死本静樹ノ素敵ナ死ニ方
緑川蓮
序章『縊死(イシ)』
序-1
◆
同じマンションに有名作家が居ると聞いた。
かくいう私も死本作品を何冊か借りて読み、淡々としながら暴力じみている鮮烈な表現の数々に感銘を受けた。
ミーハーかもしれないけれど、彼が住んでいるマンションを知り足を運んだ。
ちょうど彼の住所が私の家と近かったのだ。
学校帰りに立ち寄ったので、斜陽がマンションのサッシを照り付けている。
遠くで駆け回る子供達の声がまばらに響く。
閑静な夕方はいつも通りの筈だった。
馴染んだ静けさが、妙に存在感を増している。
これから死本静樹に会うので、少し緊張しているのだろうか。
インターホンに触れる指は、普段よりも少し力んでいた気がする。
愛想の無い電子音が、虚しく残響になって遠ざかっていく。
音沙汰は無い。もう一度ボタンを押してみる。
待てども応答はおろか、足音も聞こえてこない。
外出しているのだろうか、やっぱり事前にアポを取るべきだったかな。
雑多に考えつつ、何となくドアノブへ手を伸ばす。
意外にもドアノブは下へ沈んだ。鍵が開いているらしい。
少し戸惑った。なので明確に足を踏み入れようと意識した訳ではない。
ただ開いた扉に応じて、条件反射的に前へ進み出た。
私の部屋と同じ玄関は飾り気がない。
引っ越して来たばかりなのかと思う程に簡素だ。
電気も点いていないので、生活感の無さが際立っている。
すえたような悪臭が鼻をつく。
すぐ目の前でぶら下がっている大きな影に、私の視線が縫い留められる。
そして迂闊を悔いる暇もなく声を飲み込む。まず何事か分からなかった。
徐々に事態を理解し始めた頭から血流が引く。
青年が首を吊っていたのだ。
「嘘でしょ」
呼吸と思考が数秒程停止する。
飛び退くように後ろへもたれかかる。
重い音を響かせて扉が閉じた。
青年は微動だにしない。
だらしなく下がった四肢に力は無い。
爪先から汚物が滴っているようだ。
眼球は半分ばかり飛び出している。
それぞれ視線はあらぬ方向へ剥いている。
半開きの口からは舌と唾液が垂れていた。
生気の無い全てが私におぞましさを叩き込む。
自分の口から息とも悲鳴ともつかぬ情けない音が漏れ出す。
震える両脚でへたり込む。息が苦しい。
眩暈もする。視界に星が舞ってちらつく。
青年は確実に死んでいると思われた。
「け、警察」
パニックに陥った意識の中で、正常だと思われる判断に縋ろうとした。
学生鞄の中からiPhoneを取り出した指先が震えている。
通話はどうやれば良いんだっけ。それすらほんの一瞬だけ頭から飛んでいた。
ダイヤルを押す画面に辿り着くと、今度はこの状況を、どうやって説明すれば良いのかという疑問にぶち当たる。
そして死体を一瞥した瞬間――。
――ぎょろりと死体の眼球がこちらを睨んだ。
「……っぎゃあああああああああああああああああああああああああ!?」
絶叫。
驚愕。
錯乱。
号泣。
確かに動いた。
眼球が動いた。
死体の眼球が動いた。
何だ今の!
何が起こったの!?
穴が空く程こっちを見ている!
人間らしい理性は弾けて失せていた。
混乱の枠を超えていた。
私の横隔膜が震え上がっている。
年頃の女子らしからぬ悲鳴が閑静なマンションに響く。
そしてあろうことか死体はじたばたと暴れ出す!
「ファアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
死体が軋む縄を握り締め脚を振り上げる。冷たい飛沫が飛んで来る。
何かと思い直ぐに汚物だと理解する。別の意味で咄嗟に悲鳴が出る。
拭う瞬間に頭上で板の割れる音がした。
直後死体が無様に顔面から落ちる。真下で溜まっているものに直撃していた。
死体は、青年は天井を蹴破って縄ごと落下したのだ。
「ゲッホッ! ケフッ! ガフゲヘッ、うえ……」
未だ混乱している挙句、自らも失禁していると気付いてしまった私を他所に、青年は肩を揺らして大きく咳き込む。
「アーア……なんだ、また死ねなかったか」
乱雑に首元の縄を緩めながら、彼は再びこちらを向く。
顔立ちは汚れながらも端整で、切れ長の瞳は飛び出していない。
瞳孔も開いておらず、私をただ静かに見つめている。
意外な美形もそうだが、何より彼が纏う不思議な雰囲気に息を呑む。
行った事も無いのに――どこか樹海の奥深くを連想させた。
「警察は止めろ。あと声デケーよテメエ。斎藤さんに怒られんだろが」
サイトーさんって誰だよ。
辛うじて心の中でツッコミを入れる程度の余裕は戻って来たらしい。
しかし脳内は未だに情報が錯綜を続けている。
有名小説家の自宅へ訪問。
青年の首吊り死体。
いきなり死体が暴れ出した。
とにかく何かひとつでも納得する為の取っ掛かりを欲する。
震える声で疑問が口をついて出る。
「な……何で、何でッ、なんで生きているんですか貴方!?」
「そういう意図じゃないのは分かるけれど、お前、傍から見たらブン殴られても仕方ない事言ってるぞ」
まだ少しパニクっているらしい。
青年は溜め息を吐いて頭を掻き、私は再び言葉を失う。
「そんで君は誰?」
埒が明かないと判じたのか、今度は青年からやや億劫気味に問い掛けて来る。
私は自分のいきさつを手繰るように、無茶苦茶に投げ散らかされた思考を拾い集めるように、そして自分が置かれている現況を再確認すべく、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「わ、私は……うたっ、歌方……
あまりにも弱々しく震えていたので、私が私の声を発しているという現実味すら無い。室内の暗さにさえ私を撹拌されていきそうだった。
端から端までを席巻する異常さが、私の常識を煙に巻こうとしている。
気が狂いそうだった。
「私、その、死本静樹っていう小説家のファンで……同じマンションに……死本先生が住んでいるって聞いて、お話を、あ、是非お話をお伺いしたいと……そう思って、番号を……部屋の番号を聞いて、来たんですけれど……」
何でも良いから逃げ出してしまえる理由を欲していた。
今すぐにでも飛び出して、全て悪い夢と言う事で、明日の朝には今日の記憶を磨り潰してしまいたかった。
しかし脚は震えて立ち上がれない。
こんなみっともない姿で表へ逃れられる訳もない。
「あなた、ひょっとしてあなたがっ……
「そうだけれど?」
何よりも目当ての人物が、真正面の自殺者だった。
首から縄をぶら下げたまま、顔面が唾液や胃液にまみれている黒いシャツの青年は、死本静樹はあっけらかんと即答する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます