【第三部】第一章「犬飼 八重子(いぬかい やえこ)」
俺が一億円を師匠である、「葛西 迅助(かさい じんすけ)」に渡してから一年が過ぎた。詐欺師としての教育を受けていた。師匠はどちらかと言うと自由気ままな人物で、飲んだくれのギャンブル好きである。特に競馬が好きで、俺に詐欺を教えると言いつつ、勝手にふらふらと出掛けては、負け勝負で、金をすってくることが多かった。どうせ師匠のことだから、渡した一億円も数日で消えたに違いない。俺は実利主義で、負ける勝負をしないので考えられない。そもそも、酒なんかあんまり、付き合い程度にしか飲まないしな。
一方、通っていた経済大学は休学扱いにした。ケンなどの友人からは連絡があったが、俺はもう戻れまいと思い、知人友人の連絡先を、泣く泣く消したのだった。かなり心配されただろうな。
俺が師匠に、「金を出したから、やることはやってください!」と怒鳴って、情報網から、「親父の死因」を調べてもらうと、驚きの事実が分かってきた。事件の主犯は、黒石 彰(くろいし あきら)であること。
そして、彼は数年前に「秋月家」という、幸せな家族にも住宅ローン紛(まが)いの詐欺を仕掛け、「株式会社・ドーベルマン」と名義の会社でいろいろな悪さをしたそうだ。また、稼いだお金の一部を投資して護衛や配下を手元に置き、私用で雇っている殺し屋が何人かいるらしい。
俺に「手紙」を送った女性(?)は恐らく、あけちゃんではないかと、俺は思っている。俺は首に残る縄の感触を未だに覚えていた。
「のそ!酒持ってこい!」
「師匠、……飲みすぎ。肝臓悪くしても……知らないよ?」
「お前なぁ、その、のっろい喋り方どうにかならんのかい?俺はいいけれども、舐められちまうぜ?」
師匠は俺に対していつもこう言うのだ。自分でも嫌と言うほど、この欠点は分かっているのだ。しかし、師匠が饒舌多弁(じょうぜつたべん)だとするならば、俺はかなり遅くて、口下手であり、詐欺には向いていない。分かっている。ただ、何かの武器にならないのかと俺は考え、思い巡らしていた。
いつも集う、田舎の廃校で俺と「飲んだくれの師匠」はだらだらと、日々を消耗的に過ごしていた。どうやって敵に切り込もうか。そのことを考えてばかりいるのだ。が、しかし牙城のような黒石 彰に対し、俺は貯金をすべて師匠に渡してしまったので、正直言って戦力になるものが底をついていた。
そのとき、俺のスマートフォンに着信が入った。どうやら一度消した連絡先で、名前が出ていなかったのだが、やや気持ちが悪かったけれど、出てみることにした。
「……はい」
「あ、竜之介くん?今なにしてるの?」
「なにって……普通のことですよ」
声の主は、鷹山 美咲(たかやま みさき)さんだった。俺が実家に、一報も連絡を入れなかったのがまずかったのだろうか。それとも、親父の先輩警官の娘だからだろうか。このタイミングでやけに勘が良かった。
「おい、のそ、誰だ?」
「あ、ちょっと掛けなおしますね!」
「え?ちょっと待って!あっ」
師匠が俺のことを怪しい目で見ていたので一旦電話を切って、師匠に話をした。
「誰だ?知り合いか?」
師匠は少し訝(いぶか)しげな目で、俺を見ていた。ちょっとめんどくさい。ここで美咲さんの声を聴くと俺もいろいろと言い訳をしたくなるのだ。母親ならまだ良かったかも知れない。ただ、あの優しい美咲さんの声には俺も負けそうになっていた。俺は差し障りのない範囲で話を進めた。
「なんか……犬っころの渡し主……みたいでした」
「お前なぁ、知り合いは切っとけって言ったろうが。俺は寝るぞ!」
そう言って師匠は、毛布を床に敷いて、いつものようにいびきを掻いて寝てしまった。俺は見つからないように部屋を出ると、スマートフォンの着信履歴をもう一度見た。そして、選択して「消去ボタン」を押そうとしたのだが……涙が溢れ、手が震えて押せなかった。
「もう一度だけ、もう一度だけいいですよね」
**
「あ、出た。もしもーし、竜之介くん?」
「……さっきはスミマセン」
「聞いたよー、『楼雀(ロウザク)組の京介』さんに。明正さんの仇討ちしようとしてるんだって?」
「……バレちゃいましたか」
「あなたは警察官の子どもでしょ?私も同じだけど。確かに、私も高校のときに悪徳ブリーダーと闘ったし、その会社の社長が犯人だって、知ってるけれど、『現状証拠』がない以上、叩けないもん」
「じゃあ、黙って……指を咥(くわ)えて……見てろって言うんですか?」
「そうじゃない。そうじゃないの。残された家族を考えて。紗代さんは?波留ちゃんは?あなたには家族がいるじゃないの。私が母親だったら、そんなことして欲しいと思わないわ」
「……引き留めても……無駄ですよ。大学も休学したので。お金も……使い果たしましたし」
しばらく電話に間があった。俺の悲しみや憎しみが美咲さんには伝わったのだろうか?そして、美咲さんが口を開いた。
