第2話 追憶―灰雪

 ある朝、私は突然ひとりぼっちになった。


 森の奥にひっそりとたたずむ屋敷。

 私はここで、二十人ほどの吸血鬼と一緒に、人間から隠れてひっそりと暮らしていた……ような気がする。


 というのは、私の記憶が混濁していて、当時の暮らしはよく思い出せないからだ。

 吸血鬼になった人間は、人間であった時のことを忘れ、魂さえも別の生き物に作り替えられる。

 そのため、記憶が混乱するのはよくあることなのだと、私の世話をしてくれていた吸血鬼に教えたもらったことがある。

 私はまだ吸血鬼になったばかりで、ひっそりとした共同生活の全貌をすべて把握できていたわけでもない。


 けれどこれだけははっきり覚えている。


 ある朝目覚めると、屋敷の中に居る者すべてが灰になっていたのだ。

 吸血鬼は死ぬと灰になる。

 そして主な死因は、日光に当たりすぎたことだ。

 けれど、屋敷の中で灰になるなど妙な話だ。吸血鬼の屋敷には、当然太陽が差し込む窓などない。とっくの昔に漆喰で埋めてしまっている。


 夜を待って外に出てみたけれど、外も同じだった。かつて吸血鬼だった灰が、まるで初冬の雪のように、痛々しい白さを月光にさらしている。


 同胞の灰を踏みながら、まだ幼い吸血鬼だった私がどう感じたのかは、覚えていない。

 暴力的な理不尽は、特に感情すら奪っていく。

 悲しかったことだけは確かだ。


 でもそれは、誰かの死を悼む悲しさというよりは、私を置いて皆が違うどこかに行ってしまったことを嘆く悲しさだった。

 私も灰になれたらよかったのにと、強く願った。


 神などいないと思い知ったその日から、私はひとりで生きた。

 この広大な屋敷には、衣服や本など沢山のものが遺されていて、私が困ることはなかった。食事は庭に遊びに来る小鳥の血をほんの少し分けてもらうだけで事足りた。

 することがない時は図書室にこもり、膨大な書物を読んで過ごした。

 ここでの孤独な暮らしにはおおむね満足していたが、私はやがて本の中に出てきた『外』に想いを馳せるようになった。


 屋敷を取り囲む広い森を何日もかけて抜けると、人間の町が広がっているという。

 人間。赤い果実のジャムのような、もしくは花の蜜のようなものを全身に巡らせて生きる動物。

 見た目は私達によく似ていて、すぐに死んでしまう儚い動物。

 かつての私と、同じ生き物。

 会えたら、この孤独も癒えるだろうか?


 けれど私はすぐに考え直した。吸血鬼だと露見するようなことがあれば、きっと私は殺されてしまう。

 人間は吸血鬼を嫌い、迫害してきた歴史を持つ。

 ヴァンパイア・ハンターなどという職業もあるのだと、屋敷にある書物で読んだことがあった。

 死そのものにそこまでの恐怖は感じないが、危険を冒してまで人間の街に行きたいという願望もまたない。


 それに私は、この屋敷で一人過ごすことで、いずれ訪れる何かを待っているような気がしていた。

 誰かを、かもしれない。私を置いていかず、どこかに連れていってくれる誰か。

 そんなものが現れる保証などないのに、私は漠然とした希望をもって待ち続けた。

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