【第四部】第二章「悪徳ブリーダー・アジトへ」
廃墟は異臭と動物の死骸の散乱するひどい場所だった。目の潰れた犬や猫が悲しそうに鳴き、助けを求めているようなそんな状態。狭いゲージに大量に繁殖させたらしき、血だらけの犬猫が入れられている。錆(さ)びた鉄格子、痩せた犬。悪臭。犬司は吐き気を催して、少し吐いてしまった。
「ひどい……」
美咲は絶句してしまった。これは「カヤ」が喚きたくなるわけだ。美咲はむせながら、なんとか一枚一枚丁寧にカメラに収めていた。すると、美咲は気分が悪くなって膝をついて落ち崩れてしまう。
「ごめん、犬司。私、気分が悪いの。少し休んでもいいかな」
「おう、ちょっとミサキチには酷だったのかも」
美咲が苦しそうにヒューヒュー呼吸をしていた。犬司は背中を擦る。そして、しばらくすると奥から声がした。犬司は美咲に「隠れよう」と言って壁から様子を見ていた。
二人の三十代くらいの若い男。一人が犬の入っているゲージを蹴り飛ばす。思わず犬は悲鳴を上げた。
「ぎゃん!」
「吠えるなって言ったろうが!ったく、飯抜きにするぞ」
「兄貴、やりすぎ」
「……で、このビーグル、クロイシに卸(おろ)すんだっけ?」
「うん。そうね。ちょっと大きくなりすぎたかもしれない」
「殺処分か、それか犬の餌にするかだな」
「ねぇ、犬司、犬の餌って言ったよね」
「ああ、聞こえた。牛の飼料にも肉骨粉って粉があるけど、それと一緒だろうな。共食いさせるハラかもな」
「ひどい……」
美咲は目を伏せていた。
「ちょっと待ってろ」
犬司は隙を伺っていた。そして、ブリーダーの男たちは一通り犬種を見た後、業者に電話をしていた。もう一人の男が離れて歩いていき、見えなくなった瞬間に犬司は素早く駆け寄って、背後から腕で頸動脈を絞め、気絶させた。男は泡を吹いてその場に倒れる。犬司は手慣れた手つきで男を柱に縛り付けると、ズボンの埃を払い落とした。
「相変わらず手慣れてるね」
「この絞め技、加減が難しいんだよ。相手に隙があったら、刺されてしまうし、絞め殺してしまうし。あ、来た。隠れよう」
また物陰から様子を見る。
「て、哲次(てつじ)!!誰にやられたんだ!!しっかりしろ!!」
男は頬を叩いたが、しばらく意識が朦朧(もうろう)としていて起きられなかった。その時、怒りに満ちていた犬司が壁から姿を現した。
「お前、俺の弟になにしてんだよ!!」
「なにもって、お前、この惨状見て分からないのかよ、動物蹴ったり、飯抜いたり。良心は痛まないのか?」
「はあ?なに言ってんだよ!こんないぬっころ、金稼ぎの道具でしかないだろ!」
犬司はその一言に腹が立った。そして、足元にあった腐った餌を投げつけた。男は身をかわす。
「こんなもん、自分が食わされたらいやじゃねーのかよ!!お前、とんでもないことしてるな」
「とんでもないもなにも……見てみろよ」
そう言って男は、哲次と名乗るもう一人の男の足首を捲って見せた。哲次の足は歪んでいて、歯型のような古傷がまだ残っていた。
「二十年経っても、弟の傷が癒えない俺の気持ちがお前にはわかるか?分からねーだろうな。俺は犬を殺してやりたいくらい、大っ嫌いなんだ」
そう言って、吠えている犬に対して「うるせえ!」と言って怒鳴り散らした。犬司は悲しくなった。そして、犬司は男の近くまで寄り、男の首元を掴んで睨み付けた。
「だからと言って、やっていいことと悪いことがあるじゃねえか!お前のやってることはただの憂さ晴らしだ」
「へ、なんとでも言え」
そう言って男は、掴まれていた手を振り払うと、右手に力を込めて犬司の腹を殴った。犬司は思わず痛みにうずくまる。
「ぐうっ」
「おこちゃまはさっさと帰りな。ここはお前のような奴のいる場所じゃない」
そして、うずくまっている犬司の背中を何度も蹴った。陰で見ている美咲は出てこようとしたので、思わず犬司は声をあげた。
「けっ!」
「出て来るな!」
「ほーお、ほかに誰かがいるようだなぁ、ちょっと見に行ってみるか」
男は面白半分に美咲の声のした方向に歩いて行った。犬司は背中を向けた相手に向かって、こっそりとメリケンサックをはめて、背骨辺りを思いっきり殴った。
「がっ!!」
思わず男は痛みにうずくまる。犬司は肩を上下し、呼吸を荒げながら、背中を抑えている男に見ろして言った。
「この状況は告発するからな」
「なんだと?」
そう言って、痛みをこらえながらゆっくりと立ち上がった男の顎辺りを、犬司は思いっきり殴って言った。
「エジブジャンマウ・ストレート!!」
「へ、へ?!猫の名前、ここで言う?」
「くく、やられっぱなしでたまるかよっ!」
男は口元を拭い、そのまま半狂乱になって襲い掛かってきた。怒りに身を任せた行動は最も隙が大きい。犬司は一呼吸を入れると、男の脇から胴を掴むと、身体を捻って裏投げで投げた。男は強かに頭を打って気絶した。
美咲は犬司の華麗な技にびっくりしていた。そして犬司はまた縄で縛った。
**
「いいか、必殺技を磨いておけば、きっと役に立つ時が来る」
「ひっさつわざ?」
「基本はジャブ、ストレート、アッパー、またチョークスリーパー、威嚇拳。いろいろお前に教えてやったが、うまく組み合わせてくれ」
師範は犬司から中学生撃破の話を聞いたのち、犬司にそう言った。
「じゃあ、ぼくは『ねこ・ぱんち』にします!」
「……勝手にしなさい」
