42.江戸で一国一城の主になるぞ

「田沼様は、天然痘の件は了承してくれたけど――」


 俺は江戸の街を歩く。もはや晩秋を通り越して冷たさすら感じる風が砂塵を巻き上げている。

 俺は空を見上げる、太陽はこの季節と時間の通りの高さにあるのだろう。

 

(太陽活動が低下して、世界的な寒冷期に入っているんだっけか――)


 俺は風呂敷の中に入った本からそんなことを連想してしまう。

 俺が持っているのは、「武江年表」だ。

 江戸時代の気象状態から、その時に年に何があったのか書いてある本。

 この時代に持ちこめば、「言ってることが分かるノストラダムスの本」みたいなものだ。

 しかも当たるのは確実な予言ばかり。

 

 来年の安永九年(1780年)で言えば、江戸は三月に大雨で大被害を受ける。

 新大橋、永代橋が落ちてしまい、船を出しての救助活動も大変だった。


 で、年号は「天明」に代わるが、本当にロクなことが起きていない。

 そして、天明二年には江戸で天然痘が流行するのだ。もはや、三年を切っている。

 早々に、蘭学者ネットワークを使って緒方春朔と連絡をとらんといかん。


 そもそも、現代人である俺も、天然痘の抗体をもっていない。

 二一世紀で、ワクチンの接種もできない。

 なぜならば、二一世紀に天然痘ウィルスなどないからだ。世界中どこにもない。撲滅したのだ。


 ワクチンは、細菌テロに対し、わずかに備蓄があるかどうかという感じだ。

 そんなものを俺が接種できるわけがない。


(俺の命もあぶねェ…… しかし、帰りたくねぇ……)


 二一世紀には、田辺京子が俺を待っている。


 田辺京子が嫌いとか、嫌だという感情とは少し違う。

 それであれば「付き合う」などとは言わない。

 デートの約束だってしない。


 見た目は、二六歳にしてかなりの「美少女」とも言っていい外見だ。

 一四六センチの小柄な体が、幼く見える理由だろう。


 例えば、振られた加藤峰子に「新しい彼女できたよ」と田辺京子を紹介する。

 峰子は間違いなく、京子と自分を比較する。


 加藤峰子も俺には不釣り合いな美女ではあったが、顔立ちだけいえば京子の方が上かもしれない。

 若く見えるし、黙っていれば可憐で可愛く見えることは間違いない。

 ご老中様をして「天女」と言わしめた存在。その保証付きだ。


 加藤峰子に「ざまぁぁwww」と十分言えるスペックなのだ。田辺京子は。

 外見だけではなく、一応日本の最高学府の研究者でもある。

 

 しかし――

 身長一四六センチで、童顔、下手すりゃ俺が犯罪者に疑われかねない外見。

 そして、胸は悲しい程に、空気抵抗を極限まで削り取った抜群のフラットさだ。

 圧倒的な「ざまぁぁwww」を与えるには力不足な部分もある。

 

 まあそれでも、京子のことは嫌いじゃない―――


 俺は思う。確かに変態ビッチを演じ、その思い込みのまま、ゲスで変態なビッチな言動をする女になってしまった。

 責任の一端は俺にあるのかもしれない。なんか、理不尽な気もするが。

 逆に言えば、それだけ一途で純粋であるともいえる。


 しかしだ――


「結婚か…… 結婚…… アレとか……」


 おそらく、京子と男女の一線を越えた瞬間、一気にそこまで押し切られるだろう。

 田辺京子の最大の問題は、あの純度の高い狂気すら帯びた思い込みの強さだ。


(あの極端な思い込み―― それに、異常なほど回転する頭脳――)


 まだ一線を越えたわけでもないし、キスすらしてないのに「マレッジブルー」のような気分になってくる。

 要するに、人生これでいいのか? という疑問が、胸の奥から嫌というほど湧いてくるのだ。


「まあ、でも用事が済んだら戻らんとなぁ」


 俺の脳内では(田辺京子は、可愛いよなぁ)と「諦観」がイヤイヤをする「理性」の胸ぐらを掴んでいる。


 とにかく、蝦夷地開発の寒冷地対策もある。それほど長く江戸にいられるわけではない。


 そして、俺は、思考を切り替える。下手すると最重要問題だ。


「天然痘かぁ…… 医学部出身に知り合いでもいればなぁ……」


 あいにく、俺の知り合いにはいない。

 少なくとも田辺京子のように秘密を共有できるような存在は絶対にいない。

 

