後編

「キュヘレ!?」

 そんな母親の叫び声が聞こえたと思ったら、世界が暗転した。

 そして目が覚めた時、キュヘレは驚いた。薄いクリーム色の部屋。白いベッドの上に自分がいることに。パチパチと瞬きして首を巡らせるまでは良かった、起きあがろうと体に力を入れようとして、愕然とした。

 体に力が入らなかったのだ。パニックになってもどかしく体を動かそうとした時、見知らぬ治癒術師が駆け込んできた。そこでやっと、気付いた。

 ここは治癒院だ。駆け込んできた治癒術師に、どうしてここにいるのかを聞く。

 すると治癒術師はとんでもないことを言い出した。

 ここはイモールの町にある治癒院だと。

 キュヘレは急いで記憶をたぐり寄せる。意識が途切れる前……それは、そう。シュトレンとの衝撃的な会話をした翌日のこと。

 〈魔力まりょく欠乏症けつぼうしょう〉で倒れたのだ。キュヘレが昏倒するほどに、今までよりも症状が悪化していた。

 しかし、ライフォンの町の治癒院では治療できる術師がいなかった。彼女を診た治癒術師は緊急事態だとばかりに転送陣――特定の場所へ一瞬で移動することができる魔術の陣のことだ――を使い、イモールの町の治癒院へ彼女を移動させたのだ。

