34.「江戸‐現代交易」の問題点とその解決方法

「とりあえず、知られたからには協力してもらうからな」


 携帯で連絡をとると、田辺京子はすっ飛んで俺の家にやってきた。

「はぁはぁ」言いながら、俺の対面に座っている。

 コイツの呼吸が荒いのは発情しているからではない。

 発情は年がら年中しているかもしれないが、呼吸が荒いのは俺の家まで走ってきたせいだ。


「分かっているのです」


 俺の出した麦茶を一気に流し込むと田辺京子は言った。


「マジだからな」


 で、俺は秘密を絶対に守ることに念を押す。

 言葉だけで信じる奴はいないと思うが、何が起きるか分からない。

 こんなことが世間に知れたらどうなるのか? その想像すらつきかねる。


「先輩と秘密を共有できると思うだけで、京子は濡れ濡れで大興奮です。大丈夫です。絶対に言いません! あの日なんか帰って、布団の中で四回もしちゃい――」


「それはいいから――」


 俺がビニールバットを顔の前に突き付けると、エロビッチ眼鏡チビは、それ以上の言葉を止めた。

 テメェが、何を四回もやったのかなど知りたくもないから俺は。


「これを見てほしいんだがな――」


 俺は席を立って、ダイニングの奥にある部屋の扉を開けた。

 ごちゃごちゃとした物が積み上がっている。

 俺は段ボールをずらして、そいつを引きずりだした。


「物置ですか? 先輩…… って、これ!」


 俺が奥から引きずりだしてきた物を見て、驚く田辺京子。

 これは、千両箱というものだよ。ふふふ、実物をみたことあるかね?


「で、はい。中身まで小判でびっちりです。一〇〇〇両ありますが、なにか」


 俺は千両箱を開けて見せた。

 黄金色の光芒が、俺のアパートの一室に煌めくのだった。


「手にとっても、い、いいですか? 先輩」

「いいよ」


 京子は小判を手を伸ばすと、1枚だけ取ってしげしげと眺めた。


「元文小判…… 確かに本物っぽいです」

「いや、本物だし」

「そうですけど」


 丸眼鏡の奥の大きな瞳を見開いて、ジッと小判を見つめる。

 さすがの京子も小判を前にゲスでエロイ発言はできない。やはり黄金は偉大だと俺は思った。


「あげようか? 一枚」

「え?」

「俺の家には、五〇〇〇両あるから、もっとあげようか?」

「ええええええ――!!」

「元文小判は、古銭商の買い取りで一二~一三万くらいだけどね」

「ま、まあそれくらいとは思いますけど…… 五〇〇〇両ってことは、五億円超えるじゃないですか!」


 田辺京が顔色を変えて言った。

 普段はゲスで揺るがぬエロビッチのコイツが顔色を変えた。

 それを見て、なんか、俺も麻痺していた感覚が、こう戻ってきた感じになってきた。

 五億円――

 それが、俺の2DKの安アパートに置かれているわけだ。

 あれ? いいの? これ?

 なんか、足が震えてきたんだけど……


「だ、大丈夫なんですか? 先輩……」

「うっ…… 何か、怖くなってきた。こんど、これ江戸に持って帰るわ」


 俺は千両箱を閉めるともう一度、奥に押し込んだ。


 小判は、これ以上は換金できないし、よく考えてみれば自宅に置いておくメリットはない。

 江戸に置いておいても、必要なら一里を自転車で漕げばもってこれるのだ。

 俺、浮かれてたな……


「先輩、何か他にもあるようなんですが?」


 京子が部屋の奥を覗きこんで言った。


「ああ、着物とか櫛や珊瑚の#簪__かんざし__#、漆細工とか、江戸時代から現代に持って来れば金になりそうなものを持ってきている。実際に売れるよ。小判程じゃないが」

「そうですか…… あ、この小判はもらっていいのですか?」

「ああ、それはいいよ」


 パッと田辺京子の顔が明るくなる。一瞬、不覚にも「可愛い」と思ってしまった。

 その本性さえ知らなければ、本当に可愛らしいのは事実なのだ。


「先輩からの、初めてのプレゼントです。これは、一生大切にします」

「いや、いいけど……」


 なんかこう……

 俺はコイツが小判をペロペロ舐めたり、言葉に出来ないようなことに使うんじゃないかと一瞬不安になった。


        ◇◇◇◇◇◇


 ダイニングに戻り、イスに座って向き合う俺と田辺京子。


「江戸時代の小判を現代に持ち込むのはかなり不味いのではないでしょうか」


 いきなり田辺京子が切り出した。冷静に淡々とだ。


「ん、タイムパラドクス的な問題は発生しないぞ。世界軸が異なるパラレルワールドのようなものだから」


 俺は先ほど説明したことを繰り返した。

 しかし、田辺京子は「先輩、なんで分かんないんですか?」というような顔でこっちを見ている。


「金流出を懸念しているのか?」


 俺は京子の心配ごとに辺りを付けて言った。


「そうです。先輩の考える現代と江戸の交易スキームは危険です。二一世紀で安く仕入れた商品を江戸で高額で販売するのは、あまりに一方的な交易では?」


「利益の一部を持って来て、仕入れに当てるだけだけどね。それほど金は持ちださないよ。元々仕入は安いんだしさ」


「う~ん。しかし、問題はこの交易のスキームなのです。量はともかく、金が一方的に江戸から現代に流れ込むわけですよね。交易規模が拡大したら、金の流出は問題になるのでは?」


