5.小判の価値と換金方法、さらには江戸-現代貿易について

 時を超える一里のトンネルを抜けるとそこは21世紀だった。

 特に、闇の底は明るくなっていない。

 昼だったから。しかも俺の家。


 でもって、俺は2DKの自宅アパートに江戸時代から戻ってきた。

 メインで使っている部屋にゲートが出来ていた。

 俺が出ると、ゲートは消えた。


「マジで、戻れたで…… 大元帥明王様、さすがや――」


 生粋の千葉県人の俺がなぜか上方言葉で呟くのだった。

 

 さて、どうするか?

 俺の手元には一〇〇両と言う大金がある。

 

 四つに分けて紙につつまれた小判だ。

 俗にいう「切り餅」というやつだろう。

 一〇〇÷四なので一個が二五両となる。


 ずしりと重いのだ。

 それをパソコンデスクの横に置いて、俺はパソコンを立ち上げる。

 でもって「小判種類」と入れて調べるわけだ。


 江戸時代と21世紀の現代を行ったり来たりできるできるというチートの力。

 それがあるから可能なことだった。


 これが、もし身ひとつで、江戸時代に召喚されて「田沼政治をなんとかしろよ」と言われても何もできなかっただろう。


 確かに、俺の頭の中には「歴史の知識」はある。

 塾の講師をしていたし、専門は近現代史にしても、大学では「史学科」だったのだ。

 21世紀に至るまでの科学知識の「成果」の知識はある。


 しかし俺の知識だけで何かを創れるかとなると、はなはだ疑問だ。

 例えば、抗生物質の「ペニシリン」がアオカビからできているのは知っている。

 天然痘が弱らせた牛痘の接種「種痘」で予防できることも知っている。


 ライフリングされた銃や大砲の構造も知っている。

 俺は、近現代史専門で「軍ヲタ」なのだ。

 

 江戸時代の「和船」の欠点も知っている。

 外輪船ではなくスクリュー船の方が効率がいいのを知っている。

 蒸気機関、内燃機関がどう動くのかというメカニズムも知っている。

 高炉製鉄の方法も知っている。(これは実は中学生の理科の教科書にも載っていたことだが)


 でも、それを江戸時代で実現するには、基盤となる工業力が必要だ。

 一八世紀末の江戸――

 ようやく、問屋制制手工業に入ったという時期だろう。

 工場制機械工業の前段階としての「工場制手工業(マニファクチュア)」に移行するかどうかという時期か……


 産業構造の変革は結構大変な話になる。

 工作機械から始まり、工場を作り、技能者を大量に育成する――


 もし、江戸に単身で放り出されていたら出来ない。俺の持つ知識だけでは一〇〇パーセントできない。


 単身で出来そうなのは「脚気を防ぐのに玄米がいいよ」と言うくらいだ。

 脚気は白米を主食としている江戸では、「江戸病」といわれたくらいだ。

 しかし、俺が言ったからと言って、患者が玄米を食ってくれるかどうかは知らない。


 とにかく、よくある創作物のように単身でタイムスリップする事態でないのが、俺にとっては大きなアドバンテージなのだ。


 俺には「時渡りのスキル」がある。

 現代から、物を持ちこめ、更に行ったり来たり出来る。

 それであるなら、江戸時代に大きな改革を起こせる可能性は高い。

 田沼親子という江戸時代の中では例外的なほどの「開明的」政治家の協力もあるだろう。

 現代で専門家に相談することすら可能だ。


 とまあ、そんなことを考えつつ、液晶モニターを見ていたら、パソコンが立ち上がった。

 最近更新したばかりのOSがグラフィカルユーザーインターフェイスを画面に展開する。


 俺はブラウザを起動し「小判種類」と入力したのだ。


 まずは、田沼からもらった一〇〇両の小判を調べねばならない。


 一〇〇両がどの程度の価値があり、どうすれば換金できるのかだ――


「地金だけで二万五〇〇〇円か……」


 俺は見つけたサイトの画像と小判を見比べる。

 どうやら「元文小判」というものらしい。


 そして「古銭の買い取り業者」を俺は色々調べた。


「元文小判は、買い取りで一二~一三万か…… マジかよ」


 俺は脇に置いてある小判を見つめる。

 この「切り餅」一個が、二五両で三〇〇万円くらいになるわけだ。

 で、一〇〇両合計で一二〇〇万くらいだ。

 まあ、俺の予想も当たらずとはいえ、遠からずだった。


「悪貨は良貨を駆逐するか…… 皮肉なもんだねぇ」

 

 俺は小判の買い取り価格を見ながらつぶやいた。

 江戸時代の小判。現代で最も希少価値が高く、買い取り価格が高いのは「元禄小判」だった。

 粗悪小判の評判の高い奴。


 それが、状態次第では「一両で二〇〇万円を超える」価格で取引されている。現代では。


 江戸の初期、経済の拡大と金産出量の現象がデフレを招く。

 でもって、金含有量を八〇%以上から五〇%ちょいに落した「元禄小判」が鋳造されるようになる。


 そうすると、流通するのは「元禄小判」ばかりになる。

 商人たちは金含有量の多い貴重な「慶長小判」をしまいこむからだ。

 

