Animal heat of heart!!

雪原のキリン

【第一部】第一章「その名もタカタカコンビ」

 「ケホケホ、おかあさん、わたしのせき、いつになったらとまるの?」


 女の子は止まらない咳を、他人の不始末の如くに、母にぶつける。


 「ここの空気はいい空気だからね。じきに良くなるでしょ。それまで頑張りなさい」


 「わたし、うんどうしたいよう。もうここにきて、さんねんはたってるじゃん、か、ケホケホ」


 女の子は弱々しい眼つきで母に主張する。何か喋るたびに咳払いする、その姿にこちらも涙ぐんでしまいそうな空気。


 「そんなこと言ってると、いつまで経っても治らないわよ。さっきからむせながら言うセリフじゃないでしょ」


 母はきつい言葉を吐きながら、何か心ではしてやりたいと常に思っている。しかし、ここで甘えさせてはこの子の為にならぬと、心を鬼にし、常に手厳しく当たって彼女の回復を願うばかりなのだった。


 「あーあ。だれかあそびにこないかなー。そとはしりまわってて、せみとってるようなおとこのこ。それもカッコいいおとこのこ」


 女の子は窓辺を眺め、はーっと長く溜め息を吐いた。憂鬱さは一入(ひとしお)に女の子の心を育てるが、しかし、女の子は井の中の蛙の身でしかなかった。


コン。窓に小石が当たったような小さな音が鳴る。


 「ん?なんだろう。まどに、なにかあたったぞ」


 女の子は不思議に思って窓から下を見る。 しかし、何もいないと思った。この部屋の高さは二階。地上からは三メートルあるだろうという高さで、目が眩みはしないが、骨折はしてしまいそうな高さ。流石に燕(つばめ)か何かだろうと思って女の子はベットに戻った。


 「じゃあ、私は行くから。何かあったら看護婦さん呼んで。」


 「わかったー。しちじにはかえってきてよ」


 女の子は母がこの時間に、仕事に行くことを知っていた。孤独になる寂しさを押し殺しながら母を見送った。




 コンコン。コンコン。今度は二回。間違いなく窓に何か当たっている。


 「もー、なんだよぅ」


そう思って数分。重い腰をあげて立ち上がる。女の子は病室の窓をガラッと開けた。下の方を見渡す。しかし誰も居ない。窓を閉めようとしたその時。


 「おーい、ここだよここ!!」


 横を見ると雨どいに必死にしがみ付いた男の子が、女の子に声を掛けて来た。


 「へ?」


 もちろん女の子は驚いている。


 「やあ。たすけてよ」


 男の子は、冷や汗をだらだら垂らしながら、女の子に助けを求めた。


 「なんで、そこにしがみついてるの?」


 「こわいんだ。トイレにいきたいんだ。わけはまたはなすから、たすけて」


 女の子は「わかった」と言うと、ベッドの下から取り出した長めのロープを、ベットや柱にくくりつけ、男の子に投げて渡した。男の子はそれにしがみ付いて窓から入ってきた。 そして男の子は病室に入った。


 女の子はその初めての来客に胸躍らせ、ワクワクしながら名前を聞いた。


 「あの……おなまえはなんていうの?」


 「ゴメン、もれる!!」


 しかし、男の子はトイレに走って行った。


 「あのおとこのこは、いったいだれなんだろう」


 男の子の第一印象は嵐のように過ぎていった。しかし、女の子の心を確実に捉えていたに違いない。






 ――約十年前の話。ある不良の統治と更生の終わった学校があった。


 霧前市公立桜坂高校。ジンクスもある。風変わりな生徒と風変わりな先生の集う吹き溜まりのような学校かも知れない。


 霧前市公立桜坂高校。駅周辺から徒歩十分で来ることが出来る中クラスの学力高校だ。学費もそこそこ安く、何より立地条件がいいのが特徴。そして、春になると満開の桜街道を眺めることが出来る。それが人気の一つでもある。