「私が海外に行っているときにね、『高校時代に立ち上げたサイトの書き込み』から『クロイシ・ペットビジネス』の実情を知る、元女性社員と知り合ったの。今は四十代くらいじゃないかな。本名は『犬飼 八重子(いぬかい やえこ)』さんって言うんだけれど、当時のハンドルネームは『カヤ』って名前で登校があった人がいるの。いろいろ聞いてみるといいわ。後で連絡先送るから、一度話してみるといいわ」
「……ありがとうございます」
「私は止めたからね。それに、賛成もしていない。一度立ち止まって深呼吸しなさい。それで、もしも不安になったらいつでも電話して。話は聞くから」
「……はい」
そして、俺は電話を切って静かに泣いた。
**
一時間ほどして、美咲さんからメールが届き、『犬飼 八重子(カヤ)』の連絡先が記載されていた。
俺は思い切って電話をしてみた。
「もしもし、……犬飼……さんですか?」
「……誰ですか?」
女性の声が電話口から聞こえた。家族と一緒らしい。中高生の子どもの声が電話の後ろから聞こえた。俺は簡単に自分の身の上を説明し、彼女から話を聞いた。
「俺は、鷹山美咲さんの知り合いのもので、……かぶし……クロイシのことを、犬飼さん……いや、カヤさんから聞きたいんです。……怪しいものじゃないです」
上手く喋ることができなかったけれど、つっかえながらも話した。彼女は察したらしく、俺に対する声も明るくなった。
「あ、ああそうね!分かりました。って言っても、もう十年以上前の話だわ。それでもいいの?」
「……はい」
「分かったわ。電話じゃ話せないこともあるから、今度の週末にどこかで落ち合いましょう。あなた、お名前は?」
「……りゅう、竜之介って言います」
「いい名前ね」
俺はカヤさんと約束をし、そして週末に霧前市に向かって車を走らせた。カヤさんは霧前市にお住まいらしく、駅前のカフェで落ち合うことになった。
**
昼過ぎのティータイムの時間。俺は霧前市の駅前にあるお洒落なカフェに呼ばれた。カヤさんは、普通の女性であり、雰囲気も柔らかい女性だった。彼女は(株)クロイシ・ペットビジネスにおける、過去の話を話してくれた。
「よろしく……お願いします。」
「いい?落ち着いて聞いてね。私はかれこれ十年以上前にかの会社で、働いていたの。当時、某社はベンチャー企業の一角に過ぎなくてね、私もあなたと同じ大学生だったのだけれど、ちょうど不景気の波に呑まれて就職先がなかったの。そして滑り込んで入った企業がこの会社だったの」
カヤさんは頭を抱えながら言った。
「当時は今みたいに、卸ろしのペットショップはなくって、直営店みたいな感じで働いてたの。そんな中、『飼育・繁殖課』って、通称『ゴミ箱」って呼ばれる課があの会社にはあったの」
「ゴミ箱……ですか?」
「そう。ゴミ箱。不衛生なプレハブ小屋で、何匹ものワンちゃんやネコちゃんを乱繁殖させて、それを流してしてたの。竜之介くんは分からないかも知れないけれど、動物も一匹にたくさんの動物を産ませると負担が大きくなってしまうの。高齢であれば尚更ね。普通の企業なら、そこら辺を留意して、種付けの期間を空けたり、あとは、国でも繁殖回数を規制して、しっかりと管理してるんだけど、あの会社はずさんだから、お金儲けのことしか考えてなかったの」
「は、はぁ……」
「労働環境も良くなかったわ。夏は暑く、冬は寒く。法定労働時間なんか超過してたし、賃金も安かった。私の知っている限り、何人かの本社勤務の人も辞めたんじゃないかしら。私は短期間、繁殖・育成課に行っただけだけれど、それでも吐き気がするほど、環境が悪かったの」
俺は話を聞いているとめまいがしてきた。そう言えば親父からも、黒石 彰の話は何度か聞いた気がするけど、気持ちの良い話ではなかったなと。コーヒーはすっかりと冷めきり、冷たくなっていた。カヤさんはとても辛そうに話していた。
「竜之介くんは……これを知ってどうしたいの?もう大学生だろうし、就職したいよね?私が言っているのは、ごく一部の会社だけれど、ざらに世の中にはくっろい会社なんてたくさんあるの。私は今子育てしてて、息子が二人いるのだけれど、いい会社に行きつくまで何社も巡ったわ。足が棒になるくらいにね」
「……俺も分かりません。なにがしたいのか。……ただ……ちょっと興味が湧きました」
「そ、分かったわ。まぁ、美咲ちゃんも心配してるだろうし、幸せになって欲しいと私も思うわ。美咲ちゃんは美咲ちゃんなりに一生懸命、世の中を正そうと努力してるみたいだし、竜之介くんも、何かできる事があるといいわね」
「……はい」
俺は、みんなに幸せを願われているのか。そう思うと少し辛い気持ちになった。一つ一つの物事が収束に向かうにつれ、俺はなにかを失っていく感覚になっていた。
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