竜夢

プロローグ 竜騎士と飛竜

 飛竜は自由と言う無限の思想であり、

 竜騎士は飛竜と共に大空を神速で疾駆しっくすることにより、

 真の自由と救いを得ることができる。


 そんないにしえの教えを噛みしめながら今日も神速を極めんと空を舞う。

 雲一つ見えない澄み切った空の濃い青みが視界全体に焼き付く。

 それは美しいと思ったのは一瞬のことで、すぐに俺の意識は呼び戻される。

「フレッチ!フレーーーッチ――――――」

 愛竜のいつものあだ名を喉が千切れるくらいに叫ぶ。

 スピードを出し過ぎたツケだろうか、俺は運よく渓谷から突き出た老木に引っかかった。

 先ほどの空のように青い飛竜が渓谷の最奥の中へと墜落してゆく。

 愛竜は、遂に谷の間へと消えていった。

 フレッチャー。

 俺はいつもフレッチの名でその名を呼んでいる。

 空色の勇壮な体躯たいくと優しい黒の瞳を持つ美しい竜。

 その名を再び呼ぼうとして、俺の意識は途絶えた。

 その時をもって、永久に俺は空から追放されたのだ。




「俺は、随分長く気を失っていた。あいつは、俺をかばって死んじまったに違いねぇ。そう思った。だが、あれから一月ほど経って俺の竜とよく似た竜を『はるかなるきざはし』で見かけたって噂を聞いた。それを頼りに『はるかなるきざはし』のたもとで確かに見た」

「話の流れは分かりました」

 ルロイの眼前の男が、悔し気に机をたたく。

 男の名はマティス・ランベールと名乗った。

 屈強な体つきに短く切りそろえた黒髪に無精髭、意志の強そうな鷲鼻と青い瞳。男らしい精悍せいかんな顔立ちと言えた。レッジョにいる冒険者の中でも、戦士としての素養は頭が一つどころか、二つ三つは飛び越えた剛の者であると一目でわかった。そんな容貌に似合わず、マティスの顔は蒼白で、つい今しがた地獄から抜け出してきたようであった。

 事の始まりは数時間前、ルロイは驚きと喜びで短い間であったが童心に帰っていた。

 まさか竜騎士が自分の事務所に来るとはレッジョ、いやこの世に生まれた男児であれば、一度は冒険者かあるいは竜騎士に憧れるものである。

 竜騎士。

 竜の鱗で作った鎧を身にまとい、相棒たる飛竜にまたがり大空を疾駆しっくする雄姿。

 冒険者になること自体の敷居は低いので誰でもなれるが、成功するのは非常に狭き門である。が、竜騎士は、まず飛竜を見つけ相棒としなくてはならないので、なること自体が冒険者として成功すること以上に難しいとされる。そんな英雄と言ってよい人物が自分の下に来ようとは。

「つまり、自身の愛竜をどうにか取り戻せないかと」

「もちろんだ」

 マティスが語気を強めて頷く。

 マティスは事故ではぐれてしまった愛竜をどうにか見つけ出したはいいが、見つかった場所がまた厄介にも『はるかなるきざはし』だという。

「それにしても、『はるかなるきざはし』ですか……」

 ルロイも何度か耳にしたことがある。

 レッジョの中でも最も高い巨大な塔のダンジョンであり、その威容はレッジョの並み居るダンジョンでも最も存在感がある。出没するモンスターも百戦錬磨ひゃくせんれんまで相当手ごわい。それのみならず、上層部には人間並みの知性を持った幻獣が住んでいる。

 色んな意味で通常のダンジョンと一線を画す規格外のダンジョンである。そして、その名が示す通り、天へ向かって伸びる巨大な螺旋階段らせんかいだんのような塔であり、太古の昔には無念の思いを残してさ迷う死者の魂を無事に天へと送り届ける祭壇として機能していたとかいう伝説もある。

 一説には塔の頂上は異次元とも死後の世界に繋がっているとされ、基本そこは冒険者であっても不可侵領域であり、僅かに市の許可を得た商人と幻獣との間でレアアイテムの取引が行われる程度である。

