第7話 言いがかりは止めてください! 斬りますよ!?
王立学院への再入学が決まったヴァルトルーデは、馬車に乗り込むとアルマと共に喜んだ。未だわだかまりが完全に解けたわけではないものの、問題はすべて解決したので心はすっかり軽くなっている。
「お嬢様、おめでとうございます! あの忌々しい子弟どもの青い顔が見られて胸がすっとしました!」
「ありがとう、アルマ。実を言うと、私も少しすっとしちゃったの」
「ですよねー!」
そして、特にアルマがはしゃいでいる。よほど気にくわなかったらしい。
「ヴァルテ、先ほどの学長の話にもありましたとおり、再び学院へ赴いてもらいます。そのときに片付けられる書類はすべて片付けますよ」
本来ならば実家にいる両親の作業だが、クラーラ院長が滞在している間に代理でやってしまおうということになった。退学前の書類が残っていたので代替の手続きを短縮できたからでもある。
「クラーラ院長、お嬢様はこれからずっと入学手続きの作業があるのですか?」
「いえ、それはわたくしがやります。ヴァルテには、二日後にいくつかの書類にサインをしてもらうだけです」
前回と同じだ。両親にサインを求められたことをヴァルトルーデは思い出す。
「では、その間私は何をすれば良いのでしょうか?」
「王都を見て回ってきなさい。学院と王宮以外はほとんど行ったことがないのでしょう?」
「やったぁ!」
ご主人様よりもアルマが喜んだ。
翌日、ヴァルトルーデとアルマはクラーラ院長と別れて、徒歩で王都を回った。白亜の聖堂、願掛けの橋、きれいな淡水魚のいる池、活気のある市場など、見所を教えてもらった二人はできるだけそこへ足を向ける。
「楽しいところが本当にたくさんあるわね!」
「ええ! とても一日では回れませんよ、お嬢様」
見物したり、触ってみたり、食べてみたり、行く先々には初めて見聞きするものばかりで、二人は終始興奮しっぱなしだ。
ちなみに、トゥーゼンダーヴィントとオゥタドンナーはアルマが持っている。本当は宿に置いておきたかったのだが、一緒に行くとどちらもだだをこねたからだ。ただし、しゃべる剣ということを知られるのはまずいので、黙っていることが条件だった。
お楽しみが終わった後は入学手続きである。書類にサインするだけなのだが、本人でないとできない作業だ。
馬車に揺られて再び王立学院へ三人一緒に向かうと、応接室でクラーラ院長と事務員に手伝ってもらいながらサインを済ませた。
「これで終わりです。これで来年から再びここで学ぶことができますね」
「ありがとうございます。クラーラ院長」
片付けた書類を抱えて退室する事務員を見送った後、アルマが二人にお茶を用意する。
「それで、この後あたし達はどうするんですか? ベルネット領に帰るんでしょうか?」
「そうですね。用は済みましたから、王宮に行って挨拶をしてから帰りましょう」
今後の予定を尋ねてきたアルマに対して、クラーラ院長が答えた。
「それでしたら、最後にこの学院内を散策してもよろしいですか? 久しぶりに見て回りたいのです」
「構いませんよ。わたくしは学長と話をしてきますから、その間にいってらっしゃい」
「ありがとうございます」
許可をもらえたヴァルトルーデは、一休みした後にアルマと一緒に応接室を出た。
そろそろ夕刻に差しかかろうという時間帯であるため、空が端から茜色に染まろうとしている。日差しもこれから朱色に染まっていくわけだが、王都を囲む防壁や周囲の建物のせいで暗くなる時間は早い。
ヴァルトルーデとアルマは防寒着を身にまとって歩き始めたが、ひんやりとした空気は手足の先から染みこんできた。特にアルマは寒そうだ。剣を抱えながら両手をこすっている。
