復讐の系譜(1 カリスマ社長)

 澄み切った冬の夜空の上では、星々が瞬きながら見下ろしていた。紫月は湯割りのグラスを片手にクルーザーの縁に片肘をつきながら、飽きることなく空を見上げていた。時折口元から漏れる溜息は、一瞬白い靄となって海風に消えた。新月である。船内の照明が照らすごくわずかな周囲を除けば、何もかもが暗闇に隠れている一方で、星たちが無言で謳歌を歌っていた。

 一歩外海へ出れば、とても船上で酒を楽しむどころではないだろう。船酔いに弱い人間であれば、これでも耐えられないかも知れない。瀬戸内海の島で生まれ育ち、幼少から船も海も身近な存在だった紫月にとっては、まだまだ揺れの内には入らなかった。

 船が釧路港を出て、一時間余りが経とうとしていた。出張も予定通り済み、明日には札幌に帰るだけだ。妻にはどんなお土産がいいだろう。大事な時期だ。お腹の子どものためなら、厚岸の牡蠣なんかは、どうだろう。生であればなお良いが、それはさすがに我慢せざるを得まい。

 突然、星空がぐるぐると回りだした。いや、回っているのは船なのか。紫月には全く判別がつかない。平衡感覚を失った紫月は膝の力までもがっくりと力が抜け、尻餅をついた。紫月は焦点を定めることもままならず、大の字に崩れ落ちた。まるでふわふわとした、ここに居てここに居ないような感覚。

 俺の腕と足を抱えた。誰かわからない。だが、それをするのは彼らしかいない。腰が浮くと、振り子のように体が左右に反動がつけられる。抵抗は出来ない。力が入らない。

 俺の体が宙を浮いたのは、反動が二、三回ついた後だった。俺は仰向けのまま宙を舞う。飛んでいるのかも落ちているのかも分からない。直後、全身を叩きつける感触。冷たい。動けない。周りは何も見えない。俺はそのまま、真っ暗な奈落の底へと吸い込まれていった。

 紫月が布団から跳び起きた時、汗が全身を覆っていた。紫月の横では扇風機が低い音を立てて首を振り続け、窓ではカーテンがゆらめいていた。冷蔵庫から飲料水を取り出し飲み干すと、再び布団へと転がり込んだ。


 品川の社長室で、ルドルフ・フランセンはその朝も各社の朝刊に目を通していた。彼がオランダの本社より日本に派遣され、十年が経とうとしていた。経営危機に陥ったコーヨー電子はヨーロッパ最大の総合電機メーカー・ヘリオスグループの資本を受け入れ、子会社となった。

 今でこそ珍しくなくなったが、フランセンが乗り込んできた時は、日本企業が外資の傘下となることへの抵抗は、まだまだ根強かった。まして外国人を自らの上司として迎えることに、不安を覚えない者はいなかった。コーヨー電子は戦後の小さな町工場から総合家電メーカーに発展し、バブル時代には一時世界シェア三位まで上り詰めた、日本を代表する名ブランドの一つでもある。フランセン自身、本社の生産管理部門長からメキシコや南アフリカの現地法人社長を歴任しており、将来のヘリオスを背負って立つ次期幹部の地位は、半ば約束されていたも同然だった。日本は、それに向けての「見極め試験」でもあった。

 最初の突破口となったのは、コーヨーの幹部から末端に至るまでの巧みな人心掌握術だった。それは、まさにフランセンの天賦の才でもあった。時に日本語を、あるいはウィットを織り交ぜながら、

「私はコーヨーを乗っ取りに来たのではなく、皆さんとともにコーヨーを救うためにやって来たのです」

と連日のように社員に訴え続けた。テレビのニュース番組にも、自ら何度も出演した。下手な政治指導者と違って、予想もしないような鋭い質問に対しても臆することなく応答できるような柔軟性と即応力を併せ持っていたが、質問などに関するディレクターとの事前の打ち合わせもきっぱりと断った。最初は破綻寸前の日本企業に乗り込んできた外国人という形での注目ばかりを集めていたが、やがてお茶の間にも親しまれる人気者として知られるようになった。

