25.日本の近代化とオランダ
「では、十一日後ですかな」
杉田玄白が言った。
今日が安永八年八月十一日。
俺の講演デビューの日が八月二二日とか決まった。
その日が「大安」だったから。蘭学者のくせに、何故それにこだわるのか――
杉田玄白はこのとき、蘭学塾である「天真楼塾」で門弟に蘭学を教えている。
語学、医学教育の塾だ。
そこで、俺は講義を行うことになった。
出席するのは、杉田玄白の門弟だけではない。
この一八世紀の江戸を代表する蘭学者も召集される。
「源内殿、ご推挙なら、皆馳せ参じましょうなぁ」
俺は「馳せ参じなくていいんだけど」と思いつつ、チラリと横の源内さんを見た。
飄々を通りこして「ヘラヘラ」とした感じと「土岐殿のせいで、俺は日本で二番目の天才になっちまったぜぇ」とか言ってるし。
玄白「うんうん」とか頷くなよ。
その間、俺は黙っているしかなかった。
オランダ語のことを聞かれるとまずい。海外事情や医学の話でごまかすならいいが――
「この土岐殿は、最新ヨーロッパの事情に通じている。話を聞いておいて損はねぇからよぉ~」
ウンウンと頷きながら平賀源内は言っている。
「いやちょっと…… 源内さん――」
超小さな声で源内さんに俺は言った。アイコンタクトしながらだ。
黙っているとどんどん、話がでかくなっていくのだ。
平賀源内は「ん?」って感じで俺の方を見た。
小さく「ウンウン、わぁッてるよぉ」って感じでうなずいた。
でもって「にへらぁ~」と笑った。
完全に詐欺師の笑みだよ――
「まず、医学だぜ―― 土岐先生よぉ、最新の医学的な見地について、このハゲにちっと言ってやんなよぉ」
おおッ! こっちが主導権を持って話題を振ればいいということか。
それならなんとかなる。
うーん…… 「梅毒」か「江戸患い(脚気)」か……
これなら、どっちも治す薬を現代から江戸時代に持って来れる。
しかも、説明も出来る一応。
「玄白殿、江戸患いについてですが―― どうお考えですか?」
「さぁ…… 医学的には…… ただ民間療法では小豆、蕎麦、雑穀が良いと言われておりますが…… 果たして……」
「実はそれが正しいのです」
「えッ?」
驚きの声を上げるハゲの蘭学者。
言ってみれば医学の最先端にいる人に「民間療法」の方が正しいですよと言ったのだから。
まあ一八世紀という時代を考えれば、医学の最先端といってもそれほどのものではない。
「江戸では白米を食べますよね」
地方では食べることのできない白米が江戸では食べられる。
#女衒__ぜげん__#(※女郎を買う商人)が女の子を買って、江戸に連れてくるとき「江戸にいけば、お腹いっぱい白まんまが食べられるんだぜ」と言うのだ。
これが結構、殺しも文句だったりするらしい。
当時の人にとっては白いご飯はご馳走だ。
というかだ――
戦争中の食糧危機を経験している俺の祖父母も「白いご飯があれば何もいらないと思っていた」と言っていたモノだ。
しかし、その「白米」まずいのだ。
「玄米から白米に精米すると『ぬか層』と『胚芽』が無くなります」
「ほら、描いて説明してやった方がいいんじゃねぇか」
そう言って、源内さんは「ほいよ」って感じで「ノート」と「消しゴム付鉛筆」を取り出した。
「おお! それは――」
「まだ、本格的には商いしてねぇが、筆より便利なもんだぜ」
なんという手回しの良さなのか、というかプレゼン能力の高さなのか――
まだ本格的な商売には入っていないが、「ノート」「消しゴム付鉛筆」は確かに学問する人間にとっては便利以外の何ものでもない。
それをここで見せるかよ。平賀源内――
マジで生きている時代を間違えているとしか思えない。
「こうやって、書いて、簡単に消せますからね――」
俺も得意になって、ノートにグルグルと輪を描いて消してみる。
「このような、道具が……」
鉛筆は江戸時代初期に、日本に伝来しているのだがなぜか定着しなかったのだ。