「竜の名前は?」

「フレッチャーってんだが、俺はフレッチの名でいつも呼んでいる。」

「さぞかし、頼れる相棒だったでしょうね」

 ルロイの言葉に最愛の相棒を思い出してか、マティスの硬い表情が少しだけ緩んだ。

「ああ……明るい青色の飛竜で、大型のワイバーン種だ。人懐っこい黒い目で、蛇腹のほうは白、頭部には灰色の角が二本弧を描くように下向きに伸びている」

「それは、まぁ可愛いですね」

 飛竜と言えば、鋭角的な固い鱗と角に覆われた荒々しい空の幻獣と言う印象を、ルロイも持ってはいたが、思いのほか親しみやすい個体も存在するらしい。

「『はるかなるきざはし』の近くで遠目だったからはっきりとは分からなかったが、フレッチらしき飛竜を見つけたときには、驚いたよ。塔の上方で人型の幻獣と暮らしているようだった」

 それを聞いてルロイが頭を抱える。

 もっともそれこそが、マティスがルロイの事務所を訪ねた理由になるのだが。

 『はるかなるきざはし』が厄介な理由は何もモンスターの強さばかりではない。

 知能の高い幻獣によって、集落が作られているという意味合いでは、ダンジョンの中に街がありその中にレッジョとは違うある種独特の秩序が形成されている。ということでもあった。もっとも、ダンジョンがレッジョの領域内にある以上、ウェルスの法を始めとしたレッジョの法律もここでは有用ということになるのだが。

 なにせ、モンスターも段違いに強い上、狡猾こうかつな知能を持った幻獣、交渉やら場合によっては戦闘を含めてやり合わねばならないとなると、これまででもっとも過酷な仕事になるかもしれないと、ルロイは気が遠くなるのだった。

「もし、フレッチが生きていたとして、取り戻せるか?」

 マティスの問いかけに、法典をまくりながらルロイは渋い顔をする。

「無きにしもあらずですねぇ……即時取得そくじしゅとくと言って、レッジョの都市法にこんなのがあるんですが……」

 ルロイは本棚にある分厚い本を取り出しページをめくって、そこを指さした。

「取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する」

 マティスは苛立ちまぎれに顎の無精ひげを指の腹で撫でつけ、いよいよ目がきつくなってゆく。いくらルロイが鈍かろうが、もう少し分かりやすく説明しろという雰囲気がピリピリと伝わってくる。

「要は、フレッチャーの現在の飼い主らしきその幻獣が正式な取引でフレッチャーがあなたの竜であることを知らず買い取り、かつ、そのことにつき過失がない場合は取り戻せないことになります」

「うむ……」

「しかし、その場合でもですね、一月前の事ですから、元の所有者であるマティスさんには買い取り請求権が認められますよ。もっとも相手方が商人に払った代価を弁償、つまりフレッチャーの買い取り金額をあなたが払わなければなりませんが……」

「ああ、そうかい……」

 マティスは力強く、だがどこか声色が上の空であった。

 まさかその場合、マティスは幻獣相手に力づくでフレッチャーを取り戻すつもりかもしれない。同時に、ルロイはマティスの様子から何か不自然なものを感じ取っていた。ルロイは苦々しく愛想笑いを浮かべ言葉を続けた。

「あー失礼ですが、マティスさん。今更根本的な疑念と言うか最悪の場合があるんですが」

「なんだ?」

「あなたの愛竜が既に亡きものである可能性があります。『はるかかなるきざはし』は無念の思いを残して死した者の魂が引き寄せられる場所として有名です。生前の姿となって姿を現すこともあります」

 マティスはいかめしい表情をしたままだった。その瞳の奥は悲しき動揺が見え隠れするようだったが、既に覚悟はできているようだった。

「あるいは、天魔のたぐいがあなたに最愛の者の幻影を見せているのかも、それにつられて生者を引き寄せてそのままあの世へ引き込もうとする。ありそうな話です」

「だから……?」

 ルロイが、くどくど後ろ向きの推測をするものだがら、マティスは憮然ぶぜんと再び眉を吊り上げ冷たい表情に戻っていた。

「……まぁ、真実は時として残酷なものですよ」

 ルロイは、歯に言葉を詰まらせながらも言い切った。

「覚悟はもうできている。取り戻せないならなら、せめてあいつの冥福めいふくを祈らせてくれ」

 ルロイは内心でそれならと、意を決し机から立ち上がった。

「分かりました。では共に向かいましょうか『はるかなるきざはし』へ」

 ルロイもまた、覚悟を決めるしかないようだった。



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