 もちろん、経営者としての辣腕も忘れてはいなかった。緻密なコスト管理から不採算部門の売却に至るまで、フランセンは徹底して大鉈を振るった。就任して一期目は二百億円、二期目は五百億円と最終赤字が続き、メディアも彼の手腕を疑問視する論調が目立った。が、三期目が百二十億円、続いて四期目が一千億円の最終黒字を達成したとき、彼らが掌を返して「奇跡のV字回復」「フランセン・マジック」と讃えたのは言うまでもない。

 種を明かせば、それはマジックでも何でもなく、当然の結果でもあった。確かに業務リストラによってコスト体質は大幅に改善した。しかし、それは一朝一夕に成果を結ぶわけではないし、それ「だけ」で短期的な増益はまず不可能である。

 逆に、不採算部門からの撤退や含み損のある資産の処分など、事業とは直接関係のない損失は、経営者の意思決定によっていつでもできる。早い話が、就任早々に徹底的に損失を計上し、「底」を人為的に作ったのが、「フランセン・マジック」の正体だったのだ。別の名を「ビッグ・バス」と言い、風呂で汚れを落としたことを殊更大々的にアピールし業績改善を誇張して見せる手法である。実際、最初の四事業年度の間は、連結全体での売上高はほとんど横這いだったが、損益計算書をつぶさに分析するマスメディアは皆無で、フランセンが強調するがままに純利益(最終利益)の変動ばかりを追い続けていた。

 もっとも、これが所謂粉飾決算に当たるかといえば、それはノーである。もともと連結子会社・関係会社を含めた会社全体が存亡の危機にあったわけだから、赤字を出し続ける事業は損失覚悟で切り捨てるか、さもなくば時間と根気をかけて再建するしか方法はない。どんなに時価が取得時のそれを大幅に下回っていても、再び値上がりする見込みがない限り、その資産には今の時価以上の値打ちはない。逆に、資金繰りが逼迫しているのであれば、自己資本を削ってでも売り払って資金を捻出しなければならないことだって、状況によってはありうる。フランセンが初めに着手した「改革」は、いわば「膿出し」であって、コーヨー電子の再建という観点からは至って合理的な経営判断だった。

 フランセンが他の一般的な日本人経営者と決定的に違っていたのは、目先の株価の下落を厭わなかったことだった。程度の差こそあれ上場企業の経営者で、自社の株価が気にならない者はいない。ひいてはそれを理由に、株主から首を切られるやもしれない。目先の株価に一喜一憂して決断を先延ばしにした結果、結果的により悪化してしまったケースも往々にしてある。

 今やコーヨー電子は完全に倒産の危機から脱し、連結売上高も十兆円を軽く超え、往年の地位をほぼ取り戻していた。かつてはテレビから冷蔵庫に至るまでありとあらゆる家電をラインナップしていたが、フランセンはそれらの大部分を整理または他社へ売却し、経営資源のほとんどを携帯電話に集中させた。所謂ガラケーからスマートフォンへの市場のシフトへも巧みに対応し、国内市場のシェアも二位をここ五年間維持している。親会社の販路も活用して、国外の日本ブランド好きにも売り込むことを怠らなかった。おかげで、国内のライバル会社が軒並み負け続けている中で、北米でも中国でも確固たる地位を築いていた。

「とうとう前年度割れか。いつまでも中国に頼ってはいられないな」

 新聞を畳んで執務机に放り投げカップに僅かばかり残ったコーヒーを流し込むと、椅子に深く身を埋めて腕を組んだ。スマートフォンの普及も一巡し、国内市場は既に成熟期に入っている。これからは価格も下がり、体力の削り合いが続くだろう。コーヨーの稼ぎ頭は、中国市場だった。だが、その中国もいよいよ、陰りが見え始めていた。