 その時は何とか意識を取り戻したものの、気力体力を奪われて身動きがとれなくなったキュヘレは、ライフォンの町へ戻ることは叶わなかった。


 そして、それから三年の月日が流れた。




「キュヘレ」

 机の上から下まで乱雑に置かれた書類や本を整理していると声をかけられた。

 キュヘレが顔を上げると、開かれた扉の向こうから本を抱えた結晶術師けっしょうじゅつしがこちらを見ていた。

「それが終わったら昼にしていいぞ」

 壁に掛けられた時計を見れば、いつの間にか時間は昼を少しだけ過ぎていたようだ。

「はい」

 キュヘレが肯定したのを見て、結晶術師は頷いた。

「ついでに俺の昼飯買ってきて」

「なにがいいですか?」

 問いかければ、彼はどうしようかと顎に手をそえて考えはじめた。おや、と目を瞬かせる。

「そうだなぁ……パンが食いたい気分」

 珍しい、とキュヘレは思った。いつもならば「なんでもいい。腹が膨れれば」と残念な返事をしてきたのに。

 彼がちゃんとした要望を出してくるなんて、明日は雨か霰でも降るんじゃないだろうか。そんなことを思いながら、結晶術師様はパンが食べたい、と頭の中に入れる。

 そこで「あそこがいい」と、またも彼にしては珍しく言葉を続けた。

「〈赤の通り〉にあるパン屋。名前は……忘れたが、まあ、行けばわかるだろう」

 考える素振りも見せずに、彼はそんなことを言う。行けば分かると言われても、名前が分からなければ探しようがないと思うのだが。

 キュヘレは内心ため息を吐きながらも頷いた。頷いておかなければ、結晶術師の機嫌を損ねてしまう。

「わかりました」

 頼んだぞー、という言葉を残して結晶術師は扉の向こうに消えた。遠ざかる足音を聞きながら、キュヘレはまとめた紙の束を箱に入れた。


 *


 キュヘレが結晶術師の家に居候することになったのは、この町に越してきてすぐのことだ。

 その当時は色々とあったが、彼と出会えたのは彼女にとって僥倖だろう。

「あんたは〈魔力欠乏症〉じゃない。〈魔力まりょく失過症しっかしょう〉だ」

 結晶術師が告げた聞いたことのない病名に、キュヘレは困惑する。

「〈魔力失過症〉?」

 そうだ、と彼は頷く。

「魔力は魔術を使うと失う。だが、〈失過症〉の場合、魔術を使わなくても……そうだな、普通に生活しているだけで、過剰に失われていくんだ」

 人は魔力なしでは生きられない。それなのに、普通に生活しているだけで魔力が失われていくなんて。

「たぶん、あんたの魔力の量は多くない。それでいて、自然と魔力がこぼれ落ちちまう体質なんだろう」

 だから体が不調を訴えて、倒れてしまう。

「それは、治るんですか……?」

 キュヘレの問いかけに、結晶術師は眉を曇らせた。

「はっきり言うと難しいだろう」

 ――その答えを予想していなかったわけではないが、実際に言われてしまうと落胆を隠せない。

 キュヘレが肩を落とすと、「だが」と彼は言葉を続けた。

「その症状を和らげることはできると思う」

「本当ですか!?」

 思わず結晶術師にすがりついた。

 彼はキュヘレを落ち着かせようと両肩に手を添えたが、その表情は憂いを帯びていた。

「……期待はするな」

 和らげるだけでもいい、この症状をどうにかできるのならば、僅かな希望も逃したくはなかったのだ。


 *


 自分と結晶術師の昼食を買いに行くため、彼に言われた〈赤の通り〉を目指す。お昼の時間を少し過ぎた頃だからか、人通りはあまり多くない。

「店はどこだろう……」

 ふらふらと通りを歩いていると、懐かしい匂いが鼻を掠めたような気がした。思わずくんくんと匂いを嗅ぎ、元を辿ろうと右へ左へ視線を移ろわせる。

 ――見つけた。そこは、どこか懐かしさを感じさせるこじんまりとした店だった。

 足早に近づいてみると、そこは驚いたことに探していたパン屋だった。

 ……そういえば、シュトレンは元気にしているだろうか。別れの言葉さえ告げることができずに、別れることになってしまったパン屋の青年。

 彼は今なにをしているだろう。元気でいてくれれば、いつかまた会いに行けるだろうか。

 感傷に浸りながらもキュヘレはパン屋に近づいた。結晶術師が言っていた店はここで間違いないはず。

 ――そして、心のどこかで、ここに入らなければいけないと、漠然と思ったのだ。

 ドアノブを握りしめて扉を開く。カラン、とドアベルが軽い音を鳴らし、訪問者の知らせを店内に告げた。

 ふわり、と鼻をくすぐるパンの匂い。扉の外にまで漂っていた匂いが、店の中を包み込んでいる。