徳川家康に進呈されたといわれている。
このような手軽に書ける道具が広まってしまい、民の頭が良くなってしまうのは、徳川家康にとってはあまり好ましくなかったのかもしれない。
まあ、俺の推測ではあるけど。
「あ、そうですね。あのですね、玄米を精米すると、こんな風に剥がれるですよ」
「うむ――」
俺の描いた図を見て頷く。
まあ、中学生相手に理科を含め、全教科を教えていたし、この辺り知識は問題無いのだ
「で、剥がれた部分に実は「滋養」があるのです」
「なんと――」
「だから、白米を食べる江戸では『江戸患い』がある。故郷に戻ると治るというわけです。白米食べませんから」
俺、調子に乗って教える。
結構楽しいのだった。
歴史の教科書に載っているあの杉田玄白が俺の教えを聞き、頷いているのだった。
俺はその後も、調子に乗って「梅毒」と「その治療」、更に原因まで説明したのであった。
◇◇◇◇◇◇
「何か、生き生きしてたぜぇ」
「そうですか……」
「ノートと鉛筆もよぉ、ありがたがっていたじゃねぇか。商売できるぜ」
「そうですね」
杉田玄白には何冊かの「大学ノート」と「鉛筆」、「消しゴム」をお土産に置いて言ったのだ。
夕刻だった。「秋の陽はつるべ落とし」と言うが日が沈むのが体感的に早くなっている。
ただ、江戸の時間は、昼と夜を平等に一二等分しているので、時刻的には何にも早くなっていない。
時刻を知らせる鐘の音が響く。
まずは、予告で三回鐘がなってから、時刻を知らせる本番の鐘がなるのである。
二一世紀では安物の腕時計をみたら五時半を少しすぎたところだった。
つーか、俺は調子に乗ってしまったのだった。
基本的に俺は「人に物を教えるのが好き」なのだった。
塾講師やっているのも楽しかった。
一応、大学中にバイトで、卒業して社員になった。
小さな塾で、正社員は俺だけだったし、それで他の講師のローテとか、収支関係のこまごました「経営」にもタッチしていた。
それでもやはり、教えるというのが一番仕事では好きだったし、実際に俺は結構人気のある講師だったのだ。
潰れてしまった塾は「個別指導」も「集団指導」も両方やったが、俺はどちらでもこなせた。
しかしだ――
今回の相手は、小学生とか中学生じゃないから。
一八世紀とはいっても、大人の蘭学者たちだから。
杉田玄白さんは帰り際に「このような博識な方を―― その、蘭学の知識も凄まじいのでしょうなぁ」とか言っていたし。
俺のオランダ語の知識は「カステラ」と「ミルフィーユ」だよ。そもそも、ミルフィーユはオランダ語なのか? 語学方面になったらやばいよ。
京子は……
田辺京子はどうだ? やべぇ「ダッチなんとか」とかロクでもねぇとこしか言いそうにねぇよ。
まあ、当日は流れが「語学」に行かないように源内さんに仕切って――
「源内さん―― あの……」
「いいんじゃね、あんな感じでよ」
俺の言葉が途中で止まる。
俺の言葉に、源内さんの方がいきなり言葉をかぶせてきたからだ。
「今日みたいな感じで、やりゃいいんじゃねぇか。まあ、これで俺も安心して秩父に行けるってもんだ」
え? 源内さんが、今サラリとなんか言ったけど。
ジッと俺は源内さんを見つめる。
江戸の街、夕暮れ時の中、俺はアラフィフのオッサンを見つめた。天才の。
「あの、講演の日は――」
「ああ、俺はもう、その日には川越の秩父鉱山に行ってるからよ。あ、留守の間は頼むぜ―― たまには#帰__け__#ぇってくるけどよ」
なにそれ?
現代であれば「〇島てる」掲載間違いなしの事故物件に、俺ひとりになるわけだ。
つーか、それよりどーすんだよ。講演だよ。講演。
「源内さんいないと、あの…… まずいですよ」
「ああ、心配すんなって、ちゃんと迎えの籠が来るぜ。上等な奴がよ。道に迷う心配はねぇよ」
問題はそこじゃないよ。この天才野郎ぉぉ。分かって言ってんだろ?
