英雄たちの帰還

 サシャ・ランベールは、『はるかなるきざはし』の頂きを見上げ切なげに息を吐く。

 常人には聞き得ない竜笛の繊細な音の周波を、フレッチャーを通してサシャもまた感じ取っていた。

 レッジョを覆う暗い瘴気しょうきの雲は徐々に小さくなり、『異界の扉』そのものが目視できるほどに縮小していた。耳をつんざく禍々まがまがしい雷鳴も既に鳴りやんでいる。状況は確実に鎮静化に向かいつつある。しかし、それでもなおレッジョの空を覆う瘴気しょうきは未だ不気味に生き残った人々を見下ろしている。

 ルロイたちの安否はもちろん。フレッチャーもモンスターとの闘いで消耗し過ぎた。サシャには愛竜の傷の度合いが、竜使いとして実感できてしまう。

この傷ではもう————

「大丈夫だ、きっと戻って来る。って、痛てて……」

「アシュリーさん」

 アナに肩を預け、血まみれの包帯で半死半生の体を戒めたアシュリーがサシャを励ます。見るからに空元気で、ようやく立っていられるような状態であったが、それは他の衛兵や冒険者も大なり小なり同じであった。


「怪我人で、動ける奴はこれで全員か?」

「酒だ酒!多少の傷くらいなら、飲めば動けらあ!」

「おい、そこのゴブリンの死体はメリノ河に捨てとけ。ドブサライヒルが片付けてくれる」


 また、明日から平凡な尊い日常を送るため、レッジョの市民軍はモンスターの死骸の片付けと、生き残った負傷者の手当てに忙殺されている。どうにかモンスターの群れをしのいで生き残った。もちろん、傷が悪化して数日後には破傷風はしょうふうで命を落とすかもしれないが、今は生き延びた喜びを同じレッジョを守り切った者同士分かち合うのだった。

「あうう……アシュリーさん。死んでもおかしくない怪我なんですから、安静にぃ」

「バッキャロー。アタシはあの変態猟奇女が死体になって戻ってきたとこへ、アイツのがらにまずはお清めの塩をしこたまぶっ掛けて、そいで心にもない弔辞ちょうじを垂れてやれるのを心待ちにしてんだ。まだ、死ねる……グハ!」

 力んだのがあだとなったか、アシュリーの傷口が開き包帯から勢いよく血がにじむ。

「アシュリーさんこそ、今死んじゃいますよ。市庁舎で横になってて下さい」

「うう……そうさせて、もらうぜぇ」

 アシュリーはアナの横に控えていたモリーに引きずられるようにして、トボトボと今や臨時の戦時病院として機能している市庁舎へと歩いて行った。

 アシュリーの空元気からげんきが、周囲の人々にも伝播でんぱしたか陽気な笑い声が沸き上がる。サシャの目には、すでに和やかな雰囲気のもとレッジョは守るべき日常を取り戻しつつあるのだった。


「みんな伏せろ、デカいのが来るぞ!」


 誰かが、必死の形相ぎょうそうで叫んだ。

 瞬間、サシャは空を見上げる。

『異界の扉』の奥が鋭く一閃いっせんした。同時に、サシャは愛竜のフレッチャーの最期の輝きをもった声を聴いた気がした。


「キュイイイイ————」


 次の瞬間、サシャは本能的に耳を塞ぎ両目をきつく詰むっていた。

 鼓膜を破らんばかりの轟音と、衝撃波がようやく静けさを取り戻したレッジョに容赦なく響く。爆風でほこりが舞う中、サシャは運よく建物の石柱にしがみつき難を逃れる。

 ほこりが収まりようやく視界が開けるや、サシャの目が捉えたのは『異界の扉』に繋がる『はるかなるきざはし』の最上部が無残にも崩れ落ちる光景だった。


「『はるかなるきざはし』が!」

「くっ、扉が閉まる。その衝撃波か!」

「フィオーレ猊下げいか、一旦市庁舎内へ退避を!」


 そして、崩れ落ちる瓦礫がれきの雨をうように潜り抜ける青き飛竜の姿が————


「あれは————」

 青き飛竜ともども傷だらけになりながらも、帰還する約束を交わした待ち人の姿がサシャのヘイゼルの双眸そうぼうに映える。

 時を同じくしてルロイ・フェヘールもまた、この災厄を生き延びた人々の中に、自分が生きて帰る理由となりえる彼女の存在を見て取った。

 フレッチャーの背に揺られながら見下ろすレッジョの町並みは、夕日を浴びて赤く輝いて見える。『はるかなるきざはし』最上部に鎮座ちんざしていた『異界の扉』はいつの間にか姿を消していた。同時に、残り火の様にくすぶっていた暗い瘴気しょうきの雲も完全に消え去り、レッジョの上空において燦然さんぜんたる日の光をさえぎるものはもはや存在しないのだった。


