食人鬼グレーテル
虎渓理紗
第Ⅰ夜 Hexenhaus
グレーテルは魔女を騙した
グレーテルは魔女を竃の中に押し込んだ
グレーテルは魔女を閉じ込めて
グレーテルは魔女を丸焼きにした
最後はヘンゼルとお家に帰って、お父さんと幸せに暮らしましたとさ――。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●
「あははっ、今日のおやつは君だね。とっても美味しくしてあげるよ。ボクはチョコレートが大好きなんだぁ。チョコレートで体をコーティングして、包んで固めて、とびきり甘くしなきゃ、ボクの家にはチョコレート用の大釜なんかもあるんだよ? 竃でチョコレートケーキも作れるのさぁ」
目覚めたのは真っ暗な部屋だった。
なんでこんなところに? それに手足が動かない。
ガチャガチャ、自分の腕は何かに固定されているようだった。
「……なんで体が動かないの!?」
「あはぁ、それはねぇ? ボクが君に手錠をかけているから。目隠し、外してあげるよ。どう?」
どうと言われても……という気がするが、目隠しが外され視界が開けた。
「あはっ」
そこにいたのは白衣と黒縁眼鏡の、男だった。
❈❈❈
女子として生まれたからには綺麗だと言われたかった。私は醜い容姿を捨てるために、必死で努力した。そして、手に入れたものは、自分の世界を百八十度変えた。
けれど、元から綺麗だった子には勝てず、悔しい思いもした。必死に努力して、見返してやろう。綺麗になってやろう。
そして、必死で努力をして、手に入れた恋人は、あっさり他の可愛い子に取られた。
私は二番手で、彼の本命じゃない。
❈❈❈
「……ボクの名前はグレーテル、君がボクを呼んだんだ。君が……死にたいなんて願うから」
「……えっ」
「ボクはデザートは欠かさず食べる主義でね。君のお腹とか、ふんわり柔らかくて美味しそうじゃないか! まるで、焼き上げたばかりのホットケーキみたいだよ! 甘いチョコレートをたっぷりかけて、生クリームをかけて食べたいなぁ。美味しい美味しい、――」
男は舌舐めずりをしながら私を見下ろす。背が高いその男は、私を人間として見ていない。満月が後ろにあり、男を照らす。
男の部屋に差し込む金色の光。
「ボクのチョコレートケーキ」
自分の身を見ると衣服が不自然にはだけていた。脱がされたのだろうか。男は、シャツがはだけた私の下腹部にトントンと指を滑り込ませる。
トントン、軽く叩くような軽快なリズムで、優しく優しく撫でるのだ。
むにむにと押す指はとても細くて、くすぐったい。直に肌に触れられているということが、とても恥ずかしくて、私は声にもならない悲鳴をあげる。
「……ッ」
「やっぱ、食べるなら柔らかい女の子の方がいいよねぇ。筋肉よりも脂肪がたっぷりついてる子の方が美味しいし、チョコレートソースも馴染むし、それにお腹に色んなものを詰められるしね。男は筋肉ばかりで厚いから破裂しちゃうし。その点、柔軟性がある方が、たっぷり詰めても大丈夫だからなぁ」
男は考え事をしているのか。いや、考え事をしている時の癖なのか、喋っている間もトントンと指で叩いていた。
「……やめっ、」
――もう、限界だった。
「あ、ごめんよ。ついね、あはっ、怖かった? 涙ぐんじゃってる」
逃げられない手鎖の身、この男の危ない言動。
男が言う『食べる』が、違った意味ならばまだ救いがあったかもしれない。
「……少し太らせた方が美味しいかなぁ? ちょっと細いからね、君。この時代の女の子はみんなそうなのかなぁ」
そう言いながら男は私を値踏みしていく。頭の先から爪先までを念入りにじっとりと。探るかようにその細い指で肌をなぞりながら。
その指が、肌をなぞるたびになんとも言えない気持ちになりながら……。
「……ッ」
「まぁ、飢饉の時の子より肉はあるな。内臓にぼってりついてるし、テリーヌは作れそうだ。ふくらはぎにもそこそこあるし、二の腕にも。綺麗に洗って、肌にオリーブオイルを馴染ませてしばらく柔らかくしておけば……、十分食べ応えがありそうだね」
