までの奴らとは格が違う、違いすぎる。もしものことがあれば誰が残った子供達に伝えるんだ」


 ネオ、そしてレイと呼ばれた子供達は静かに下を向く。だが、二人は溢れそうな涙をぐっと堪えている。


「なら、その子も一緒の方がいいのでは……」


 飛鳥は三人目の子供の方を向く。


「いいや、この子は足がすごく遅くてね。多分、君たちの足を引っ張ってしまう。それなら僕の近くにいた方が安全だ」


 シートンから出たのは意外にも否定の言葉だった。飛鳥はここまで覚悟を決めた男の顔を見るとそれ以上何も言えなくなった。そしてシートンは優しい顔でにっこりと笑う。


「大丈夫だよ。あいつ倒してすぐに帰るよ。……まぁ、一応街の兵士やギルドマスターに伝えてくれると助かるかな」


 最後の最後までひとを心配させないようにするシートンに飛鳥は言葉が出なかった。だが、子供達が我慢している手前、その青い瞳からは涙を出すわけにはいかなかった。


 シェリアもその金色の髪で顔を覆っているが僅かに見える口元は固く閉じられていた。


「よし、三、二、一、〇で行くよ。……三」


 カウントダウンが始まった。それと同時に魔族の足も進む。


「……二」


 シートンの視線は草陰越しだがしっかりと魔族の姿を捉えていた。


「……一」


 俺は、俺はなんて弱いのだろうか。


「……〇! さぁ行け! 走れ!」


 その瞬間飛鳥はネオの手を、シェリアはレイの手を握り立ち上がる。


「必ず応援を読んで戻ります!」

「待ってて!」


 飛鳥とシェリアはシートンの後ろ姿にそう残すと振り返ることなく走り続けた。

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