 北米、西欧、そして日本といった所謂先進国が低成長に入って久しい中で、世界経済の頼みの綱となっていたのは「新興国」と称される国々だった。ひと昔のBRICs、直近で言えばVISTAないしネクストイレブンとも呼ばれる。だが、これらの国の多くは、大なり小なり不安定要因を抱えており、市場の魅力という点では中国に及ばないと言わざるを得ない。天然資源への依存度が大きいブラジルやロシアは材料の下落を受けて経済は停滞し、トルコも地政学的に不安定が増大の一途で先行きが読めない。パキスタンやナイジェリアは、その比ではない。期待できるのはベトナムとインドネシア、あるいはミャンマーだが、既に韓国勢が強力な地位を確保しており、後から割って入るのは容易ではない。ベトナムに至っては、韓国のASEAN圏における牙城とも言える存在で、サムスン電子の携帯電話工場もある。

 六〜七十年代の「漢江(ハンガン)の奇跡」で工業基盤を整備し、八十年代は価格力を売りにして輸出を伸ばしてきた韓国だったが、中国など他のアジアの国々が生産者として国際市場に参戦するようになり、いつまでも価格だけに頼れなくなってきた。かと言って品質面では、日本企業から中堅技術者を破格の待遇で引き抜くことで急速に向上させたもの、本家の日本勢にはまだまだ彼我の差が明白だった。

 そこで韓国が官民を挙げて打ち出したのが、独自のブランド戦略だった。とりわけ彼らが着目したのは、ベトナム、カンボジア、あるいは旧ソ連諸国など、社会主義体制や内戦などの理由で日本企業がほとんど進出していなかった空白地帯だった。こうした国々で高層ビルが林立し自動車が行き交うソウル市内の映像をテレビで流し、韓国イコール都会的・先進的な存在として現地の人々の憧れを掻き立てた。

 もう一つは、日本でもおなじみの「韓流ドラマ」を始めとするコンテンツである。時代劇・現代劇を問わず現地のファンを獲得することで、韓国への親近感やイメージアップの向上に果たした役割は少なくない。韓国のコンテンツ産業自体が、もともとは従来の自動車や家電などの工業製品に代わる外貨獲得源とすべく国の肝いりで育ててきたものであるが、代替するものではなく両者を併せることで巧みな相乗効果をもたらしたのだった。

 余談だが、所謂韓流ドラマは日本や中国など近隣の国に対しては、観光プロモーションとしての側面もある。もちろん、純粋に作品あるいは出演する俳優たちの魅力が満たされていることが前提だが、劇中で国内の名所や料理などをさりげなくアピールすることも忘れていない。「冬のソナタ」の舞台となったことで、人口の倍を超える観光客が日本から訪れた春川(チュンチョン)市は、ある意味で近年の「聖地」の草分けとも言えるだろう。いずれにしてもアメリカと並んで、ハードだけでなくソフトを国家戦略として活用して成功した数少ない事例であった。

 手を打っていないわけではないが、これらの中で有力なマーケットと言えば、ベトナムかインドネシア以外は難しいのが現状だ。いや、この両国でさえ、韓国企業の牙城を切り崩すのは容易ではない。せめて中国の半分の市場であれば、シェア争いに敗れても一定の利益は見込めるだろう。

 いや、まだある。ベトナムよりもはるかに巨大な市場規模を誇る国が。中国に次ぐ人口を擁するインドである。インドは韓国企業が既に一定の地位を確立しているところではベトナムやインドネシアと類似していたが、同時期あるいはそれより前から日本の有力企業も進出していたものの、多くがインド市場から撤退に追い込まれたか、韓国勢の前に苦戦を強いられている点で異なる。

 日韓両国の企業の明暗を分けたのは、現地化だった。たとえばLG電子は空気が埃っぽかったりネズミに齧られる、あるいは電圧が不安定といった現地特有の特性に対応した商品がヒットを生み、現代自動車は部品の調達を現地メーカーを主体にすることでコストパフォーマンスを確保した。もちろん、品質を確保するため、サプライヤーへの技術指導も怠らなかったが、耐久性を高めることで悪路が多いインドの現地事情にも巧みに適応した。それに留まらず、日常的に大きなターバンを着用するシーク教徒などのために、屋根を競合他社より高めにするほどのこだわりようだった。

