壱ー2




「もう死んだほうが楽な気がしてきた」

「もう既に目は死んでるよメグ」


 机を挟んで向かい合っている彼女に、真顔で言われたので真顔で返す。

 真剣な表情とは裏腹に瞳は絶望色の闇が広がっており「もうやだおうち帰りたい」と切実に訴えかけてきていた。


「世の中のテストと呼ばれる類は全部滅べばいいのに! 競って勝った負けたなんてやったって誰も幸せになれないよ!」

「人間として成長は出来ると思うよ?」

「人間皆最後は死んで千の風になってあの大きな空を吹き渡るんだから意味ない!」

「そういうコトは倫理の赤点脱却してから言いましょうネー」

「そういう弥生はどうなんだよ!」

「だって毎日予習と復習やってるもん」

「裏切り者!」

「思わぬ濡れ衣だよ!」


 メグ――喜志元恵キシモトメグミは奇声を上げて両手も上げて、それから勢い良く私の机に突っ伏した。

 まるで泣き上戸の酔っ払いのように、彼女は延々と盛大に嘆き続ける。

 最初は周囲の視線が痛かったけれど、試験が近づく度にこれは繰り返されるので、周りも私も既に慣れたものである。

 メグはこうしてたびたび私にノートを見せて貰ったり、勉強を教えて貰いに来る。本人は気付いていないようだけど、頬にプリントされた落書きによって彼女がまともに授業を受けていないのは簡単に察せた。

 おおかた今日は一通りホモォな絵を描いて、満足してからずっと寝てたな。

 学校のテストなんて、授業さえ真面目に聞いていれば点数取れると思うのだけど。ここは進学校でもないし。


「ちゃんと授業聞いとけば……」

「実は母上が重い病で介護が云々」

「昨日メグが電話してきた時中年女性の元気そうな声が通話越しに聞こえてきた」

「アレはウチのメイドさんの声で云々」

「じゃあメグが介護する必要無いよね?」

「謀ったな貴様ッ!」

「次言われても絶対ノート見せないからね」

「死本静樹センセーのマンションの部屋教えてやった恩を忘れたか!」

「そっちから言ってきたんじゃん……」


 そもそも、それの所為で私は散々な目に遭ったのだし。あの一件以降、彼の部屋に入り浸っているのも事実だが。入り浸っていることは、メグには話していない。

 女子高生が独身男性の部屋に通い詰めているなんて、どう転んでも勘違いされるに決まっていた。特にこの子の場合は。


「そんで、どうだったの?」


 メグは身を乗り出して聞いて来た。


「何がよ」


 彼女の目が爛々と輝いている笑みに若干たじろぎつつも聞き返す。


「ナマの死本センセイ」


 彼女はずずいと更に私に詰め寄った。


「どうって……」


 彼女も死本静樹のファンだ。こうして仲良くしているのも、きっかけは死本静樹の作品の話で意気投合したからである。

 あの日本当は彼女も来るはずだったのだが、数学の早川に補習で呼び出されて行けなくなったと涙ながらに電話してきた。泣くことはなかろうに。

 むしろ彼女は運が良かったのかもしれない。

 失禁もせず、そして人間が自殺する有様を見ずに済んだのだから。それも二度。


「……変ってレベルじゃなかった」

「マジで!?」


 メグは目を輝かせた。彼女も大概変だけど、死本静樹は度を越している。


「今度は私も絶対行くからね!?」

「あ、多分やめといた方がいいと思うよ」


 慌てて、引きとめようと言葉をかける。


「なんでや!」

「……執筆とか忙しいみたいだし」


 自殺現場を目撃する事になるかもしれないとか、本人がそれでも死ねない400年生きているクリーチャーだからとか、事実を言うのはよしておいた。

 それに私は、彼が不老不死であるということを誰にも言わない約束で、彼の部屋に毎度お邪魔させていただいている。


「そっか、なら暇な日聞いておいてよ。教えてくれればあたしも行くから」


 あくまで付いてくる気のようだ。


「でも、だったらあまり話とか出来てない感じなの?」

「まあ……うん」


 忙しいから話が出来ないというのは嘘である。

 彼はかなりの速筆であり、仕事が立て込んだりすることはほとんど無いらしい。

 だから私も結構な頻度で、自分の小説を見てもらえている。

 問題は──その彼が、仕事をしていない時は何をしているかであって。


「そっか、残念だね」


 彼女は仰け反って椅子の背もたれに寄りかかった。


「何が?」

「弥生が前に、周りに同じ趣味の人がいなくて中々話せないって言ってたからさ」


 趣味の話が出来る人が増えたら良かったのにね、と、多分そう言いたいのだろう。

 確かに、身近にそういう繋がりを持てたのは良かったかもしれない。さらに言えば相手は曲がりなりにもプロの、それも人気な小説家だ。

 もっとも彼は競い合う相手と言うより尊敬する人物に近い。

 小説家としてはともかく、人間的には目標にしたくないけど。


「そういえば……あ、いや、ごめん、なんでもない」


 メグが言いかけて、やめる。彼女にしては珍しいことだった。


「気になるから言ってよ」


 私の追及に、彼女は少し困ったような顔を見せた。


「いや、あのね?」


 これも彼女にしては珍しく、潜めた声だった。


「生田目君、居るでしょ。生田目君も小説書いてたって、去年彼と同じクラスだった友達に聞いたからさ」


 私は「そうなの」と適当に相槌を打つ。

 生田目君とは、私のクラスでイジメられている男子生徒の名だ。





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