(京子も文系だし、いそうもないよな……)


 田辺京子の人脈を期待しても、俺と大して変わらないだろう。

 でもって、信用できる人間かどうかも分からない。


「武江年表」は田沼様に渡してあるのだ。

 この情報を一般に流し、世論をコントロールする方法を提案した。

 老中・田辺意次は「う~ん」と考え、天然痘対策にだけは使っていいと言った。

 

 後は、幕府内々で、事前情報から、災害に対する対策をするのだろか。

 橋の補強とか、川の氾濫対策を事前にやることは可能だ。

 ただ、それは田沼意次の判断で行ったという方が、政治的には有利だ。

 世論が味方に付く。

 米価対策も同じことだ。下手に予言すれば、余計に混乱を招きかねない。


 天然痘の流行と、その治療方法だけはそうもいかない。


「予言」とか「お告げ」の形で予備知識を浸透させる。前もって桜島噴火の予言が当たっていれば効果的だ。


(しかし、予言で人を動かすとか…… 源内さんや蔦重さんと、新興宗教団体でも立ち上げるか―― ははは……)


 俺はそんなふうに思う。絶対に無理だけど。


 田沼京子に「江戸時代で新興宗教なんか起こしたら、致命傷なのです。先輩」と注意されている。

 いかに、バックに老中・田沼意次がいても、出来ることと出来ないことある。

 宗教関係はアンタッチャブルだ。伴天連扱いされれば終了だ。


 この江戸時代では寺社は徹底的に管理され、戸籍係になっている。

 宗教と民衆の関係は、現代と同じくらい薄っぺらなのだ。

 というより、そんな現代日本人を作ったのは江戸時代なのかもしれないが。


 俺は、色々と考えをまとめながら、吉原の蔦屋重三郎さんの店に向かって歩く。

 江戸では徒歩か「拷問のような籠」しか移動手段がない。

 当然のことながら、俺は徒歩を選ぶ。モノを考えながら行くにはいい移動手段かもしれない。


(やっぱ、予言が効果を出すのは、今年の終わりに桜島が大噴火してからかな……)

 

 すでに出している予言の本はあまり売れていない。

 ただ、予言が当たれば状況も変わるだろう。 

 天然痘だけは、江戸の人だけでなく、俺の命にも関わってくる問題なのだ。

「種痘」を普及させる方向にもっていきたい。


 緑の木々の匂いがする表通りを歩く。

 午前も早い時間だが、さすがに100万都市江戸だ。

 もうかなりの人が活動を開始している。

 

 橋を渡れば、多くの船が物を詰め込んで行き廻(み)る姿が見える。

 現代に比べ、本当に空が広い。


 そして、俺は吉原周辺部に付く。昼間からここは凄い人だ。

 遊郭であり、同時に江戸の観光名所でもあるのだ。


 江戸時代の遊郭は、昼間料金の方が高いのだ。

 江戸に参勤交代でやってくる勤番武士は、門限があるので夜に遊郭に行くことはできない。

 田舎の武士からボッタくるために、遊郭は昼の方が高くなっているのだ。

 シビアな経済原理は、江戸時代でも生きている。


 そして俺は、店に着いた。

 新しい本が次々出て、広告が店先にいっぱい出ている。

 一八世紀で、こんなに出版物が盛んに出ていた国など、ほとんどないんじゃないかと思う。


「蔦重さんいますか?」

 

 俺は、顔を見知っている手代に言った。

 向こうも俺を見て「あ、土岐殿」と声を上げ、頭を下げ「すぐに呼んでまいります」と奥に消えて行った。


 京子への土産に何か買って帰ろうかと、店に置いてある本を物色する。

 春画を買っていけば、喜ぶのは分かっているが、その後の展開も予想できるので選択肢にない。

 そもそも、春画は表向きは禁制で、店先には置いてはいないのだ。


「土岐殿、どうも、わざわざ申し訳ない」

「いやぁ、こっちから頼んでいることだし、当然でしょう」

 