こうして編み出されたのが「ねこ・ぱんち」だ。猫の名前を入れておくことで、猫好きな自分にも気合が入り、相手を油断させることも出来るお得な技だ。
**
犬司は小学生の時、心に決めていたようだが、まさか高校生になって、その技を恥ずかしげもなく使うとは思わなかった。シリアスなシーンが和んで、美咲はホッとしていた。
「ちょっと一瞬怖いと思ったけど、犬司は犬司だった。よかったー」
「誰だと思ったんだよ」
「我を忘れて、怒り狂ってたから。ちょっと出て行って抑えようと思ったくらい」
二人は笑った。そして美咲は写真をもう少しカメラに収めるから待ってて。そう言って奥まで行ったので、犬司は電話を掛ける為に廃墟の外に出て行った。
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「……ちょっとつながんないなぁ。やっぱり電波が悪いのかなぁ」
犬司は動物愛護団体に電話をしていた。しかし、山間だったので、電波状況が悪くつながらなかった。
その時、黒塗りの車がプレハブ小屋の前に停まり、一人の男が建物を見ながら言った。
「うーん、警察に見つかったかもしれないなぁ。ひひっ、この建物も用済みだな」
そう言って、男はプレハブ小屋の周りに灯油を蒔き始めた。
「このままでは、美咲も、あの悪役も犬も猫も死んでしまう」そう思って犬司は急いで中に入って行った。
「へ?建物が燃えるってどういうこと?」
「だから、ここのボスらしき男が来て灯油を蒔いたんだって!」
そう言っている間に少しずつ建物は煙を出し始めて燃え始める。犬司は美咲に大声で言った。
「逃げろ!建物の裏に!」
「あああ、なんか燃えてやがる!!助けてくれ!!」
先に悲鳴を上げたのは柱に縛り付けられた弟の方だった。犬司はそのままブリーダーの弟の縄を解こうとする。瓦礫(がれき)が崩れ落ちながら、弟は聞いてきた。
「お前、助けてくれるのか?この縄を解いて俺が襲ってきてもいいのか?」
「四の五の言ってる場合かよ!いいから!!」
そう言って犬司はナイフで縄を切り、そのまま兄の縄を解くように命じた。弟は少し戸惑っていたようだが、兄を見つけるとライターであぶって縄を切っている。犬司はそのまま奥の部屋に入って行った。
「……はっ、なんか焦げ臭いな」
「兄貴、逃げよう。俺らはもうあの男から首切られたんだよ。また仕事探そう。な?」
「あの小僧、もう一発殴らない気がすまねぇ。どこに行きやがった」
「いいから!逃げよう!建物が崩れる」
犬司は悩んでいた。目の前で出ることの出来ない動物が喚いている惨状に。しかし理性的に考えても、すべての動物をゲージから放ったとしても、野良犬が増え、大騒ぎになってしまう。高校生として、人間としの無力さに打ちひしがれていた。火の手は既に迫り、逃げ場を無くし始める。
「あああ、どうすればいいんだよ!!」
そして、思い切って行動に出た。目の前に一匹のゴールデンレトリバーの子犬を見つけ、ゲージを叩き壊すとそのまま抱きかかえて、火事場から逃げ出した。
**
「あはははは、燃えろ燃えろ!!燃えて無くなれ!!灰になれ!!」
火をつけた男は狂ったように笑いながら、燃え上がり崩れていく建物を眺めていた。
「……ひどい。ケホッケホッ」
美咲は陰からその男を見ている。無理をし過ぎたのか、咳き込んでその場にうずくまった。
そして、二人の男が火をつけた男の前に歩いてきた。
「黒石社長。これは一体どういうことですか?」
「あ、平山兄弟?君らはクビだから。あはは、おっかしいねぇ」
そう言って、平山兄弟は膝から崩れ落ちた。そして、そのまま「黒石社長」と言われた男は、黒塗りの車で走り去って行ってしまった。失望していると、美咲がブリーダーの男と喧嘩していた時に呼んだパトカーが到着した。周辺の建物を見た後、警察は力が無くなった平山兄弟の身柄を抑えて言った。
「平山 勝次(ひらやま かつじ)、哲次。お前らを動物保護法と放火の疑いで逮捕する」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、俺らは何もしてない!」
「詳しくは署で聞かせてもらおうか」
手錠を掛けられ、平山兄弟は連行されていった。
**
「……そう言えば、犬司は?!」
事の経緯がひと段落し、ホッとしてから美咲は、肝心の犬司がこの場にいないことに酷く戸惑った。
「悪い、待たせたな」
「ああああ、犬司!!心配したんだよぉ」
大泣きで犬司に抱き着く美咲。そして、犬司の胸元が膨らんでいることに気が付く。
「へ?犬司、何か抱えてきたの?」
犬司はパーカーのチャックを下ろすと、中から一匹の子犬が首を出した。
「きゅーん」
「わり、ほんとわり。こいつしか連れてこられなかった」
「はぁああああ、犬司やっぱり犬司だった」
全てのいのちを救い出すことはできなかったが、一匹の子犬は救い出すことが出来た。それで十分じゃないか。犬司はそう思えなかった。美咲とこの責任の重さを噛み締めていた。二人に命の重みがずしりと圧(の)し掛かっていた。
「すべて、……燃えちゃったね」
「ああ、そうだな」
後から来た消防車が、水を掛けながら鎮火している様子を見ていると、二人はとても胸が痛かった。
「いつか、このけじめをしっかり付けよう」そう思った二人だった。
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