第23話 レラの片隅

 気が付いた時にはもう朝になっていた。

 部屋に充満していたフローラルな香りと開けっ放しのタンスを見ると、昨日の下着ショックが夢ではなかったことを突きつけられ、落胆する。

 その後ベッドに目を向けてみると、スフィが腹を抱えたまま仰向けに倒れていたので、腹いせに気のすむまでもふもふを堪能させてもらうことにした。

 どうせ気を失った僕を見て大笑いしたのだろう。笑いすぎて気を失ったんだろう。

 確かに笑われても仕方がないかもしれないが、こうもハッキリと証拠を残されるとむしゃくしゃするのだ。許せ。


 思う存分もふもふ毛並みを堪能した後、今一度タンスと向き合う。

 今度は中を確認するためではなく、着替えを用意するためだ。

 本当は女性用の下着を着用するのはかなりの抵抗があるが、それしか替えが無いのだから仕方がない。

 穿かないという選択肢を考えもしたが、なんとなく神としての威厳に関わる気がしたのでやめておいた。まあ、既に威厳も何も無いと言えば無いのだが。


 下着はやたらと華美な柄が入っていたり布面積が狭かったりするものが多かった中から、出来る限りシンプルなデザインの物を選んで取り出す。

 一応、ショーツとブラジャーが一対で揃えられていることに安どのため息が出た。

 イアナさんのことだから、シンプルなものを選ぶと見越してそこだけ揃わないようにしてたらどうしようかと。……流石に考えすぎか?


 それから上下に着るものを下の引き出しから手早く取り出した。

 店の準備をするというのが何をするかまだ分からないが、できるだけ動きやすい服装にしておいた方がいい。

 上は半袖のブラウス、下は唯一のサブリナパンツを選択すると、軽く体を拭いてからぎこちない手つきで着替えを済ませる。

 最後に姿見を見て、変じゃないかを確認しながら髪を梳かした。

 腰まで伸びた銀髪は綺麗ではあるものの、これはこれで非常に面倒臭い。


「ふぅ……そういえば今何時でしょう」

「七時半よ」

「ありが――って、起きてたんですか。スフィ」

「ええ、おはよう。昨日はケッサクだったわ。あんなに笑ったのは生まれて初めてよ」

「お腹かかえたまま寝てる神獣も初めて見ました」

「…………忘れなさい」

「可愛かったですよ?」

「忘れなさい!!!」

「ごふっ!?」


 スフィの忘れなさいタックルが、見事僕の横腹にクリーンヒットした。

 横腹を両手で押さえて前傾姿勢になって悶絶する僕を、スフィは冷ややかな目で見つめてくる。

 そして丁度そのタイミングで、部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。


「ルティアちゃーん。起きてる~?」

「あ……はい。ちょっと、待って、ください」


 この声はネリスだ。きっと準備の話をしに来たのだろう。

 僕はどうにかして息を整えると、未だ残る痛みを堪えつつ部屋の扉を開けた。

 それと同時に、スフィがベッドの上まで逃げていくのが見える。

 ネリスのことがよほど嫌いなのか何なのか……まあ、放っておいても大丈夫だろう。


「おはようございます。ネリス。昨日の話ですよね」

「おはよ~う。そうそう、お店の準備――ってルティアちゃん!」

「はい?」

「今日はメイド服じゃないんだね! それもすごく綺麗だよ~」

「あ、あははは……」


 メイド服もこれも好き好んで着ているわけではないと言いたいところだが、ここは笑ってごまかしておく。

 今は店のことだ。

 扉の前で立ち話というのもなんだし、スフィには悪いが一度入ってもらうか。


「それより、よろしければ中に」

「うん。じゃあお言葉に甘えて」


 ネリスを部屋に迎え入れると、彼女は机の上に一枚の地図を広げてみせる。

 その地図は広大な平原を中心としたもので、丁度平原の真ん中に『ファルム』と書かれた印があった。おそらくそれがこの町の名前だろう。

 ファルムの上には森と思われる木々のマーク。そのさらに上部には、村と思しき印がある。森の北部にある村、門兵さんが言っていたものだ。

 後は右下、南東側にも村か町と思われる印が一つ。

 他は画面端に木や山と思しきマークがあるだけだ。


「分かると思うけど、これはこの町周辺の地図。真ん中がわたしたちがいるファルムだね。で、ルティアちゃんには、これからわたしと一緒にここ――南東にある町『レラ』に行ってもらうよ~」