「王都の冬も寒いなぁ。来年にお嬢様が入学するときはもっと冬着を持ってこなきゃ」
「でも、冬物を買う余裕なんてあったかしら?」
「手袋やマフラーくらいでしたら、あたしが編みますよ。今からなら余裕です。ああでも、未来の旦那様におねだりした方が手っ取り早いですよねぇ」
「もう、そういうこと言わないの」
実にいやらしい笑顔を向けたアルマの言い方に照れたヴァルトルーデは、ぷいとそっぽを向いた。
「随分と機嫌がいいですねぇ」
学院内で二人が仲良く冬景色を楽しんでいると、背後から男の声がした。振り向くと、あの子弟三人組がいる。
ヴァルトルーデは息を飲んで下がる。逆にアルマは前に出て自身のご主人様をかばう。
「あんた達、懲りないわね! またやらかす気?」
「うるさいぞ! 使用人風情が貴族の子弟に向かってタメ口とは不敬だ!」
あの侯爵家の三男坊アルベルトが青筋を立てて怒鳴る。身分制度の確立したこの世界では正しい言い分なのだが、以前したことを考えるとアルマは賛同できない。
「お前達のせいで、俺達は放校処分だ。田舎出の貧乏子爵の女が王子と結婚しているなんてわかるわけないだろ! お前達が最初にちゃんと言ってりゃ、こんなことにならなかったのに! 俺達の将来はめちゃくちゃになっちまった!」
アルベルトは大げさに嘆く。そのあまりに自分勝手な言い分に二人とも呆れ果てた。
しかし、三人の手元を見てのんきにはしていられないことをアルマは知る。どうして木剣など持っているのか。理由を問うまでもないだろう。
周囲には誰もいない。そう言えば、ここは前にも襲われた場所だ。すべてが解決したと油断しすぎた。
「前は油断していた俺を偶然投げ飛ばせたが、今度はそう上手くいかねぇぞ」
口元を歪ませたアルベルト達は半円状に散開して木剣を構える。形勢はどう考えても不利だ。
「自分達が何をしようとしているのか理解しているの? 王族の婚約者を襲撃したら放校だけじゃ済まないわよ?」
「でも、まだ公表されていないだろ。だったら、知らなかったって言えばいいだけだ!」
アルマの警告にカミルが噛みついた。一瞬何を言っているのかわからなかったが、パウルの言葉で気付かされる。
「つまり、俺達はただの貧乏子爵のご令嬢を相手にしただけってわけだよ」
婚約していることは事実なのだから公表されているかどうかは関係ないのだが、追い詰められた三人はどうもそこに気付いていないらしい。
「ああもう、めんどくさい連中ねぇ」
もはや話し合いでどうこうできる様子ではないことをアルマは悟る。
さすがに前のような奇襲は通用しないと思ったアルマは、トゥーゼンダーヴィントをヴァルトルーデに押しつける。そして、鞘に収めたままオゥタドンナーを構えた。
『アルマ、鞘を抜き忘れてるぞ!』
「これでいいのよ。斬り殺すわけにはいかないでしょ」
『貴様、この後に及んで甘いぞ!』
さすがに三人を相手にアルマも勝てる気はしない。特に同時に斬りかかられたら、確実にヴァルトルーデを守れない。寒いはずなのに嫌な汗が頬を伝う。
『主よ、我を抜くのだ! いくら小童相手でもアルマひとりでは相手にできん!』
「でも」
『つまらぬ躊躇いは仲間を失うぞ!』
修道院で言われるままに剣を振ったヴァルトルーデだが、本気で戦う気などそもそもない。そのため、その機会に突然襲われても聖剣を抱くままで何も考えられないでいた。
「何だその剣は? しゃべってんのか?」
相手は女だけなのに、男の声が剣から聞こえてアルベルト達は足を止める。
「お嬢様、逃げて!」
ヴァルトルーデが躊躇っている間に、アルマは叫ぶと先に動いた。先手を取られるとヴァルトルーデすら守れないと考え、相手の足の止まった瞬間を狙ったのだ。
