第80話 天啓・・・なのか?

 今回で「暇人の集い」も八十回を迎えた。

 これも、ひとえに読んでくださる読者の方のおかげである。

 感謝の一言に尽きる。


 さて、今回は少し趣向を変えて『リアル 夢で逢いましょう』な話を書こうと思う。

 夢半分、現実半分である。


 まず、きっかけとなった夢の話をしよう。


 その夢は、とても現実的リアルな夢だった。

 私は気が付いたときには、仕事をしていた。

 定時になり私は会社を出て電車に乗った。

 途中下車し駅の中にある書店で立ち読みをする。

 インターネット隆盛のこの時代だが、私は紙の書籍が好きで立ち読みをよくする。

 好きな作家の棚の前で私はあれこれ悩んでいた。

――この本、いいなぁ

――でも、あの本もいいよなぁ

 と、私の真後ろにロングコートを着た老人が私の姿を隠すように、被さるように前かがみで立った。

 私は変に神経が敏感で背後に立たれたり会話されると驚いてしまうのだが、この老人は不思議と安心感があった。

 老人は、一冊の本を本棚から取ると私に手渡した。

「これ、俺が一生懸命書いた本だから面白いよ。読んでくれたら嬉しいな」

 私は、この妙に親切な老人に頷くことしかできなかった。

 老人は嬉しそうに笑った。


 目が覚めた。

 スマートフォンの目覚まし時計と予約したテレビが五月蠅い。

 私は、ぼんやりとした。

――『俺が一生懸命書いた本』?

――…………

 思わず、身をあげた。

 目が覚めた。

 あの老人は私の尊敬する作家だったのではないか?

 

 翌日。

 というか、今日。

 私は仕事を終えて、コロナウィルスのせいでガラガラの電車に乗り(現在2020年4月5日)夢と同じように途中下車した。

 夢と同じように書店に向かい、夢と同じように、その本棚の前に立つ。

 そして、あの老人が私に渡してくれた本を抜き出す。

 池波正太郎「あほうがらす」

 時代劇小説の短編集である。

 少し読んだが、確かに面白い。

 

 古代、特定の権力者や預言者の見る夢は『予知夢』とされ、国政などにも影響を与えていたという。

 現代の私は別段、政治家でもなければ宗教家でもない。

 でも、『先生』(「今夜、夢で逢いましょう」参照)を信じる私は思うのだ。

 気まぐれか、それとも、別の理由か、池波正太郎が私の前(正確には真後ろ)に立っていたのだ。

『惜しいことをした』

 内心、私はほぞを噛んだ。

 池波先生に、言いたいことも謝りたいことも沢山あったのに、あの時の私は呆然としていたのだ。

 もったいないことをした。


 

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