 胸元に付いている校章のバッジ。桜の花弁の色が赤、青、黄色で色分けされていて、今学期二年生は青色になっている。




 季節は残暑が落ち着く九月二十日。暦では動物愛護週間が始まるそんな時期だ。


 二人の男女の生徒が仲良く話していた。男子は黒髪で短髪オールバック。やや筋肉質のやせ形のようだ。女子は栗毛の髪の毛をツーサイドアップで縛り、髪にはチェリーの可愛らしい髪ゴムが縛ってある。背格好はやや小柄だが低すぎない感じである。二人とも学校指定の制服姿だ。


 「なぁ、ミサキチお前、その本いつも手放してないのな。今度はイグアナか?」


 「うん。最近イグアナブームで。でもね、犬司、とっておきのやつがあるの」


 イグアナ。爬虫網有鱗目(はちゅうもくゆうりんもう)イグアナ科イグアナ属に属するトカゲ。無論女子は好むはずもない。いや気のせいか。ミサキチこと美咲(みさき)はとっておきと言わんばかりに、持っている本のページを捲ると、犬司に指を指した。


 「『フェルナンデススキンク』って言うの。顎の下の鱗が可愛いでしょ?ほらほら可愛いでしょ?」


自慢気に見せる彼女。フェルナンデススキンク。別名ベニトカゲ。赤い体色が鮮やかで美しいアフリカのトカゲ。湿地帯を好み、農村地域や森林に住むトカゲ。言っておくが、彼女は爬虫類マニアではない。


 「幼少期からのお前の趣味は、さらに勢いを増してるのな。驚くわー」


 「失礼ねぇ。長年の付き合いでしょうが!」


 犬司はお手上げと言わんばかりに呆れかえる。そして美咲から鼻息を鳴らしながらサイトを紹介された。


 「あ、犬司、最近ね、私サイト立ち上げたんだ。サイト名は、『Beat of heart of animalz!』って言うの。カッコいいでしょ」


 紹介されたアドレスにアクセスしてみると、無駄に知識量の多い美咲のアニマルオタクぶりを前面に出したサイトが出てきた。トップはオカメインコだ。


 「最近おかめちゃんにハマっててねー。そのうちお父さんに許可貰って買いに行くとこ。その時は犬司も付き合ってよ。あ、そうそう。このサイトまだ手直しが必要だけど、哺乳類から爬虫類、昆虫まで網羅するように私は作っていくつもりだから、そのところシクヨロ」


 美咲はちゃっ!と挨拶をしながら去って行く。犬司はあきれつつ、スマホに出ている美咲のサイトをそっとブックマークして閉じた。彼なりの優しさだろうか。後ろを振り向くと、ニヤニヤしながら茶髪の七三分けにした友人が茶化してきた。


 「相変わらず仲いいよな、『タカタカコンビ』。学校でも有名人だぞ!」


 「太一、その呼び方やめろって。あいつのせいで俺も変人扱いなんだから」


 犬司は嫌そうに言った。「タカタカコンビ」つまり、鷹山 犬司(たかやま けんじ)と小鳥遊 美咲(たかなし みさき)の名字の頭を取った二人の愛称だ。因みに茶化している金髪で七三分けの彼は「明野 太一(あけの たいち)」と言う犬司の腐れ縁だ。ギターが上手いらしい。




 「なぁ、太一、そう言えば、次の授業『ハッシー』だっけ?お前、宿題済ませてきたか?」


 「あったりめぇよ。俺を誰だと思ってるんだ。答案丸書き写しだぜ!」


 「あ、お前やっちまったな。俺、知らないぞ。どうなっても」


 犬司はご愁傷さまと言わんばかりに眉間に手を当て、太一を慰めた。橋本雄大。「かの伝説の」ヒロインがバチバチと火花を飛ばした鬼教師だ。既にあれから10年経っているが、60代になってもなお教壇に立ち続けている。