 江戸時代を代表するやり手の出版プロデューサ、蔦屋重三郎が丁寧にあいさつしてくる。

 俺は、源内さんを通して、蔦重さんに、新居を探してもらっていたのだ。

 

「で、物件はあったんですか?」

「まあ、そうですね。いくつかは――」


 そう言って蔦重さんは外出の準備を始める。

 巨大出版社の社長様が、わざわざ、物件案内に同行してくれるようだ。

 まあ、この時代は不動産仲介業者などないので、有力者の口利きで、物件を買うしかない。


「じゃあ、行きますか」


 蔦重さんはそう言って店を出る。手代たちに、二言三言、何かを言った。

 俺は「有名な学者」ということになっているので、店主と一緒に出ていくことに疑問を持つ者もいない。

 

 ということで、江戸の街で俺の家となる物件を見に行くことになったのだ。


        ◇◇◇◇◇◇


「家としてはいいよねぇ…… でも…… う~ん……」

「なにか、問題が?」


 腕を組んで考える俺に、蔦重さんが訊いてくる。


 最初の物件は、木造2階建て、間取りも大きい家だった。

 元飲食店だ。居酒屋かなんかだろうか。

 店主が急死して、空き家になってしまった店らしいのだ。


「あまりにも目立ちすぎるというか、視認性が高すぎるというか……」

 

 元々が飲食店なので、通りに面して目立つのだ。


「確かに目立ちすぎますが…… 逆に目立つことは、多くの目がそこにあるともいえます」

「常識的にはそうだけど」

 

 江戸時代の野盗や盗賊を考えれば、こんな目抜き通りの目立つ家は盗みに入りづらい。

 その蔦重さんの理屈は分かる。

 しかし、俺が心配なのは、反田沼派の間諜(かんちょう)、密偵、要するに忍びの者的な存在だ。

 

 現代ですら、その末裔を名乗る者がいるのだ。

 一八世紀の江戸にそういった特殊技術を持った人間がいないとは断言できない。


 で、俺と蔦重さんはその後も二件ほど物件を見た。

 塾をやるには狭すぎたり、やはり保安上の問題が有ったりして、決めかねる部分があった。


 で、四件目の家だった。


 表通りでは無く、ちょっと奥の方の道に入ったとこで、それほど目立つ場所ではない。

 生け垣に囲まれ、敷地は広い。

 なんといっても、俺の目を惹いたモノが、その敷地内にあった。


「蔦重さん」

「ん、土岐殿いかがなされましたか?」

「ここにしよう。ここいいよ。完ぺきだ」

「ここですか…… 元、質屋の主人の本宅ですが……」


 蔦重さん、物件を紹介しながらも、少し歯切れが悪い。

 もしかして、「大〇てる」に掲載されるような「告知事項あり」の「事故物件」かと思った。

 まあ、源内さんの本宅も、そんな物件なのであるが。


「商売が上手くいかなくなり、夜逃げした者の家でして、あまりゲンの良い家ではないことは確かですが――」

 

 死屍累々の源内さんの家に比べれば、全く以て告知事項にもならない話だ。

 ただ、商家の人はこういう家は、縁起が悪いということで、買い手がつかないということらしかった。


「いや、ここでいい。ここなら、問題ないよ。蔦重さん」

 

 紹介しておいて、怪訝そうな顔をする蔦重さん。

 おそらく、自信のある物件から紹介したのだろう。


「あの、でっかい蔵―― あれがいいね。窓が無いのも魅力的だ」

「はぁ……」


 敷地内には二つほど大きな蔵があった。

 江戸時代に造られた土蔵が、東京大空襲の火災にも耐えたというのは俺も知っていることだった。

 窓が無く、漆喰(しっくい)と土壁で厚さが三〇センチ以上ある。


 扉を閉じれば、外からは何をやっているか分からない。

 他の日本家屋と違い、密封性も高いので、空調を入れることもできるはずだ。

 

