第102話 名前は命の証

 いつの間にか、世の中には「キラキラネーム」と呼ばれる難読漢字の名前が流行った。

 それに関して芸能人などがあれこれ言うが、なんていうことは無い。

 この手の話を探せば鎌倉時代の徒然草(卜部兼好)も同じようなことを言っている。

「馬鹿に限って難しい漢字などを使って悦に入るものだ」


 思い出せば、私が子供の頃に『悪魔』なんて名前を付けた親がニュースで大々的に騒がれたこともある。

 今、その『悪魔』さんも三十路を超えているころだろう。

 彼は一体、どんな人生を歩んでいるのだろう。


 さて、名前に関して私個人は、かなり(ここに出る個人差)変でない限り特に騒ぐこともしなければ珍しがることもない。

 

 私の本名は正直言えば、ペンネームのような名前だ。

 なにせ、名前がひらがな。

 名付けたのが親なのか曾祖父なのかは不明だが、曰く「書きやすいだろう?」とのこと。

 だが、幼い子供心には嫌なものであった。

 例えば、龍彦とかインパクトのある名前でもなければ、明子のように女の子かどうかも分からない。

 事実、我が師匠(原幌平晴氏)は最初、私の名前を見て「男だ」と思ったそうだ。


 ただ、名前は最初の束縛である。

 名前がなければ、自分が何者かであるかさえ分からない。

 存在もしない。

 同時に名前があるから親や周囲から愛情をもって(まあ、そこがまた難しいところではあるのだけれど)守ってもらえる。


 皮肉と言えば皮肉な話だが、私の名前には「どんな人生でも生きて行けるように」という意味合いがある。

 虐めや体罰、発達障害発覚などの人生の岐路の時、私の名前は少しだけ生きる指針になったのは間違いない。


 ある漫画で「名前は自分の願いを外に出すか、内に秘めるかの違いだ」という。

 流行や人気漫画の名前は流行はやすたりがあるのは事実だ。

 けれど、そのキャラクターに託した願いもまた、親心なのかもしれない。

(ただ、あまり度が過ぎると私でも「族か?」と思うこともある)

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