「いらっしゃいま……せっ!?」

 懐かしい声が聞こえて、キュヘレは勢いよく顔をそちらへ向けた。

 カウンターの向こうにいる声の主は、唖然としてまじまじとこちらを見つめていた。

 その声の主を、キュヘレは知っていた。

「シュトレン!?」

 驚きを隠せぬままに、叫ぶように彼の名を呼んだ。

「よう、キュヘレ。元気そうでなによりだ」

 彼――シュトレンも突然のことに驚いたようだが、昔と変わらない調子で話しかけてきた。嬉しそうに目を細めて、口元に笑みをこぼす。

「どうしてここに……」

 シュトレンと最後に会ったのは三年前。その時よりも、彼は幾分か大人の雰囲気をまとっていた。優しい色を帯びるクリムゾンの瞳は、変わらぬままに。

「ここで店やってる」

「……それは、見れば分かるわよ」

 私が聞きたいのはそういうことじゃない。

 もごもごと言い倦ねているキュヘレを見かねてか、シュトレンは困ったようにがしがしと頭をかいた。

「うーん、話したいことはたくさんあるんだが……おまえ、空いてる日は?」

 問われて、キュヘレは脳内で明日以降の日程を確認する。結晶術師の用事も明日には終わるはずだ。早ければ、明後日には休みが取れるはず。

「え、っと……明後日の午後なら、空いてる」

「よし、なら俺もそこを休みにするからここに来い」

 有無を言わさない強い口調に、キュヘレは首振り人形のようにこくこくと頷くことしかできなかった。

「よし、決まりだ」

 ぱっと明るくなった彼の表情に、懐かしさがこみ上げてきた。こんな彼の表情をまた見ることができるなんて。喜びが表情ににじみ出てしまいそうになるのを、必死に我慢する。

「それで、今日はどうする?」

「え?」

「パンを買いに来たんだろ?」

 呆れたような口調で言われて、昼食のことをすっかり忘れていたことに気付く。

 そうだ、ここへは昼食を買いにきたわけであって、シュトレンに会いに来たわけではないのだ。

 ――そもそも、ここにシュトレンがいること自体知らなかったのだから、会いに来たと考えるのもおかしな話だ。

 脳内で一人問答を繰り返しているキュヘレをよそに、シュトレンはささっと彼女の前にパンを並べる。

「おすすめはこれ。新しいのはこれとそれとそっち」

 ハッとして彼が並べたパンを見比べる。以前のパン屋で見たことのあるものもあれば、知らないもの――たぶん新しく作ったものだろう――もある。

 そのどれもが美味しそうに見えるので、目移りしてしまう。

「えーっと……」

「俺的にはこれをおまえに食ってほしい」

 どれにしようか悩むよりも先に、シュトレンが一つの赤いパンを指し示した。それを見て思わず表情がゆるむ。

 それはひどく懐かしい――あの告白された日に試食したパンだった。どうやら完成させたらしい。イリゴの実のジャムをたっぷりと使ったパン。

「…………じゃあ、それを」

 シュトレンが勧めてきたパンと、それから結晶術師の分も購入して、キュヘレは彼のパン屋を後にした。

 ――偶然とはいえ彼との再会に、自分が喜んでいるのを自覚しながら。




 シュトレンとの約束の日。

 無事に休みをとることができたキュヘレは、気持ちが落ち着かぬままに彼のお店へと足を運んだ。

 だが、そこには『準備中』と書かれた看板が立てかけられてある。

 そういえば休みをとるといっていたが、果たして、中に入ってもよいものだろうか。

 どうしようか思い悩んでいると、内側から扉が開けられた。

「よう、キュヘレ」

 彼の顔を見た瞬間、胸が跳ねた。

「こんにちは、シュトレン」

「もしかしてずっと待ってた?」

 どうぞ、と彼に促されて中に入る。

 今日は店が休みだからパンの匂いがあまりしない。残り香のようになんとなく香るのは、店にパンの匂いが染み着いているからだろうか。

「いえ、今来たところよ。『準備中』になってたから、どうしようかと思って」

「ああ、悪い。そりゃ入りづらいよな」

 彼の後ろに続いて店の奥に入る。通路を少し進むと階段が見えた。どうやら二階が居住スペースになっているらしい。

 階段を上り、最初に入った部屋にはテーブルと二脚のイスが置かれていた。彼はそのうちの一脚の背もたれを掴み、後ろに引く。

「散らかってて悪いな。ここに座って待っててくれ」

 キュヘレは頷いて、おとなしくそのイスに座る。

 シュトレンはというと、パタパタと忙しなく動き回りはじめた。部屋の中を見渡したり彼を眺めながら待っていると、準備ができたのかティーポットやカップなどを載せたトレーを持ってやってくる。