「レッジョだ、僕らは戻って来たんだな……」

「ああ、こうして見ると美しいじゃねぇか」

 ルロイの感極まった言葉に、エルヴィンが応える。

「まったく、危機一髪だったニャ。今回は追加で報酬貰わにゃ、割に合わないだニャ」

「そうかい、私は猟奇的に有意義だったがねぇ」

 ぼやくディエゴに、リーゼは鞄を指で叩きながらほくそ笑んでみせる。フレッチャーが人々の集まった中央広場を緩やかに滑降かっこうし、人々の輪の中へと降り立ってゆく。


「見ろ、ありゃエルヴィン・カウフマンじゃないか?」

「本当だ。みんな、英雄の帰還だぜ」

「いや、本当の英雄はあの三人と一頭さ」

「めでてぇ、めでてぇ!今日はレッジョが救われた記念日だ」

「レッジョを救ったルロイ、ディエゴ、リーゼ、フレッチャー万歳!」


 割れんばかりの歓声。

 皆、今日という日がレッジョにとって祝福に値する日になったと直感し騒いでいた。ルロイ・フェヘールはこの時ようやく理解してしまった。ようやくエルヴィンと同じ立場になって、ようやくエルヴィンの孤独を知ることができた。結局、十年前の心願の壺に掛けた自分の夢は今、この瞬間に叶ってしまった。

 ようやく手に入れた。ルロイにとっての夢と名声とはほろ苦い味がした。

「エルヴィン。僕は、あの時……君と共に苦しみたかった。今になってその気持ちに気付くなんて……」

「俺も、似たようなモンだぜ。勢いなんでも力業で何とかしてきたせいか、俺は俺に付いて来てくれる連中を無下むげにし過ぎた。その結果あの頃のお前を通して報いを受けたんだろうなぁ。まぁ今更、気付いても遅すぎて笑えるがな……」

「エルヴィン……」

「あ~あ、辛気しんき臭いからやめだ。それにロイ。今のお前にゃ、俺なんかより気にした方がいい相手がいるようじゃねぇか?」

「え、ああ……」

 エルヴィンにさとされ、ようやくルロイは群衆の中で己を見守るサシャと目が合った。

「ロイ!」

「サシャ、今戻りましたよ」

 全てのうれいを捨て去って、ルロイは喜びを叫んでサシャへ伝える。

フレッチャーが翼を大きくバタつかせ、ようやく地面に着陸すると周囲の歓声は最高潮に達した。が、同時にフレッチャーが倒れ込み、弱々しい鳴き声を上げたことをサシャは聞き逃す訳もなかった。

「————キュ」

「フレッチ!」

 群衆を掻き分け、サシャは愛竜の元へ飛び込む。

同時に、ルロイたちもフレッチャーの異変に気が付き慌てて背の籠から地面に降りる。ルロイがうなだれるサシャにそっと寄り添い、済まなそうに首を垂れる。

「済まないサシャ。最後の最後で彼に無理をさせてしまったよ」

「キュイ」

 ルロイの言葉にフレッチャーは、自分は大丈夫だとばかり短くうなずき返す。

サシャは、全てを悟り涙ながらに愛竜へと笑顔を作って見せる。今になって傷ついた人々と破壊された町並みが、ルロイの目に入る。

 皆多くを失ったのだ。だからこそ、今がある。十年前に自分の歪んだ野心と願いがあの悪霊の力を増長させ、ここまでの被害をもたらしたのならば、やはり自分に英雄たる資格などないと実感してしまう。皆自分たちの帰還を、歓喜でもって迎えてくれていることが、今のルロイにとっては後ろめたい思いで、素直に歓喜にむせぶ感情を受け入れるのを躊躇ためらっていた。

 そんな、ルロイの動揺を往年の親友は目敏めざとく感じ取ったのかエルヴィンはルロイの肩をそっと叩いた。

「ロイ、良い仲間に恵まれたな」

 それだけ言うと、エルヴィンは力なくフラフラとルロイに背を向け歩き出していった。

「エルヴィン、君は……」

「心配すんな。流石さすがにくたびれてだな。少し休ませてくれ」

 疲れ切った。しかし、満ち足りた声が返ってきた。

 十年周期の『異界の扉』の災厄が去った後、祝杯パーティが終わり一週間の後にエルヴィン・カウフマンは息を引き取った。奇しくも少しばかり体調の回復したサシャの愛竜フレッチャーが天に召されたのと同じ日、ほぼ同じ時刻であったことが、レッジョに新たな伝説を生み出すに至る。そして、後の歴史家が語るように、彼の死こそはまぎれもなくレッジョにとって一つの時代が終焉しゅうえんした証であった。

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