 「あのハッシーに狡い手を使うとは、お前命知らずも無いよな。今期の通知表が棒になっても、俺は知らないからな」


 犬司はそのまま、憐れんで食堂から教室に向かっていった。太一は真っ白になって立ち尽くしていた。




**


 「ええええ、う、ウ゛ンッ!であるからして、この数式はー」


呪文のようなxとyの羅列が黒板に書かれ、放物線のグラフを説明する教師橋本。やや年老いて淡が絡むらしく、一言喋ってはのどを鳴らすのでとても授業が進まない。犬司はつまらなかったのか、窓を見て溜め息をついた。「あー、俺、文系なんだよなぁ。全ッ然分からん!外の鱗雲が綺麗だわー」と思っていた。ぼーっと外を眺めていると、犬司は閃いた。「あ、そうだ。暇だから、ミサキチのサイト見ることにしよう」


 そう思って犬司はスマホを操作し、「美咲のサイト」にアクセスした。すると、マナーモードを切っているのを忘れて、サイトトップに設置してあるBGMが流れてきた。「あ、やばい」犬司は焦った。美咲の方を見ると、美咲はじっと見ていた。板書していた橋本は、音楽に気付いて後ろを振り向く。


 「誰ですか?私の授業に邪魔をするのは?」


 視線が犬司のもとに集まった。犬司はいたたまれなくなり、そっと立ち上がって言った。


 「すんません。俺です。マナーモード切ってました。その数式は責任をもって俺が解きます」


 「次からは気をつけなさい」


 「へーい」


 犬司は前に出ると、黒板にある数式を解いた。これでいいよな?と自問自答しつつ解いていて、橋本がじっと黒板を睨んでいる。チョークに手汗がにじむ。そっと置く。橋本は黒板を見て言った。


 「……正解です。座りなさい」


 犬司はどっと疲れ、そのまま席に座った。「予習しといて良かった」そう思ったのだった。




**


 授業が終わり、美咲は凄い勢いで犬司に突き迫るとそのまま耳を引っ張って廊下の踊り場に出ていった。


 「いでででで。なにすんだよ、いきなり」


 「犬司!!授業中に私のサイト見てたでしょ!」


 「ぎくり」


 「BGMで気が付いたんだから。頑張って作ったのに、イメージ悪くなったら怒るよ!」


 「悪い悪い。ってか、あの音楽、お前の趣味?ちょっとイメージとちが……」


 「え?なに?」


 「何でもありません」


 「謝ったと思ったらすぐこれだよ。全く犬司はもう」


 美咲は呆れていた。そして、続けて言った。


 「帰って見ること。これは強制ね。明日見てなかったら口聞かないからね」


 「へーい」




**


 時刻は七時。犬司はベッドに横になって漫画を読んでいた。


 「うわー、この主人公ばっかだなぁ。ここでこの展開が来るかぁ」


すると、スマホにメッセンジャーが一通届く。送信元「小鳥遊 美咲(アニヲタ)」。犬司はめんどくさそうに起き上がり、メッセージを確認すると、軽快な口調で文面が添えられていた。




――


ケンジ!お疲れ様=^_^=


今日は怒っちゃって悪かったね!


サイト見てくれた?




10年間の知識の集大成、ぜひとも見て欲しい!<(`^´)>


明日感想聞かせてねー。




Byミサキ


――




 「あ、忘れてた。あいつも俺なんかじゃなくて別のやつに頼めばいいのに」


 ぶつぶつ言いながら犬司はデスクトップ型のパソコンの電源を入れる。起動するとブラウザに美咲のサイトの名前を入れて検索した。


 「相変わらずゴテゴテな造りだな。あいつ、暇人なのか天才なのか俺にはさっぱりわからん。さて、せっかくだし、何か調べるか」


 サイトを閲覧していると、一人で編集したとは思えない膨大な情報量の動物の飼い方や知識が記載されていた。犬司は少し考える。そこに一匹のまだら模様の飼い猫が鳴きながら甘えてきた。