アルマはまず真正面のアルベルトに対して大きく踏み込み、剣を突き出しながら小さく振る。狙うは相手のむき出しの手の甲だ。当たれば木剣を落とすだけでなく、痛みでしばらく戦えない。だが、アルベルトは木剣で受け流しつつ後退した。打ち込みは失敗だ。
続いてアルマは向かって右側に展開していたカミルに剣先を向けて踏み込む。狙いはやはり素手の甲だ。しかし、距離が少し遠かったせいで僅かに届かなかった。それに驚いたカミルは慌てて下がる。
最後にヴァルトルーデに向かおうとしていたパウルの剣先を叩く。そして牽制で相手の手の甲に向けて突きを打ち込んだ。しかし外れた。大きく下がって間合いを取られる。
何とも中途半端な攻撃だが、アルマは最初から倒すつもりで仕掛けていない。三人の目を自分に向けるためだ。最初に自分を標的にさせることで、ヴァルトルーデの逃げる時間を稼ぐのである。
「お嬢様!? 早く!」
ところが、ヴァルトルーデはほとんど動いていなかった。半ば足がすくみ、半ばアルマを見捨てられずに動けなかったのだ。
『おい、そんだけ動けるんなら抜き身ですぐにケリを付けられるだろう!』
「だから殺しちゃダメだって言ってるでしょ!」
『馬鹿野郎! 木剣を断ち切りゃいいだろうが!』
オゥタドンナーに諭されてアルマがようやく気付く。焦って気が回らなかった。
「くそ、やらせるかよ!」
会話を聞いていたアルベルトは、剣を抜く暇を与えないためアルマに向かって剣を打ち込む。さすがに真剣の刃を相手にする気にはなれなかった。
アルベルトの打ち込みは大雑把ではあったが、アルマの行動を封じるのには成功した。鞘から剣を抜くことを諦めたアルマが、体を右に寄せつつアルベルトの剣先を左に流す。
その直後に、一歩遅れて打ち込んできた他の二人の剣先がアルマに向かってきた。
右側から打ち込んできたカミルの剣は半ば奇跡的に受け流せた。体全体を真正面に向ける時間がなかったので、右腕を小ぶりに振り抜いて、はじくように剣先を逸らせた。
しかし、左側のパウルにはほぼ背中を見せることになってしまい、木剣で背中をしたたかに打たれてしまう。
「あ゛うっ!」
呻きとも悲鳴ともとれるような声を上げて、アルマがつんのめるようにして前によろける。オゥタドンナーはかろうじて手にしているが、それだけだ。
「アルマ!」
『主、早く抜け!』
トゥーゼンダーヴィントが叫ぶが、ヴァルトルーデはその声を聞いていない。アルマを見つめるばかりだ。しかし、修行の成果なのか、無意識に聖剣を鞘から引き抜く。その瞬間、当たりが明るくなった。
「なんだあれ!?」
「僕、光る剣なんて初めて見た」
倒れるように地面に座り込んだアルマに対して追撃の一撃を入れようとしていた三人は、輝く聖剣を目の当たりにして硬直した。何がどうなっているのかわからずに混乱する。
抜き身のトゥーゼンダーヴィントの輝きは次第に収まっていくが、ヴァルトルーデの目には入っていない。見えているのは、野原で剣を振っていたときに見えた線画だ。
『主よ、敵が怯んでいる隙に仕掛けよ!』
「は、はい!」
視界に映るアルマの姿に胸を押しつぶされそうになりながら、ヴァルトルーデは何度も練習したように線画に会わせて体を動かす。
最初は一番手前に位置しているアルマの背中を打ち付けたパウルだ。正対しているが、輝くトゥーゼンダーヴィントを呆然と見ていたのでほぼ無防備だった。
自分が標的になったことに気付いたパウルが慌てて木剣を構える。その顔には未知のものに対する恐怖が浮かんでいた。
ヴァルトルーデに見える線画は、相手の木剣を断ち切るように描かれていた。早くアルマを助けたい一心のヴァルトルーデは、余計なことを考えることなく忠実に線画をなぞって体を動かす。すると、まるでむき出しのゆで卵をナイフで切るように木剣を切断できた。
「なっ!?」