 二一世紀から持ち込んだものは、土蔵に入れ、最新のセキュリティシステムで補完すればいい。

 反田沼派も、実態を掴むのは困難になる。秘密裏に忍び込んでも突破不能の蔵にすることはできるはず。


 権力に物を言わせて、中を見ることもできない。

 なんと言ってもこっちのバックは田沼意次なのだから。


「まあ、田沼様の御屋敷からは、そう遠くはありませんし、土岐様が気にいられたのであれば、お話を進めますが」

「ぜひ進めて、金は売り手の言い値でいいから。満額即金で払うから」


 俺のアパートには使い道に困っている千両箱があるし、源内さんの家にも千両箱が積み上がっている。

 蔦重さんだって、儲かって仕方ないほどだろう。


 二一世紀から持ち込んだ、ライターや日常品を売る商売は、絶好調で止まらない状況なのだ。

 もうすでに、京都、大阪の上方には、相当数が流通しているし、金沢などの大きな地方都市にも、ボチボチ出回り始めている。

 

 参勤交代によって、江戸の情報が地方に伝わるシステムが出来ているからだ。


 そして、長崎経由の海外への販路。田沼時代に黒字になったこの貿易は、更に拡大できる。

 ヨーロッパにおける日本への興味を引きつけることは間違いない。

 この点は、慎重に考えるべきかもしれない部分もある。


 とにかく金はある。

 使い道がなくて、今は逆に困るほどだ。

 経済を回すためにも、稼いだ金はなるべく江戸時代で使うべきでもある。

 そして、田沼政治を支える資金も同時に溜めこまねばならぬ。


「買い手のつかない物件ですからなぁ。喜んで売るでしょうな……」

 

 蔦重さんは「いいなら、いいですけどねぇ~ いいんですか本当に?」という感じで言った。


 これで、引き渡しが済めば、俺も、慣用句的な意味で「一国一城の主」になる。

 江戸に本格的な拠点ができるのだ。

 土岐総研も間借りでは無く、本格稼働ができる。


「まあ、後はこれだけの御屋敷です。人の手配もいりましょう――」


 蔦重さんが言っているのは、お手伝いさんとか、下働きの人間のことだ。

 二一世紀の家電類を持ちこみ、発電機を回せば、本当は人などいらないのであるが。

 少しでも雇用の創出に役立つなら少しばかり人を雇っても悪くはない。


 それにだ――


「まかせるよ。あと、身元のしっかりした、用心棒的な人の方を雇いたんだよね」

「用心棒ですか……」


 蔦重さんは、手で刀を振る真似をしていった。

 

「まあ、そう、何があるか分からんからねぇ」


 俺は頷きながら言った。


「う~ん…… まあ、当たってみましょう」


 セキュリティのシステムは二一世紀から持ち込んで出来る。

 しかし、それだけでは「警備員のいないセ〇ム」みたいなものだ。


 以前のことだ――


 田沼意次は『土岐殿の存在とワシの関係―― 探り出しておるものがおるやもしれぬ―― まだ、確証はないが……』と言っていた。

 確実ではないが。政敵は動き出している。

 そして、最悪ダイレクトに俺が襲われる可能性もないではない。

 俺は、田沼意知のように、格闘技に目覚めるつもりはないのだ。

 

 何をやろうとしているのか? 何者なのか? そんなこと関係なく、邪魔なので殺す。

 その論理が、まかり通る時代でもある。


「なるべく、腕の立つ人がいいんですけどね――」


 俺は言った。このときは、なんとなく腕の立つ浪人は結構いるのではないかとか、考えていたのだ。

 普段は傘貼りしているけど、刀を持たせれば凄いとかいう感じの浪人――

 この期に及んで、時代劇的なイメージが抜けきれないのはどうかと思ったが。


「剣の腕ですか……」


 蔦重さんは考え込むように言った。


 その後、俺には用心棒が着くことになるのだが……

 その抜群に腕の立つ腕の立つ用心棒は、あまりにも予想外の存在だったのだ。

 この時の俺は、まだそれを知らない。

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