 これに対し、日本企業は一番の売りである高品質にこだわり過ぎたことが、大きな敗因であった。トヨタ自動車でさえ、品質やそれを担保する系列企業のサプライチェーンが仇となり、現代自動車に大きく水をあけられてしまった。三菱電機や日立製作所などが得意とする省エネなどの機能が充実したエアコンでも、電圧の変化に適応できなければ、たちまち壊れてしまう。

 現在、コーヨー電子はインドに拠点を持っていないし、過去にもなかった。少なくともこの十年間は本社の再建が最優先だったので、新たに造る余裕は無かった。今からゼロから造り始めては、せっかくの勝機を失うだろう。だからと言って、金さえ積めば一朝一夕に出来るものでもない。勝手の全く異なる市場に打って出るには、市場の現状や法的リスクの調査はもとより、信頼の置ける現地パートナーの選定やその相手先との関係醸成、現地職員の採用など、避けて通れない課題が山ほどある。それを一つ一つ慎重にクリアしなければ、投資が無駄になるどころか、とんでもない大火傷だって負いかねない。たとえば中国に進出した企業でよくある失敗の一つが、現地パートナーの裏切りにより資本や技術や設備を丸ごと乗っ取られた、というケースである。

 フランセンは考えるたびに、落ち着いていられなくなった。拠点造りに二年も三年も待ってはいられない。焦るのには理由があった。元来通信インフラが弱いため、大容量の通信回線を必須とするスマートフォンとは相性が弱く、インドではスマートフォンの需要が伸び悩んでいた。それが近年になって通信環境が改善され始めたので、ようやくスマートフォンが日の目を見ようとしていた。コーヨーがインドでは勝負をかけるには、まさに今このタイミングしかなかった。

 執務机の内線電話が鳴った。秘書からだった。

「…そうか。やっぱりな。御苦労だった」

 受話器を置くと、フランセンは溜息をついて天井を仰ぎ見た。フランセンも何ら手をこまねいていたわけではない。既にインドに拠点を持つ日本企業を五社ほどピックアップして、提携を持ち掛けていた。候補企業の回答はみな、一様に同じだった。そして、今しがた最後の一社の返答が返ってきたところだ。

 日本では十分すぎる実績を既に積んでいた。もう三年もすれば役員としてオランダの本社に戻されるだろう。だがフランセンは、満足していたわけではなかった。将来のCEOをより確実にするには、やはりもう一押しが欲しい。そのためにも、ここでインド進出を諦めるわけにはいかなかった。

 フランセンはキャビネットのファイルを手にとり、ぱらぱらとめくった。


--株式会社日本ユニオン電機  資本金 二千億円  連結売上高 一〇兆円

 国内大手重電メーカーの一つ。二〇〇〇年代より現地企業との合弁により、携帯電話基地の事業を展開。現在に至るまで業績は堅調だが、業態が大きく異なるため相乗効果が期待しにくく、提携に関心を持つ可能性は低い。


--鳩山電機株式会社  資本金 八五〇億円  連結売上高 五千億円

 携帯電話メーカー国内シェア四位。インドへは二〇一〇年に現地法人を設立。昨年より労働条件をめぐって工場労働者との労使紛争が深刻化しており、不買運動への発展も報告されている。先月は施設の一部が暴動によって破壊されたとの未確認情報あり。


--株式会社菩薩工業  資本金 六〇〇億円  連結売上高 七千億円

 携帯電話メーカー国内シェア五位。一九九六年より現地企業との合弁により携帯電話の販売を展開しているが、インドのシェアは二%程度。本社は携帯電話事業そのものからの撤退を検討している。(フランセンのメモ書き: その後携帯電話事業の撤退を正式に決定し、同社が保有する合弁会社株式も全て現地パートナーが引き受けた)



--株式会社日本JX  資本金 一千億円  連結売上高 二兆円

 もともと主力商品は業務用無線機で、全般的に国内よりも海外の売上高が八割以上を占める。一九八〇年代初頭よりインドに進出し、現地でのブランド認知度も高い。国内の携帯電話(ガラケー)のシェアは僅かだが現地でも製造・販売しており、シェアも韓国企業の攻勢を受けつつも概ね一五%前後を維持している。現会長が全株式の三分の一強を保有しており、会長の強いリーダーシップのもと独自路線を貫き続けいてる。