「お待たせ」

 明るい赤茶色の液体が注がれたカップと一緒に、白くて丸い、小さいパンを出された。

 もしかして、と彼を見ればにっこりと笑顔を返される。

「まだ試作段階のやつだが、よかったら味見してくれ」

 やっぱり、また試食か。

 三年前の時もそうだったが、彼は私に試食させるのが好きらしい。美味しいものを食べさせてくれるのは嬉しいが、美味しいという感想しか言えないのが心苦しい。

「ありがとう」

 少し緊張していたからか、喉が乾いていた。ありがたく紅茶で喉を潤し、彼の試作品を手に取る。

 触った感触は少し固めだろうか。どんな味がするのだろうかとワクワクしながら口に入れる。

 一回、二回と噛みしめて、口元に笑みが浮かんだ。

「おいしいわ」

 これにもイリゴの実のジャムが使われているようで、思わず表情がほころぶ。果実の中では一番好きなものなので、こうして食べられるのは嬉しい。

「そりゃ良かった」

 ゆっくりと紅茶とパンを味わいながら、そろそろいいかとキュヘレはカップを置いた。

「それで、なんでシュトレンがこの町にいるのかしら?」

 彼はずっとライフォンの町にいると思っていた。再会できたのは嬉しいが、疑問ばかりが浮かんでしまう。

「ちょっとした腕試しかな。親父の店は姉さんが継ぐし、俺は俺の店を出したくて。丁度、親父の知り合いが空き家を紹介してくれたんだ」

 それがここ、と彼は言う。

 キュヘレは、ふうん、と頷きながら、両手でカップを包み込んだ。じんわりとした暖かさが肌を通して感じられて、気が急きそうになるのを落ち着かせる。

「いつから?」

「三年前」

 ――三年前といえば、自分がこの町へ移り住んだ頃と一緒だ。偶然だろうと思う反面、もしかして、と思わないでもない。

 やきもきする気持ちを隠すようにカップを持ち上げて、少しだけ紅茶を口に含んだ。

「それで、調子はどうなの?」

「うーん……まあまあ軌道に乗ったところだなぁ」

 シュトレンは苦笑いして答えた。そう答えるということは、経営自体はそんなに悪くないのだろう。

 気付かれないようにほっと安堵の息を吐く。彼ならば大丈夫だと思っているけれど、いつどうなるかなんて分からない。

「ところで、おまえって今どこに住んでるんだ?」

 唐突に彼がそんなことを聞いてきた。

 話題が急に変わったことに、訝しげに彼の顔を見ると、至って真剣な表情をしていた。どうしたというのだろう。

「……今、それ関係ある?」

「俺にとってはな」

 不思議に思って首を傾げる。

「結晶術師様の家よ。居候……いえ、住み込みで働かせてもらっているわ」

 別段、隠す必要もないのでそう告げると、彼は驚いたように素っ頓狂な声を上げた。

「結晶術師?」

「えぇ」

 戸惑いながら頷くと、彼は眉間に皺を寄せた。

「治癒院は?」

 その疑問に、すぐに答えることはできなかった。できれば言いたくないのだけど、きっとシュトレンは許してくれないだろう。

 降下していく気分を紛らわせるように、また紅茶に口を付けた。

「行ったけど、駄目だったの」

 イモールの町の治癒術師でも、キュヘレの症状を完治させるには至らなかった。

「ただ、その時に治療してくださった治癒術師様が『知り合いならなんとかなるかも』って言ってくださって。それで、今お世話になってる結晶術師様を紹介してもらったの」

 そしたら、キュヘレの発症した症状が〈魔力欠乏症〉ではなく〈魔力失過症〉ということが判明した。

 それからはたまに治癒院に行きつつ、結晶術師の元であれこれと対策をとってもらうことになったのだ。

 今では、普通に生活できるまで回復してきている。

 根本的な部分は解決していないが、これまでのことを思い返すと、今が一番体調が良い。

結晶薬草けっしょうやくそうって知ってる?」

「なんだそれ」

 キュヘレは襟元から首にかけていた紐を引っ張り、その先にある袋を取り出した。口を開けて中身を取り出すと、彼に見るように手のひらの上に転がした。淡い水色と紫色が混ざった、不可思議な輝きを放つ鉱石にも似たもの。

「これは魔力結晶。結晶術師様が作ったものよ」

 魔力を吸収しやすい鉱石を媒体にして、魔力を込めて作られた結晶。これには溢れるほどの魔力が込められており、何かあった時のために、結晶術師から持つように言われていた。

「結晶薬草は、この魔力の結晶を栄養にして育つ薬草のことよ」

 まずは魔力結晶に種を植えて、芽が出るのを待つ。無事に発芽すれば、後は毎日欠かさず魔力を注ぎ込むだけだ。成長した結晶薬草は、一週間程度で花を咲かせる。それから二日程度過ぎると、実をつけるのだ。果実からは種を採取し、それをまた魔力結晶に植えて、同じことを繰り返していく。