 そうすると、比較的「慶長小判」が時代を超えて残りやすくなるわけだ。

 それでも江戸初期の金貨なので「慶長小判」も高価だ。

 俺の手元にある「元文小判」の三倍くらいの価格で取引されているようだった。


 でもって買取業者。

 これもいっぱいある。


「業者も色々あるんだな…… 当日査定で換金してくれるとこもあるのかよ」


 俺は、もっと面倒臭いかなと思っていたが、業者によってはそれほど手間なく換金できるとこもあるようだ。


「まあ、オヤジの実家から見つかったとか、爺さんからもらったとか、出所の理由はいくらでも作れるしな」


 色々な業者のサイトを見てみたが、結局「身元」さえしっかりしていれば、換金に問題はないようだった。


「よっしゃ!! これで資金面では問題ないぜ!」


 一気に何千両も出てくれば、相場に影響あるだろうが一〇〇枚くらいならどうということもないだろう。

 俺はそんな風に考えた。


        ◇◇◇◇◇◇


「ずいぶんと、状態のいい『元文小判』ですねぇ……」


 買い取り出張にやってきた業者さんが、つぶやく。

 その言葉に俺は少しばかりドキドキする。


「いや、そうですか―― 俺、全然分からんのですよ。死んだ爺さんが持っていたみたいで」

「いや、まるで昨日、江戸時代から持ってきたみたいです。こんなの状態に良いのは見たことないですね」


 俺は(あなたの見る目は確かです。まるで超能力者です)と心の中で褒めてあげる。

 それは、実際に昨日、江戸時代から持ってきたばかりなのだ。


 しかし、そんなことを真面(まとも)な人間が考えるわけがないのだ。

 あるとすれば「偽造」と認定される危険性だが、本物なのでそれはない。

 金含有量は重さを測れば分かるのだ。


「まあ、江戸から持って来たとか、あり得ないですけどね―― うん、本物ですよ」

「爺さんに感謝ですよ」

「そうですね――」


 というようなやり取りをして、即日で買い取りができた。

 書類を書いて、口座に振り込まれることになる。

 

 江戸から戻った次の日に俺は業者に連絡した。

 即日、業者が自宅にやってきて、こうやってやりとりをしている。


 でもって、俺は二五両をまず、換金することにした。 

 一気に換金しなかったのは、さすがに受け取り金額が一〇〇〇万円超えるとなると業者も慎重になると思ったからだ。


「振り込みは、翌月の一〇日ですか]

「金額が金額ですからね」

「そうですね――」


 要するに買い取りは出来た。

 しかし、現金を手にするのは、もう少し先になりそうだった。


        ◇◇◇◇◇◇


 田沼意次には10日で戻ると言っている。

 小判が現金化されるのを待っているわけにはいかない。


「しゃあねぇか…… まずは俺の貯金で、なんとかするか――」


 俺は引き出しから通帳を取り出しつぶやく。

 ひとりきりの部屋で。


 失業中とはいえ、独り身の男だ。

 塾業界は若いうちの給料は悪くない。

 ただ、その後の伸びは余り期待できないが。

 

 つまり、俺は安月給とまでは言えない、給料をもらっていた。

 それに、さほど金のかかる趣味を持っていない。

 車もないし、酒も飲まない――


 俺は貯金通帳を開く。

 

「あはは…… 峰子に貢いでなければ、もっとあったかねぇ」


 加藤峰子――

 俺の元カノである。

 俺に「大人の女と付き合うのは、お金がかかるのよ、ふふふ」と言うのを教えてくれた女だった。

  

 特に未練はないが――

 くそ……

 

「アイツより美人を彼女にして、嫁にしてやる。そして俺は幸せになるのだ!」

 

 どす黒くなりそうな感情をなんとか、ポジティブな方向に向ける俺。

 貯金は一応六ケタを超えるくらいはある。

 二〇代後半の独身の男とすれば、こんなものだろう。


「まずは、リヤカー、でもって自転車も新しいの買うか」


 パソコンの通販サイトで、リヤカーを探す俺。

 

「自転車接続の金具とかあるのか―― 知らんかった」


 俺の人生において真剣に「どんなリヤカーを買うべきか悩む」という事態が発生することなど想定していなかった。


 ネット通販サイトを見て、色々なリヤカーがあるのだなと、俺は感心する。


「出来るだけ、荷可重のデカイのがいいか。大は小を兼ねるだろうし」


 運べる荷物はあくまでも、「俺の体力の限界」として「リヤカー」というハード的な限界は回避したかった。


「発電機あたりも運びたいしな――」


 俺の頭の中の「江戸時代に持ち込むリスト」には「発電機」もあった。

 ソーラータイプならそれほどは重くない。

 何も知らない江戸の人間が見ても「ただの黒い板」なので、屋根の補強くらいにしか見えないだろう。


「アルミ製、折り畳み、最大三五〇キロか……」


 かなり頑丈そうなリヤカーがある。

 三五〇キロといえば、相撲取り二人くらい運べるということだ。


 まあ、運ぶ気もないけど。


 そもそも、俺以外での人間は、田沼意次しか「時渡りのスキル」作ったトンネルを通れない。


「ソーラー発電機か…‥ おお、このジーゼル発電機は…… え? 三キロワットだとぉ! 三〇アンペアじゃん。俺の家の電力全部まかなえるだろ、これ」


 思わず、ポチリたくなりような製品が多い。

 灯油で動く発電機もあった。


 でだ、まずは10日後(もう9日後だ)に、何を持って江戸に行くか――


「そうだな―― 江戸で高く売れそうな「商品」も持って行くべきか」


 田沼意次にタカリ続ける訳にもいかないし、「江戸⇔現代」と言う形の貿易もできるはずなのだ。


「腕時計、100円ライター、筆記用具、紙のノート、カップめんとかどうだ……」


 俺は、構想を練りながら、パソコンを操作し、ニヤニヤと笑っていたのだった。 

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