「他の町……ですか?」

「うん! 人を迎えにね。ここまで言えばもうわかるかな?」


 ニコリと微笑んでみせるネリスの言葉に、僕は納得の意で頷き返した。

 開店準備の関係で人を迎えに行く。

 それもネリスとわざわざ一緒に行くと言うのだから、考えられるのはひとつしかない。

 僕の監視役となる人材を迎えるために、こちらから出向きに行くということだ。


「足はもう手配してあるから、準備ができたら外で待ってて~。多分日帰りできると思うし、最悪手ぶらでも平気かな」

「あ、はい。わかりました」

「うんっ! あ、地図は一応ルティアちゃんが持っておいて。じゃあまた後でね~」


 机に広げていた地図を丸めて僕に手渡すと、ネリスは準備のために部屋を後にした。


「さて、僕も準備……何かありますかね?」

「今からでも着飾って行けば? きっと似合うわよ」

「それは勘弁です! 絶対に!!」

「チッ」


 あれ?

 今舌打ちが聞こえたような。

 何か、スフィは僕のことを着飾りたいのか。

 イアナさんの趣味が影響してるのだろうか。どちらにしろ断固拒否させてもらう。

 似合う似合わないの問題ではないのだ。


 スフィの戯言はひとまず聞かなかったことにしておいて、ほかに何か準備が必要なものはないか考える。

 と言っても何も持っていないのだから持って行きようがないのだが……そういえばタンスの一段目の引き出しだけまだ確認していない。

 他を見ておいてそこだけ放置と言うのもなんだし、一応見てから行くとしよう。




 ◇




「ふふ~♪」

「上機嫌ですね、スフィ」

「当然よ。ようやくあのリボンから解放されたんだもの。空気がおいしいわ」

「そ、そうですか」


 ファルムから馬車で二時間ほど。

 レラに到着した僕たちは、さっそく目的の人をお迎えに向かっている。

 町と言うだけあってか、ファルムほど栄えてはいないものの、それなりに人通りも多く活気が感じられた。

 大きく違うところと言えば、この町は獣人やドワーフと言った亜人種の割合がファルムより多いことだろうか。ファルムの住人はほとんどが人間だが、ここは比較的亜人の方が多いように見える。

 僕は神になる以前も人間だった分、こういった光景は新鮮だ。


 ちなみにスフィが上機嫌なのは、あのタンスの中にスフィ専用の首輪が入っていたことが原因だ。他にも僕を着飾るためとしか思えないアクセサリーがいくつかあったのが、そこは見て見ぬふりをしておいた。


 首輪には赤い輪っかにリボン付きのベルが付いていて、今も僕の頭上ではリンリンと軽快な音が鳴っている。

 それにしても、僕のリボンの時はかなり不満げだったというのに、今度は喜んで着けているのだからよくわからない。

 考えられるとすれば、主であるイアナさんからの贈り物だから……とか?


 そんなこんなでニッコリ笑顔なスフィを頭に乗せて、僕とネリスは街はずれに佇む一軒の家までやってきた。


「家というか小屋ですね、これ……」

「あははは~、まあね。ちょっと彼は訳アリなのだ」

「はぁ……」


 本当に、ぼろっぼろの小屋だ。

 まあ、ファルムの貧民街に比べたらまだマシなのだが、明らかに怪しい雰囲気を醸し出している。

 まるで近づくなと言っているような、そんなオーラが出ている気がする。

 街はずれなだけあって辺りもかなり静かな雰囲気だし、一体どんな人がこんな場所に住んでいるのかと、かなり不安になってくる。

 だってこれから一緒にいることになるわけだし……ねえ?


 しかし僕の気など露知らず、ネリスは扉の前に立つと、かなり乱暴なノックをしてくれた。


「おーい! いるかーい!」

「……誰だ」

「ん? この声、どこかで……」


 小屋の中から響いてきた声。

 僕はこの声を、どこかで聞き覚えがあるような気がした。

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