 確かにそれはそうであるけど、交易規模の拡大がそもそも難しいのだ。

 電動チャリにリヤカー2台の物流システムに依存する交易なのだ。

 交易が拡大するには、このボトルネックが存在する。

 

「運べる商品は、リヤカー2台だから、それほど多くないけどね」


「それでも江戸に、軽くて付加価値の高い商品を運び込めば、金額ベースでの拡大はあり得ます」


「まあ、可能性は無くはないが…… 江戸の方では海外交易を進めて、海外から金を得ていくことも考えていので、一方的に金を失うことは無いとは思う」


 将来的には日本を海洋商業国家とするのが俺の計画なのだ。

 対現代交易の損失は、外国との交易でカバーできるはずだと思う。


 俺の意見を聞いて、田辺京子がクイッと眼鏡を持ち上げ口を開いた。


「田沼意次が貿易拡大を考えていたのは分かりますが、早急に鎖国政策の方向転換に動くのは厳しいと思います」


「そうかな…… 田辺に教えられた本とか、色々もっていって未来のことも分かっている。田沼政権は本来の史実よりかなり強固になっていると思うが」


 田沼意次も失脚直前からタイムスリップしてきている。

 しかも、現代に残る当時の史料も持ち込んでいるのだ。

 だから、田沼意次は、幕府政権内部でもかなり優位に動くことができるはずだ。

 政敵の黒幕もはっきりしているのだ。


「それでも、江戸と現代の交易は考え直さないといけないと思います。小判以外の売れる物を売った方が――」


 田辺京子はエロビッチの本性を隠し、まるで江戸の専門家のように言った。いや、専門家なんだけど。


「その方が、江戸の経済、産業にプラスになるってか? そりゃ考えたし、着物や簪とか小間物は売ってるからな」


「当時の本とか、画とかもありです。というか、個人的に欲しいです」


「ああ、そうだな。それも、有りか…… 復刻した浮世絵とか売っているよな」


 俺はネット通販で、春画や浮世絵の複製画が、高く売っているのを見た記憶があった。

 本物を持ってくるというのも、商売のひとつの方法かもしれない。


 しかしだ――


「他の商品では、小判の利益率には敵わんよなぁ…… 別に全部を現代にもってくるわけじゃないんだが――」

「少量で済めばいいのですが、先輩の計画をつきつめると江戸から金の大量流出が起きそうなのです」

「う~ん、となると、小判に変わる、現代で換金できるものか……」


 交易の規模が拡大して言った場合、そのまま江戸からの金流出も大きくなる。

 言われてしまえば、その可能性はないではない。

 かといって、他に手があるか……


 やはり、小判を担保にして不動産投資をして、キャッシュフローを確保するか。

 その程度の金の流出であれば、問題は無かろうと思うが……


「それは、そうと先輩!」


 俺の思考を強制遮断する甲高い声が響いた。


「なんだ? いい考えでもあるのか」

「いえ、私も江戸時代に行きたいのですけど、やはりダメなのですか?」


 田辺京子は言った。それは無理だと説明したはずだ。

 大元帥明王様からもらった「時渡りのスキル」で移動できるのは、俺と田沼意次だけだ。

 リヤカーで荷物は運べるが、人間は田沼意次以外は運べない。


「無理だな」

「もう一度、祈祷して大元帥明王様を呼びだせませんか」

「知らんよ。俺が祈祷したんじゃないし。そんな簡単にホイホイ出てくるか?」


 田辺京子は口をとがらせ「先輩のケチ」という顔をするが、ケチとかそう言う問題じゃない。


「じゃあ、せめて動画撮ってきてほしいのです。見たいです。一八世紀の江戸の動画!」


「動画か…… まあ、俺のガラゲーでも撮れるけど。目立つな……」


 俺は江戸の街中で、ガラゲーで周囲を撮影している自分を思い浮かべる。 

 すぐに、人だかりができて、役人が飛んできそうな気がした。

 まあ、目だたない撮り方もあるかもしれんが……


「目立たたない小型のカメラは売っているのです。盗撮用のとか」

「盗撮用かよ!」


 コイツの口から「盗撮」という言葉が出た瞬間不安になる。

 まさか―― 俺は周囲をキョロキョロ見た。分からん……

 いや、いくら田辺京子でも、さすがにそこまで非常識ではないだろうと思った。


「心配しなくとも、先輩の家にそんなものを仕掛けてないのです。私は機械音痴なので、そんな物は使いこなせないのです」


 俺の心を読んだかのように、自信たっぷりに田辺京子は言った。薄っぺらい胸を張って。


「しかし、江戸時代の動画か…… まあ、行けないしなぁ。見たいとは思うよな…… まてよ……」


 江戸時代の動画。

 フルカラー。しかも完全に本物。

 当時の人の様子が丸わかりの動画だ。


 ちょっと待て。

 

 これって、それだけで凄いんじゃね?

 

「田辺。江戸から現代に持ち込んで、小判に以上に金を生み出すものがあるかもしれん」

「ん? 何ですか先輩」

「動画だ。オマエが見たいといった江戸の動画だ。これは、おそらく金になる――」


 江戸の動画――

 一八世紀の江戸に生きる人たちのリアルな動画を俺は撮ることができるんだ。

 それは、二一世紀では誰も見たことが無いものだ。


 そして、そういったモノが金になるシステム。

 そのインフラがこの二一世紀には存在している。

 俺は、そのことに気づいたのだった。

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