農村行政と戦馬鹿

「――――すぅ、空気が美味い」

 草の匂いが清々すがすがしかった。

 ルロイはレッジョの郊外に位置するルーポ村へ向かう途上であった。

 快晴の日の光を浴び、緑の絨毯じゅうたんの上でかおる木々の緑はレッジョ郊外の中で最も美しいとルロイは思う。

「おい、もたもたするな若造。最近はなんだかんだと言い訳をして税金の納入を怠る不届き者がいるからな。貴様もくれぐれも注意するんだぞ」

 隣を進む馬の上から威圧的な声が浴びせかけられる。徒歩のルロイが見上げれば、身なりのいい官服を着込んだ、体躯たいくは固太り気味だが顔は神経質そうな細面の中年が馬上のくらでふんぞり返っていた。

「はいはい」

 公証人の仕事の一環で、ルロイはレッジョ市参事会から農村行政のため派遣された行政官の書記として随伴ずいはんしている。その行政官というのが、このフランツ・フォン・ギュンター。という訳であった。レッジョの支配下にある村から税金を徴収する仕事の補佐。公証人の付随的ふずいてきな仕事としては一般的な部類だ。

「いいか、若造。奴らに甘い顔をするな。小賢しい村の奴らは、我がレッジョの恩恵を受けながら納める税はあれこれ言い訳をして納めようとせん。そもそも……」

 なおも説教じみたお喋りを続けるフランツを見上げ、ルロイは適当に愛想笑いを浮かべて相槌あいづちを返す。今日一日、フランツの苛立った声を聴かねばならないことを思うと、せっかくのすがすがしい気持ちが曇ってしまうのだった。

「村のみんなは元気だろうか?」

 気分を入れ替えるためにルロイは独り言ちる。

フランツの書記という仕事に加えて、もう一つルロイにはなすべき仕事があった。家畜飼育契約の履行確認についてである。これは簡単に言うと、レッジョの市民が所有する家畜の飼育を近隣農民に依頼する契約の一種であり、契約の満了時にその家畜の売却した際の利益、すなわち契約期間におけるその家畜の価格の上昇分を両者で折半するものである。多くは一年契約であることが多く、この時期になると家畜飼育契約の家畜の返還時期のため、契約が無事履行されたことを確認するためルロイはやってきたのであった。こうして、レッジョとルーポを仕事で行き来する内に馴染みになって仲良くなった村民もいる。ルロイの脳裏には懐かしい素朴な村の人々の笑顔が蘇っていった。久しぶりに彼らから世間話をしつつパン皿に注がれた野菜のポタージュスープでもてなされるのもこの仕事の役得であったし、なにより常に人でごった返したレッジョの界隈から静かな農村に来るだけでもちょっとした旅行のような気分転換になるのであった。それを思えばフランツの小言など、ルロイにとっては、まぁ許容範囲ではあった。後は、何事もなく仕事が終われば言うことはないのだが――――

 森の木々の隙間から獣じみた咆哮が木霊するのだった。

「何の鳴き声です?」

「まぁ、最近は物騒だからな。飢えたモンスターが人を襲っているのかもしれん。ワシも村の狩狼官しゅろうかんを務める冒険者を今回は護衛として雇ってある。そろそろ合流地点のはずだが」

 フランツが馬を止めてあたりを見回す。ルロイも釣られてあたりの草むらに目をやる。小鳥のさえずり、木々の騒めき、緑の匂いを運ぶそよ風。調和と平和そのものの風景。その中で「ザザ」という何かをかき分けながら不協和音が徐々に鮮明に広く耳に入っていった。

「ヒャッハー!」

 獣じみた絶叫がルロイの脳天に突き刺さる。瞬間、真っ二つになった猪型のモンスターが、草むらを突き抜けて鮮血と臓物を巻き散らしながら道の中央に勢いよくぶちまけられる。

「――――っ!」

 もはや背筋がひきつり絶叫を上げるどころではない。

「アブねぇとろでやしたね、行政官殿!」

 猪モンスターの無残な亡骸に続いて、鮮血に濡れた両手剣を持った冒険者と思しき男が草むらをかき分け歩み出てて、陽気だがドスの効いた声でフランツに会釈する。

「馬鹿もん!貴様の方が危ないわ!」

 フランツの叱責にも委縮した様子は一切なく、男はふてぶてしくしている。

 男は濃いオレンジ色の髪を額当てで抑え、ハリネズミのように逆立てている。ぎらついた猛禽類もうきんるいのような眼、くちばしのように尖った太い鼻っ柱、嗜虐的しぎゃくてきに引きつった口元から覗く犬歯はそのまま小さい獣なら噛み殺せそうだった。その有り体から感じ取れる印象は、男らしいを飛び越えて獣臭いと言ってよかった。

装備は冒険者としては標準的な上半身を覆う皮鎧だったが、あまたの激戦で酷使こくしされたためか、皮鎧は傷だらけで左肩の部分など無残に引きちぎれて肩肌が露出している。右肩には鉄製の肩当てを装備していたが、肩当てを上半身に固定するベルトには投擲とうてき用であろう投げナイフが所狭しと括られているのだった。常時戦場にあり。全身でそれを表現していることは嫌でも伝わってきた。

「もしかして、この人が……」

「そう、例の護衛だ。頭はともかく腕の方は文句なく一級品だ」

 紹介がてら嫌味を言うあたりフランツもこの男を持て余しているようだった。

「で、旦那そっちのもやしもんみてぇなのは?」

 男が剣の血糊を荒布でふき取りながら、せせら笑うようにルロイを一瞥する。

「ワシの書記として随行しておる公証人だ」

「ルロイ・フェヘールです。以後お見知りおきを」

「おう、俺はギャリック。ギャリック・オブライエンってんだ……」

 いかにもという感じの名前であった。

「最近、あんまし暴れてないからよぉ。退屈で堪らん。で、血が見たくてこの仕事を引き受けた訳よぉ」

「はぁ」

 それからギャリックも加わり、こうして今度はギャリックの身の上話にルロイは付き合わされている。

 ルロイの呆けた態度に、ギャリックも苛立ったようにため息を吐き出すのだった。

「はーっ、あんな猪豚一丁絞めたところでまだまだ滾らねぇよぉ」

 既に血糊をふき取り終え、剣身の白い鋼を日に輝かせ片手で軽々振り回して見せる。

「あっ危ないから、やめて下さい」

「おい、ここでその両手剣を振り回すんじゃないこの馬鹿!」

 馬鹿にハサミは何とやらである。

ギャリックと出会ってから、ルロイは薄々感じ取っていた悪い予感を確たるものにしていた。いつもの経験上、これは嵐の前の静けさが過ぎ去ろうとしているのだと。

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