 「にゃー」


 「あ、ああ、クロ。お前か」


 犬司はクロを太ももに乗せると、サイトの検索欄に「猫」と打ち込んだ。


 「さー、どれどれ。お、ブリティッシュショートヘヤーか。名前はショートなのに長いって言うね」


また、別の猫を見つけて言った。


 「エジブシャンマウって言うのか。言いにくいな」


 一通り閲覧した後、犬司は満足げに伸びて欠伸をした。


 「ふあああ、ミサキチも良くやるよ。俺も猫好きだけど、ここまで調べこめないわー。なぁ、クロ」


 「にゃー」


 「お前はにゃーしか言わないなぁ。可愛いやつめ」


 犬司は少し猫と戯れていた。そして、美咲が最近話していた「オカメインコ」が気になったのか、ふと思い出して、サイトで検索してみることにした。


 「あいつ、なんかオカメインコとか言ってたよなぁ。このトップの奴。興味あるからちょっと調べてみようか」


 調べると、部屋で撮ったらしき動画につながり、愛くるしく歌うオカメインコの映像が目に入ってくる。クロが眠そうに犬司の太ももの上で欠伸をしていた時、犬司は見入っていた。


 「こいつ……かわぁいいじゃねえかあああ!!」


 犬司の慟哭が鳴り響く。すっかりメロメロ状態に陥っていた。


 「クロ、家族が増えるかも知れないぞ」


 「ふにゃ?」




**


 翌朝。犬司は満面の笑みを浮かべながら悦に浸っていた。美咲は不審に思い、犬司と少し離れながら話をしていた。


 「犬司、さっきから気持ち悪いよ?なんかにやにや、にやにやしてて」


 「むふふのふ」


 「……」


 美咲は犬司のほっぺたをつねって引き伸ばしてみた。しかし、犬司は全く動じない。動物にメロメロな美咲だが、今日は立ち位置が逆なので少し違和感。むっとして犬司に猫だましをしてみた。……パチン。目の前で手拍子の軽快な音が鳴る。犬司は我に返る。


 「あ、気づいた」


 「おま、びっくりさせんなよ」


 「だって、なんかにやにやしてんだもん」


 美咲はぶつぶつと文句を言った。そして、サイトのことをさりげなく振る。


 「……で、サイト見てくれた?」


 「……ああ、やばかった」


 犬司は遠い目で答える。美咲は嬉しくなって、饒舌になる。


 「でしょでしょ?あれ苦労したんだー。近くの獣医さんに聞いて回ったり本を見たり調べたり、大変だったんだから。私が伝えたいのは、ズバリ『愛』なの!分かる?」


目を燃やして熱弁する美咲。しかし、犬司は聞いていなかった。


 「はぁ、オカメインコ。可愛かったなぁ」


 「犬司!けーんーじ!!」


 「はわっ!」


 犬司は驚きのけぞって椅子を倒してしまった。


 「いたた。お前、朝からなんなんだよ」


 頭を擦りながら美咲に文句を言う犬司。


 「なんなんだじゃないでしょー。さっきから私の話を聞いてるのか聞いてないのか。『オカメインコ』って……おかめいんこ?おかめいんこ?!ケホッ」


 「オカメインコ!!そう、オカメインコ!!」


 「オカ……ッ、オカメインコね?!ケホケホ、ケホケホ。ごめん、はしゃぎすぎて咳が」


 「大丈夫か?」


 さりげなく美咲の背中を擦る犬司。これにはある事情がある。周りの視線は騒がしそうにしている二人に向けられていた。犬司は取りあえず謝って仕切り直す。


 「ケホッ、ありがと、落ち着いた。分かってくれた?おかめちゃんの可愛さに!」


 「ああ、やばいな、アイツは。俺も『猫以来』の衝撃を感じてるぜ」


 リビドーを感じつつ、熱い想いになる犬司。そして、美咲に一つの提案をした。


 「なぁ、ミサキチ、オカメインコって幾らするんだ?」


 「んー、相場は一万五千円かなぁ。……飼うの?」


 犬司は少し悩んでから決心した。


 「腹は背に変えられん。仕方ない。貯めてた貯金で買うしかないな」


 「犬司がここまでなるなんて珍しい」


 美咲は驚いていた。

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