 結晶薬草の良いところは草全体が魔力で満ちているところだ。葉も茎も、花も実も、それこそ根っこにまで魔力が宿っている。

 キュヘレはそれを食すことで、失われていく魔力を補っていた。

 そう説明すると、シュトレンは興味深そうに結晶を眺めて、それをつんつんと指先でつついた。

 これは特別熱いわけでも、冷たいわけでもない。魔力結晶を知らない人からすれば、ただの綺麗な宝石にしか見えないだろう。

「魔力が失われていくなら、それと同等かそれ以上の魔力を補給すれば改善するんじゃないかって」

 袋の中に魔力結晶を戻して、懐にしまう。万が一のことを想定して、無くさないように、すぐに取り出せるように首から下げているのだ。

 ただ、これは念のために持ち合わせているだけに過ぎない。

 魔力結晶はその性質が故に大量の魔力がこもっている。それを摂取するということは、一時的にも魔力過多になりかねない。それでは逆に体がおかしくなってしまう。

「結晶術師様は結晶薬草を研究していて、私はその手伝いをしながらその薬草を少しだけもらっているの」

 魔力結晶ではなく結晶薬草を摂取することで、魔力過多になることもない。

 万が一、結晶薬草が無い場合にはこれを摂取するしかなくなるのだが……結晶術師は、あまり良い顔をしなかった。つまり、そういうことなのだろう。

「だから、今は前よりずっと体の調子はいいのよ」

「そうか。良かったな」

 自分のことのように、彼は嬉しそうに言った。

「……ところで」

 そこで、彼の口調が急に固くなった。

 訝しげにシュトレンを見れば、どこか痛みをこらえているような表情を浮かべていた。

「なによ」

「三年前のこと。忘れてないよな?」

 三年前、と口の中で繰り返し、何があったかを思い出した瞬間、ぼんっと顔が赤くなった。

「おお、忘れてないようで嬉しい」

「うううるさいわね! 忘れられるはずがないでしょう!」

 気恥ずかしくて、穴があったら入りたい。

 恨みがましくシュトレンを見やれば、彼はとぼけたように肩をすくませる。

「それで、どうなんだ?」

「なにがかしら」

「おまえは俺のことどう思ってる? ……あれから三年経ったけど、まだ気持ちは変わってない?」

 甘い声で囁きながら見つめてくるシュトレンに、思わず頬が紅潮する。慌てて下を向いたものの、きっと、彼には気付かれている。

 バクバクと心臓が鳴っている。

 症状が落ち着いている今なら、言ってもいいんじゃないだろうか。今が言う時だろう。前は言えなかったことを、今は言うのだ。

 怖じ気づく心を奮い立たせて、気持ちを整える。

「…………かわってない」

 か細い声でその言葉に出すのに、数十分かかった。

「かわってないわ」

 意を決して顔を上げる。彼の驚きと喜びと、様々な色が混ざった瞳がこちらを見ていた。

「私はシュトレンが好きよ。三年前も、そして、今も」

「キュヘレ!」

 歓喜の声を上げたシュトレンが、がたんと音を立てて立ち上がった。その拍子に彼の椅子が後ろに倒れ、テーブルが揺れた。

「あわわっ」

 テーブルが揺れたと同時にカップが倒れた。中に残っていた液体が、テーブルの上に広がっていく。

「あ! 悪い!」

 シュトレンは慌ててタオルを投げてきた。それでこぼした紅茶をふき取っていく。ああ、もったいない。この紅茶はとても美味しかったのに。

「もう、何を慌ててるのよ」

 呆れたように言えば、彼は困ったように眉尻を下げた。

「仕方ねぇだろ。前は俺が告白して終わっただけだし……今日は、三年前のこと、忘れてんじゃないかって思ってたし……」

 そう言われてしまうと、キュヘレは強くは言えなかった。むしろ、彼にそう思わせてしまったことに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「それは……ごめんなさい」

「いや、おまえはなーんも悪くねぇよ」

 しゅんと小さくなったキュヘレを、シュトレンは近づいて抱き寄せてきた。

 腕の中から、彼を見上げる。

 柔らかな眼差しの中に孕む熱。それを見つけてしまって、キュヘレは体内がどんどん熱くなっていくのを感じた。

 ほの甘い雰囲気を漂わせて、彼は嬉しくてたまらないとばかりに口角をつり上げた。

「三年前のやり直しだが……キュヘレ、愛してる。俺と結婚してくれるか?」

 直球過ぎる彼の言葉に、キュヘレはぷっと吹き出し、顔を赤く染め上げながら……素直に頷いた。

「私も、シュトレンのことが好きよ。結婚よりも先に、まずはお付き合いからね」

 気恥ずかしくて愛してるとは言えなかったけれど、三年前の分も込めて、精一杯の恋の言葉を紡いだ。

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