--アズマ電器産業株式会社  資本金 一千三百万円  連結売上高 五兆円

 携帯電話メーカー国内シェア第三位。中国市場への進出の機会を逃したため、二〇〇五年に社運を賭けてインド市場へ進出。現地事業は順調だが伝統的にコーヨー電子に対するライバル意識が強い社風のため提携に応じないか、応じても厳しい条件を要求してくることが予想される。


 規模と業種に照らし合わせて、これが関の山だった。最初に報告書を見たときは、己の見通しの甘さを呪わずにいられなかった。せめて鳩山電機や菩薩工業ぐらい規模の差が歴然な相手なら、しのごの言わずに金を積んで拠点を買うつもりだった。他の三社は金で買うには大きすぎるし、それ以上に摩擦となる要因がありすぎた。資本関係を抜きにした業務提携にも応じないのなら、手の出しようがない。

 インド進出はあきらめるしかないか。

 いや、まだチャンスはある。そうだ、あのパターンだ。

 ちょうどフランセンの頭によぎったのは、昨年のニチデン工業買収のときだ。きっかけは、同社が生産するバッテリーの発火が原因で、幼い子ども二人を含む一家四人が焼死した四年前の痛ましい事故だった。テレビも新聞も連日ニチデン工業の責任を追及したが、同社は火災との因果関係が不明であることを理由にリコールも遺族への謝罪も拒否し、とうとう泥沼の訴訟に発展した。その後訴訟も和解したが、対応がことごとく後手に回った結果、市場からは総スカンを食らってしまい、売上高も株価もピークの半分を下回る有り様となった。

 ニチデン工業はもともとバッテリーの小型化に優れた技術を持っていたメーカーで、事故の原因も現場の管理の問題で技術の根幹に関わるものではなかった。フランセンにとっては、表向きは倒産の危機に瀕した優良企業に出資して救済した形をとりつつも、以前から目をつけていた会社を二束三文で買い叩いたのが実であった。

 先月のことだ。在日オランダ人の立食パーティで、聞かされたことがある。

「知ってるかい? この前の開明社の粉飾決算事件だが、あの経理部長以外に黒幕がいるらしいぜ」

 フランセンにそう話したのは、イザーク・ボック。英語で全世界に発行される経済誌の日本支社長だった。

「本当かい?」

「警察からのオフレコの話だが、シヅキという男が経理部長に粉飾を仕向けたそうだ」

「ニュースなら私も知ってるが、実際に粉飾したのはその部長自身だろ? 本当にそうだとして、一体何のために?」

 フランセンはワイングラスを片手に持ったまま、腕を組んだ。

「これは噂でしかないが、奴は依頼を受けてあの手この手でターゲットの会社に粉飾決算やら横領やらを起こさせているらしい。ニュースでは単なる社内の不正事件として扱われていても、必ずといっていいほどシヅキの名前が上がってくる。だが、あくまで手を下したのは社内の人間。共犯としてパクるにも、証拠がないから手も足も出ないよ」

「まるで新手のテロリストだな」

「そう、テロリストさ。奴は爆弾で生身の人間を狙うわけではないが、企業という存在にはクリティカルにダメージを与える。会社財産を横領されるうえに、株価もがた落ちさ。下手すれば、経営者の首まで吹っ飛んでしまう。まさに資本主義が生んだ鬼っ子とも言えるね」

 酒の勢いもあり、ボックは大げさな身振りと併せて饒舌に語った。

「君も気をつけた方がいいぞ。もしかしたら奴は君の新入社員だったりするやも知れないからな」

「よしてくれ。うちは風通しの良さが売りだから、不正の温床なんてどこにもないぞ」

 この時のフランセンは、全く他人事のつもりで笑って流した。だが、よもや自身が彼を必要とするなど、どうして想像だにしただろう!

 フランセンはスマートフォンを取り出し、耳に押し当てた。ごくりと音を立てて生唾を飲み込む。

「あ、イザーク? 私だ。こないだの話、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」

 フランセンの胸の奥底で、黒い炎がめらめらと燃え上がっていた。

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