自分が、食べ物として値踏みされている。
そう、それが悍ましい。
「貴方は何なの」
自分の声が、今まで聞いたこともないほど震えていた。
「……あれ? 言わなかったっけ」
男は、真っ暗な部屋でニヤリと笑う。それがとても不気味で恐ろしかった。
「ボクの名前は、グレーテル。ヘンゼルとグレーテルっていう童話、知らない? それのグレーテルだよ。ボクは魔女を殺してその魔女を食べた時、ボクは魔女に呪いをかけられた。不死者として、人間を食べなければならなくなった呪い。人間の肉の味を忘れられなくなってしまった呪い。ボクはボクであるために、満月の夜に人を殺して食べることにした」
男が、ナイフを持って私の首に当てる。
「天には満月、時刻は十二時。さてさて、今日も処刑の時間さぁ! 今日のボクはチョコレートドリンクの気分でね。頸動脈を切った後に、その血を集めて混ぜようかなと思ってるんだ。君を横に寝かせておけば十分な量が取れるはず。まぁ、その血でソーセージを作ってもいいんだけどね」
男が丁寧に聞かせてくる。
私がどう調理されるのかを、私がどう食べられるのかを。
「まずは、血を抜き取ってバケツに溜めて、お腹が一番柔らかそうだからお腹にハーブとか香辛料を詰めて焼こう。足は切り取って塩と胡椒で味付けをしよう。そういえば、しばらく食べてないからテリーヌも食べたいなぁ。テリーヌを作るには少し時間がかかるんだよ。君を生かしておいてたっぷり食べさせないとね。どうしようかなぁ、太らせた方がやっぱりいいのかなぁ?」
私はふと閃いた。
ここで殺されたなら、私はここでおしまいだ。でも、この男の言う通り、しばらく時間がかかるというその案に乗ったら?
逃げ出すチャンスが出来るかもしれない。
「……わたッし、ふとッ」
そのセリフが酷く、屈辱的であることも忘れ――。
「私を太らせれば、きっと美味しいから!」
「……まぁそうだね。ボク、テリーヌ食べたいし。そうと決まれば、君の部屋を見繕わなきゃ。前に誰かを監禁した部屋を使おうか」
カッと頬が赤くなった。あんなことを言うなんて、私はここから逃げるためだとはいえ酷く恥ずかしいことを言ったものだ。
「君、こちらにおいで。あと、この服を着てね。君がどのくらい太ったか、見るために分かりやすい服を着て欲しいんだ」
渡されたそれは、見すぼらしい木綿でできたぺらぺらな服だった。
❈❈❈
手鎖の鎖はベッドの頭の方に繋がれ、足枷の鎖はベッドの下に固定された。動きを制限され、動けるところはこのベッドの上だけだった。
私は豚小屋の子豚よろしく、この男に飼われる生活が始まった。
「ご飯だよ、沢山食べてね」
与えられるのはおかゆのようなどろどろしたもので、それが口に吐くまで与えられる。チューブを咥えさせられ、そこから流れてくる物を口に入れる。味はしない、むしろぐっちゃぐちゃでとてもまずい。豚の餌のようなご飯。
男は私が食べている間、ずっとお腹がどのくらい膨れているのかを確認する。胸の下からお腹の頂点、鼠蹊部と、繰り返し撫でるように全体をさわさわと触られる感覚は気味が悪くて、何度か跳ね返したがそのたびにこの男はこういうのだ。
「……駄目だよ、君も早くここから出たい、こんなことされたくないでしょ? ボクは君をここから出すためにしてるんだから」
その優しい声を毎日聞かされ、毎日このチェックが続き、段々と私はこの男に心を許し始めた。この男は、私に酷いことをする以上に、優しく扱ってくれるのだ。足の筋を切られ、もう二度と逃げられない身にされても、男が毎日の世話をしてくれることが、どんなに屈辱的でも。
……それでもいいと思えるほど。
「あぁ、良い子だね。沢山食べたから、どんどん大きくなってる。いいかんじさぁ。もう少しだね」
私は、段々毒されてきたのだと思う。優しい声と甘い言葉で、自分の世話をしてくれるこの男が、私を食べるために育てているとしても。
「柔らかい大きなお腹だねぇ。美味しそうだ。ふんわりふかふかしてて、ケーキにしたら、本当に美味しそう」
そんな、舐め回す視線に耐えながら――。
❈❈❈
