エルヴィン・カウフマン
「まったく、ヒデェ目に合ってるだニャ」
傷だらけの体をざらついた舌で舐めながらディエゴがぼやく。
「舐めるか、喋るかどっちかにしたまえみっともない」
リーゼが気だるげにディエゴを詰る。余裕を取り
「へっ……へへ、俺はまだまだやれるぜぇ」
ギャリックもまた、消耗したように息が上がってはいた。が、その双眸には狂戦士としての闘争本能を刺激された異様な光が燃え盛っていた。
「ぜーぜー……随分、奥まで来ましたね。やけに静かだ」
そして、幾多の激戦を潜り抜けた一行の中で一番息が上がっているのは他ならぬルロイなのだった。
「ヒャヒャ、どうしたよもやしっ子。まだまだこれからだろうがぁ」
ギャリックが、ルロイの肩をバシバシ叩き獰猛に微笑んでみせる。
ルロイたちはギャリックとリーゼのフェニックス勢いに任せて敵の壁を突破することに成功。そして後は、ディエゴの嗅覚とルロイの記憶を頼りに心願の壺が
入り口付近の雑多な風景が、進むにつれ徐々に
ルロイたちは不要な戦闘は避けるように、しかし戦うべきは戦い、連戦に次ぐ連戦。
「傷に響くので叩かないで下さい。まったく、それにしても随分と静かだ」
嫌に嬉しそうなギャリックを邪険にしつつ、ルロイは周囲の気配の変化に何か予感めいたものを感じ取る。
自分たちは中心部に向かって突き進んでいる。
現に進むにつれ、ダンジョンの形がかつての古代の遺跡が綺麗に残ったような
道を間違え横道にそれているようには思えない。立ちはだかるモンスターもそれなりに多く倒してきたが、まさか自分たちが狩り尽くしてしまった訳ではあるまい。で、あるならば他の強大な力を持ったモンスターの縄張りに自分たちが入ってしまったことなどが考えられるが————
「つーかよぉ、あんのでけぇ焼き鳥はどこ行ったよ?」
ルロイの考察など、知る由もなくギャリックが洞窟の中から身を乗り出してリーゼに疑問を投げかける。焼き鳥とはフェニックスのことなのだろう、言われてみればルロイもモンスターとの連戦に集中していて、いつの間にか自分の視界から消えていたことに今更気付いたのだった。
「焼き鳥ではなぁい。私の
「ゲェ、味も見たのかニャ!」
なにかとリーゼの工房で食い物をチョロまかしているディエゴも、リーゼの言葉にドン引きして顔を歪ませている。ルロイは苦笑いを浮かべながら、もと来た道へ振り返り目を凝らしてみる。
「あの連戦で、流石にフェニックスの魔晶石が壊れてしまったのでは?」
「あれは私の傑作と言ったろう。そんなやわに壊れる代物じゃないさ」
リーゼは少しむくれ、肩をすくめてみせる。
「そいじゃ、今どこにいるのニャ?」
「ふむ、『
「結局分からないんですね……」
リーゼは相変わらず平然としているものの、状況的に見てこれ以上フェニックスの支援は期待できそうにない。それでも、あれがかなりの敵の注意を引き付けてくれたおかげで、自分たちはここまで辿り着けた。これだけ活躍してくれた末に破壊されたのであれば、リーゼには悪いが御の字として扱って良いとルロイは考えていた。
「ん……ニャ」
「ディエゴ、どうしました?」
そろそろ出発してエルヴィンを見つけ出そう。と、ルロイがへたっていた地べたから立ち上がった時だった。
またしても、ディエゴが妙にソワソワした様に鼻と耳を神経質に動かし始めた。
「臭うんだニャ」
ディエゴはルロイに鋭く目配せをすると、
「近づいてくるのニャ。あのフェニックスが……あと、これは————」
ディエゴはルロイの渡した血染めの
それだけで、全てを察するには十分すぎた。
ルロイは可能な限り素早く武装を整え、ディエゴの指さす方角に目を向けた。ギャリックとリーゼもまたそれぞれの得物を構え、迫りくる殺気に意識を傾ける。
何か巨大なものがダンジョンの空気をバサバサと振動させている。
「おお、アレは……」
ダンジョンの虚空へ、エメラルドグリーンの眼差しを凝らしていたリーゼが声を弾ませる。巨大な炎を
「ククッ、随分猟奇的かつ、巨大に育ったモンだ」
淀んだ薄暗い灰色のダンジョンの虚空を、どぎつすぎるほど鮮やかな
その羽ばたきが迫って来るにつれ、ルロイたちの網膜にその暴虐な
「アレは————」
だが、そんな神々しい幻惑的なフェニックスの威容よりも一同の目を引き付ける存在があった。
「ヒャア、俺たち以外にも冒険者はいたってか?」
「間違いない、エルヴィン!」
十年の時を越え、ルロイは幼馴染の親友の名を叫ぶ。
男の顔はまだ分からない。
ルロイの言葉が耳に入っているかどうかさえも分からない。
それでも、純粋にルロイ・フェヘールは歓喜に震えていた。少なくとも、もう二度とエルヴィンと会うことなく、自身があの時裏切った謝罪の言葉さえ親友に掛ける機会を永遠に失う懸念はなくなったのだから。
「エルヴィン!僕だ。ルロイ・フェヘールだ!」
顔が認識できる距離までフェニックスが近づいた
エルヴィンの大剣が、建物のように巨大なフェニックスを魔晶石ごと暴虐に切り裂く。
動力である魔晶石を砕かれたフェニックスは、あっけなく中空で縦に真っ二つになり朱に輝いていた体も灰とガラクタへと帰してしまう。