俺はいわゆる「ジト目」で源内さんを見た。
彼は全然、平気で俺の肩をトントンと叩き「大丈夫だよぉ」と言うのだった。
「ワタル殿、アンタ、自信もっていいぜ―― 伊達や酔狂で二三〇年先から来たわけじゃねェよ。俺には分かる」
スッと、その言葉で心が軽くなった気がした。
俺が、平賀源内はなんの根拠のないことも相手に信じさせる天才でもあったことを思い出すのは現代に戻ってからだった。
「土用の丑の日」は「うなぎ」……
これにも、何の根拠もないことを思い出した時だった。
◇◇◇◇◇◇
「――というように、主人公が蘭学者の前でだな、講演をする羽目になったらどうする? 田辺」
本来家に招くと、諸々の危険を感じざるを得ない生物。
俺は、田辺京子を自宅に呼ばざるをえなかった。
一瞬、マジでネットに小説書いて「どうすればいいか? 感想お願いします!」とか書こうかと思った。
昔「太平洋戦争の架空戦記」を「小説書きになりたい」で書いたときは、結構「濃い感想」がやって来て参考になったものだ。
ただ、それはエンタメとして、小説として参考になったという話なのだ。
しかも、基本は一方通行な話だ。
ピンポイントで欲しいアドバイスがもらえるはずがない。
という訳で「土岐航認定危険生物」の田辺京子を家に上げるしかなくなったのだった。
当然、江戸から持ち込んだ「お宝」は別の部屋に封印してある。
まあ、開けてみても、奥の方に隠してあるし、電気もつかないようになっているのだ。
で、俺は訊くのだった。
「どうだよ? こうリアリティのある話としてさ。主人公はオランダ語とか知らんわけよ。『カステラ』と『ミルフィーユ』くらいな」
「先輩」
「なんだ?」
「先輩の唇で『チュ』って私の唇にスイッチ入れてくれると、話したくなります」
俺は無言で、唇にビニールバットをくれてあげました。軽くだけど。
「あぁぁ~ 先輩―― 太くて、口に入らない…… ああ、こっちのバットじゃなくて、先輩の――」
そう言って、唇カポと開けて、ベロを突き出すエロビッチゲス眼鏡チビ。
そのダッチ(オランダ)はいらねぇよ。
当然俺はビニールバットで頭を叩いた。乾いた音が響く。
「オマエは、そう言うゲスエロな前置きが無いと話せないのかよ! 頼むよ!」
「ああ、こういう、ちょっとエッチな大人の会話でじゃれ合う関係から、やがて愛が芽生えて『オマエ、やっぱ可愛いよな』展開も――」
「もう帰るか?」
「いえ、帰りません。先輩」
キュッとコンパスで描いたような丸眼鏡を持ち上げ、田辺京子は俺を見た。
何でコイツは、普通にしていないのかとマジで思う。
普通にしていれば、小柄でこういうタイプの大好きな男がわんさか寄ってくるだろうに……
「先輩、オランダに拘ることないんじゃないですか?」
「え?」
「田沼時代ですよね」
「ああ。一八世紀終わり。1780年前後かな」
「もう、その時期、オランダダメです。アムステルダムの金融資本も斜陽化して、イギリスにとってかわられてますから」
田辺京子の言葉で、俺も当時の世界情勢を思い出す。
確かにそうだ。アメリカ独立戦争で、反イギリスの立場をとったヨーロッパ諸国。
その中でも、オランダは、イギリスにやられてしまうのだ……
「まあ、その前から、オランダ資本が、イギリスに流れ、イギリスの海外進出を促し、己の首を絞めていくわけですが。ああ、先輩が私の首を絞めながらのおセッセは――」
田辺京子の後半のゲスエロ発言は無視する。
しかし、前半は正しいはずだ。俺もそれくらいは、覚えてはいるのだ。つーか、今思い出した。
「そうか…… オランダに拘ることはないってことか」
日本の近代化。それを八〇年前倒しする。
そのときに、オランダに拘りすぎるのは、逆にまずいのだ――
一八世紀の世界の状況。それを洗い直さねばと俺は思った。
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