そして、その日はやってくる。
「美味しそう、本当に美味しそうだよ。大丈夫、眠るだけさぁ。ボク、切るのうまいからね。君はゆっくり寝てるだけ。大丈夫、ボクに毎日触られてるんだから、肌の感触なんて慣れたものだろう? 気持ちいいかい? 興奮してる? あはははっ、君って本当に変態だよねぇ? じゃあ、君の綺麗でハリのあるお肌を見せてご覧よ。うん、良い子良い子。全部脱いでご覧。あくまで君がそうしたんだよ? 君が料理されたがってるんだ。ボクに食べられたいだろう? 下処理をしよう。しばらく動かないでね。ん? これかい? オリーブオイルだよ。お肉を柔らかくするにはこれが一番なのさ。胸にもお腹にも背中にもお尻にも、隅々まで、塩とコショウを刷り込ませて、味を染み込ませる。大丈夫、気持ちいだろう? すべすべで綺麗なお肌だねぇ、ボクの思った通り君は綺麗だよ。お腹を開いてハーブとスパイスを入れて、最後にチョコレートを君の体に満遍なくかけて固めれば、ボクの大好きなチョコレートケーキのできあがり。美味しいかい? そうだね、お腹を開くだけならまだ意識って残ってるんだよね。痛くはないかい? 大丈夫? でも、そろそろ眠くなってきたんじゃないかい?
おやすみ、ボクのチョコレートケーキ。
……頭はコレクション。君、顔が綺麗だから剥製にしてみようか。綺麗なものは取っておきたくなるんだ。不思議だね。うん、美味しい。君を太らせて正解だったよ。こんなに美味しいんだもの。テリーヌは脂肪がたっぷり。よく味が染み込んでる。柔らかいお肉は口に入れただけでホロホロ崩れていくね。血入りチョコレートドリンクもとても合う。このまろやかな中にほんの少し酸っぱさと苦味がある、この味が大好きなのさ。――……美味しい」
美食家に見せかけて、偏食屋。誰かがそう、彼のことを呼んだ。
「美しい容姿の女の子は美味しいね。それに悲惨な境遇があれば更に美味しい。ボクの言葉に堕ちてしまう素直で従順な子は、なおさら美味しい」
男は……、いや、彼女は、冷やしておいた肉をある場所に置いた。
そこにあったのは、巨大な食人植物だった。
「……ヘンゼル兄さん、ご飯だよ。今日は丸々太った女の子さ。ボクは食べたから、あとは兄さんの分ね。美味しいよ」
彼女はそう言いながらニッコリと笑った。
「……お腹が絶品だったよ。腕も足もどれも細いのに、ぽっこりしたお腹だったんだ。それか過激なダイエットによる栄養失調かなぁ。まぁ、いずれにしても、美味しかった」
彼女は、カラカラとした笑い声をあげて食人植物と話している。
「ヘンゼル兄さん。ボク達の時代は生きるか死ぬか、お腹も常に空いてたっていうのにこの時代の人たちときたら! 食べ物なんて溢れるばかりで、忘れてる。この女ときたら、美しいことが細いことなんだって、笑っちゃうよ。最後はボクに懇願して、自ら醜くなっていったんだ。ボクは、……。あははっ、思い出したら笑えてきた。ヘンゼル兄さん、お腹いっぱい食べようね。きっと美味しい、ボクが丸々太らせたんだから!」
なにも返事が無いのに、構わず話し続ける。
「ヘンゼル兄さん、たしかに元から太った子を狙えばという気持ちは分からなくもないけど……豚は太らせるから美味しいのさ。ボクに反抗的だった子が、ボクを信じて、ボクに陶酔して、それで食べられる絶望を味あわせて、殺すの。ボクのために。あははっ、ヘンゼル兄さんを食べようとした魔女と同じことをしてやるんだ。ボクは、自分で育てるからこそ、感謝して食べるんだよ。ボクのために美味しくなってくれて、……」
にっこりと笑うその顔に邪気はない。
「ありがとうってね」
❈❈❈
ヒールの高いロングブーツ、それで誤魔化した身長はせいぜい一四〇センチ後半。胸のない身体はまだ成熟していないから。中性に見える見た目は、まだまだ大人でないから。肩まで伸びた髪を後ろでくくり、見せていないから。
満月の夜、攫われたものは二度とこの
最高のディナーになって。
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