もはや、用済みとばかりにエルヴィンはフェニックスの残骸を踏みつけ大きく跳躍する。地面に着地すると同時、ルロイはエルヴィンとようやく十年越しに眼を合わせることができた。もはや、その眼差しに己を焼き尽さんとする恨み、憎しみが込められようとも構わない。
自分はそれだけの罪を背負っている。その自覚がルロイにはあった。
「エル————」
ルロイは自らの言葉を飲み込む。
その顔にあったのは、青白い虚空。
何物をも思わない死者のような目。
友の成れの果ては冷たい殺気を持って大剣をルロイに構える。
それだけで、もはや対決は避けられないことは明らかだった。しかし、ルロイはそのエルヴィンの表情に
「ヴャヴァッハー!!俺ぁお前ぇと、一度お手合わせしたかったぜあぇ!!」
「リック!」
おそらく、ギャリックは本能的に悟ったのだろう。
目の前の男は、自らが知り戦ってきた戦士の中でも最高の獲物であり、強敵であり、戦士として尊ぶに値する存在であると。それが、元から闘争本能を無謀で括ったようなギャリックを突き動かしたのだ。
ギャリックは、自身を抑えきれずに闘争本能を解き放つ。
ギャリックという男の生粋の獰猛さ、攻撃性、野生、戦士としての誇り、強者への尊敬。恐らくはそれらの純度すべてを高めて相手にぶつける。
「ぶっ殺しいぃぃ!!」
瞬間、ルロイは目の前の光景を理解できなかった。
いや、したくなかったのだ。あんなにもあっけなく————
「リック……」
まるで、現実感がなかった。
空間が凍えたように止まって見えた。
巨大な金属の塊が凄まじい勢いで空間を抉った音がした。
直後、断末魔を上げることもなく得物の剣ごとギャリックの胴は両断されていた。
ギャリックの上半身が血と臓物を撒き散らしながら空を舞う。その顔には自らの死さえ闘いの中で迎えることができた喜びのためか、あるいは自らの死さえ気付く暇がなかったためか、獰猛な笑みが張り付いたままだった。
エルヴィンは血と臓物を浴びながら、ルロイへと大剣を振りかざし跳躍する。
ルロイの本能が恐ろしい早さで訴えかける。
どうあがいても勝てない。逃げろ!と————
ルロイは、ケープの中から竜笛を左手で掴みしそれをディエゴへ投げつけた。
「逃げろ!早……」
最後まで言い終わらない内に、ルロイの左腕が両断される。
すんでのところで竜笛は、ルロイの両断された左腕を離れ驚異的な瞬発力を発揮したディエゴが口先で竜笛を受け取る。
ディエゴとリーゼが刹那、ルロイと視線を合わせる。今となっては、これまで度々力になってくれた二人に、ここまで自分の尻ぬぐいに付き合ってくれたことへの感謝を最後に伝えられなかったことがルロイにとっても心残りだった。
分かっている————
と、二人は頷くかどうかも微妙に首を動かし、後は一瞬の
ルロイは、右腕に持ったチンクエデアで力なくエルヴィンの大剣を叩く。エルヴィンは、二人には目もくれずにルロイを睨みつける。
左腕を失った痛みと共に、周囲の情景と意識が嫌にゆっくりと動いて見える。
少しだけ救われた気がした。
エルヴィン————
少なくとも、あの時の君に僕はなれたのかもしれないのだから。
だが、結局自分は自分の弱さで陥れた友を救い出す事ができなかった。
「すまない。結局、君を救えなかったよエルヴィン……」
エルヴィンの太刀筋ならルロイは冒険者時代からよく観察し、鮮明に頭の中に叩き込んでいるつもりでいた。この十年で、腕がなまらないよう仕事の合間に剣の鍛錬も積んできた。しかし、『異界の扉』の中にて異形の戦士として戦い続けてきたエルヴィンの驚異的戦闘力の前にあっては、ギャリックの闘争本能も、ルロイの経験からくる予測もまったく通用しなかった。甘すぎた自分の
次の瞬間には、ルロイは大剣で両断された己の死を覚悟する。
「どうしたんだ、なぜ……攻撃してこない?」
————が、エルヴィンはルロイを攻撃するそぶりを見せない。
それまで死んだように無表情だったエルヴィンの目の奥で、一瞬何かが踊ったように見えた。それまで、固まっていたエルヴィンの口元がじっとりと意味深く笑っている。ルロイはエルヴィンのいや、今のエルヴィンを突き動かしているなにかの目的はルロイを殺すことにある訳ではないようだった。
エルヴィンが肉薄してきたことによって、ルロイは、再びエルヴィンの肩に突き刺さった破片に意識が傾く。落ち着いて目を凝らせば、陶器でできた何かが割れ砕けた跡のようにも見える。わずかながら、それが割れる以前の造形や文様が見て取れる。
「そうか、お前は……あの時の」
そう、忘れもしない。十年前のあの壺の中にいた————
「お前は、いったい何者だ?」
「それは、お前自身が一番よく知っている」
エルヴィンの口から、エルヴィンのものでないしわがれた声が発せられる。
《ルロイ、お前が本当にエルヴィンと自身を救いたければ、ウェルスの使徒たる魔法公証人として挑むのだ。でなければ意味はない》
「————っ!」
突如として、何者かがルロイに
師であるフィオーレの声がルロイの脳裏に蘇る。まったく、なんでこんな肝心なことを失念していたのか笑いたくなってくる。目の前の化け物の正体は、自分にとって呆れるくらい知りぬいた存在だった。
だから。もしも、今の自分にエルヴィンを救えるとしたら————
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