起きたことを理解しきれないパウルは、半ばできれいに切断された木剣を呆けるように見つめたまま動けない。
『よし、次は右だ!』
トゥーゼンダーヴィントの言葉にヴァルトルーデが視線を右斜め前に向ける。アルマとの間には、カミルがいた。線画は、力なく構えられている木剣を切断するように描かれている。
人を殺すのは無理でも、木剣を切断するのならば良心の呵責は起きない。ヴァルトルーデは躊躇することなく線画に沿って動く。
「ひっ!」
恐怖で一歩下がったカミルに合わせて線画が修正されるが、ヴァルトルーデは何とかそれに合わせる。結果、多少線画から外れたが、木剣を切断することはできた。
『残るはひとりだ!』
聖剣の叫びにヴァルトルーデが反応し、アルベルトへと視線を向ける。既に後退して距離をとり、震えながらも剣を構えていた。
「なんだよ、なんで女ごときが剣を使えるんだよ! しかもその剣はなんだ!」
アルベルトは血走った目でヴァルトルーデとトゥーゼンダーヴィントを睨む。反撃されるのが予想外なら、得体の知れない剣を持っているのも予想外、想定通りといえばヴァルトルーデとアルマが二人きりだったということくらいだ。
ヴァルトルーデはアルベルトの言葉には応えない。ただ、目の前に描かれた線画に沿うことだけに集中する。
本来ならば間合いをとって一旦相手の様子を見るところだが、線画の見えるヴァルトルーデはそのままアルベルトに向かって動く。
ヴァルトルーデは上段からアルベルトの剣を切断しようとするが、さすがに三度目ともなるとその意図は相手にも知られている。アルベルトに打ち合わずに大きく後退されたせいで聖剣は空を切った。線画は尚も相手に向かって続いているが、さすがに体が追いつかずに停止する。
「くそ、くそ、くそ!」
単に木剣を振るって女を痛めつけるだけだったはずなのに、実際は自分達以上の技量を持って追い詰められている。しかも真剣を持ってだ。アルベルトは恐慌状態に陥りつつあった。
「あの、もう止めませんか? これ以上は無益だと思います」
剣を構えて対峙しているヴァルトルーデがアルベルトに話しかける。線画をなぞれば達人並のことができるようになるが、まだ沿えない場合が多い。また、早くアルマの様子を確認したかったこともあって提案したのだ。
しかし、視野の狭くなっていたアルベルトには逆効果だった。貴族の子弟が剣で子女に追い詰められた上に、上から目線で情けをかけられた。アルベルトはそう感じてしまったのだ。
「ふざけるな! 死ねぇ!」
逆上したアルベルトは、木剣を大きく振りかぶって無造作に踏み込んできた。目標はヴァルトルーデの脳天、本気だ。
一方、ヴァルトルーデはアルベルトの声に若干怯えながらも、線画の通りに右側に体を避けつつ、下段からすくい上げるようにしてアルベルトの剣線に合わせるように聖剣を動かした。
一瞬の交差の後、どちらも体を止める。ヴァルトルーデの聖剣は振り上げたまま、アルベルトの木剣は振り下げたまま。しかし、木剣は根元から先がない。音を立てたあと地面に転がっていた。
「うわぁ!」
勝てないと察した二人が逃げてゆく。それをアルベルトは呆然と見送っていた。何が起きたのか理解が追いついていない様子でもある。
『そなたの負けだ。立ち去るがいい』
構えを解いたヴァルトルーデの握るトゥーゼンダーヴィントが、アルベルトに言葉を投げかける。勝敗は既に明らかだ。これ以上やるとなるともう殺し合うしかない。
「くそ!」
しかし、そこまでする気は誰にもなかった。アルベルトは憎々しげにヴァルトルーデを睨むと、逃げた仲間を追って走って行った。
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