第119話   ネイルと、その部下たち

 マデリンは用意の良いことに、昨日の昼間から王家の倉庫番と掛け合い、小振りな絵画を額縁がくぶち付きで集めてくれていた。

 それらは、偽物の古美術を作成するための、よい資料となる。


 ネイルは分厚ぶあつい書物をテーブルに広げて、作成する絵画の年代と、その当時エメロ城に雇われていた画家の名前、その当時に流行っていた顔料の成分とその配合率を、さらっと一瞥いちべつしただけで覚えた。


「よし、緑色以外は、持参した道具で作れそうだ。贋作に長けた部下に、この画家のクセを覚えさせよう」


 ネイルが声をかけると、すでに床に座り込んで、その画家の人物画をじーーーっと観察している黒装束の男が「あ、はい?」と振り向いた。


「ああ、集中していたのか。そのまま続けてくれ」


「あ、はい」


 再び観察に戻る部下。ネイルの部下は優秀過ぎて、たまに先回りされる。


「顔料の調合には、どれほどかかる?」


 数多の絵画から、絵の具をほんの少しだけナイフで削り取っている部下に声をかけると、ニヤッと目を細められた。


「一般家庭の台所用品で、充分に事足りるでしょう。必ずやこの任務を素晴らしい終焉に導いてしんぜます」


 彼だけネイルの部下の中で、よくしゃべる。竜の巣の仲間になる前は、もっとよくしゃべっていた。最後まで自分は爬虫類アレルギーなんだと主張していた。


 さっきまで過集中していた部下がニュッと前に出る。


「下書きには木炭が使われていますが、これはエメロ国で採れる木材を使っておりまして、どこかで調達する必要があります。現地の画材屋で手に入れば、よいのですが」


「そうか。ガビィ、目立たない人物に変装している部下を何人か、貸してくれ。買い出しに使いたい」


 ガビィに断る理由はない。部屋の飾りの大きな植木鉢の陰に控えていた部下に、外で動いている者たちへの伝言を預けて、送り出した。


 そのかんにも、過集中な部下が次の作業に移っていた。片手にした羊皮紙に、持っていた木炭の欠片で、当時の画家のタッチを真似まねている。その画家独自の、特徴的な色彩感覚、構図、技法、などなど、目利きの鑑定士をも騙すには、全てを完璧に模倣しなければならない。天才の作風を真似る才能も、また天才の才能なのだった。


「奥様、こちらへ。セレン様も隣へどうぞ」


 彼は羊皮紙を離さないまま、二人をソファに座らせると、ネイルに許可を取ってから、二人の顔の覆いを取ってもらった。


 ガビィは、この二人が絵のモデルに選ばれたのだと察するが、少し気になるのは、兄の嫁ミリアが黒装束なのはともかくとして、なぜセレンまでが。


「……兄さん、セレンまで顔を隠す必要は、あったのか?」


「セレンは大勢に顔が割れているからな。素顔ではまずい」


 セレンの素顔は、リアン王子の素顔とそっくりだった。ここでは顔を隠していたほうが、これからの作業に支障が出ないだろうと言うのが、兄の意見だった。


「それで、お前のほうは、なにかあったのか?」


 ぽんと聞かれて、ガビィは驚いて顔を上げた。自分がうつむきがちになっていたことに、改めて気づく。


 兄は古びた額縁をひっくり返したりと、その作りに特徴的な箇所はないか、テーブルに広げた資料と見比べて確認している。


「会ってすぐに気づいたぞ。相手に表情を気取けどられないように、気を付けろな」


「……気を付ける」


「それで、どうかしたのか? たいした事じゃないのなら、べつに言わなくてもいいが」


 ここは兄の部下たちの、人目がある。それを気にして、黙っていることもできる。


 だが兄の用意してくれた逃げ道を、ガビィは自ら断つことにした。


「……人は、恋人関係や配偶者となれば、死別以外で別れないものだと思っていた」


「ん? すごい事を言うんだな。必ずしも上手くゆく恋ばかりではないぞ」


「しかし兄さんも弟も、多くの妻たちと、ずっと仲が良い。……これが当たり前なんだと、俺は、思っていた」


 だから変装屋も、恋人を人質に取れば情報を吐いてくれるものだと、ガビィは思いこんでいた。


「……俺は、とある人物から情報を得るために、その恋人を人質に取って、交渉をした。そしたら、恋人とは別れる、と言われた……それだけだ」


「その疑問と罪悪感は、大事にしろな。きっとお前を成長させてくれる」


「罪悪感なんか……。悪党には邪魔な感情だ。もう、いい。この感情にはふたをすることにする」


 変装屋には、長年世話になっていた。ナディアの励ましと助言があったからこそ、ガビィは体を覆う黒い布を取ることができた。排他的なエメロ国と、戦うことができた。


 辛いこともあったし、腹の立つことも多かった。その当時に湧き上がったいろいろな感情を、今更無かったことにするには、あまりにも強烈過ぎる。


 大変な状況下で話し相手になってくれた唯一の理解者を、深く傷付けてしまったことに、自分は昨日からずっと戸惑っていたのだと、ガビィはようやく気づいたのだった。



 呆然としている弟の姿に、ふふ、と小さく笑いがこぼれる。


「感情は消すものじゃなく、利用するんだ。己の罪悪感すら利用できたら、もう立派なタマだぞ」


「利用……? 言われている意味が、よくわからない」


 自分で考えて答えを出すまでに、また蓋をしてしまいかねない性格をしている弟。時間が惜しいネイルは、少し悩んだ。


「不安や疑問は、何か少しでも行動に換えると、減少するもんだ。たとえば、自分とは違う価値観を持つ誰かに、相談して意見を求めるのはどうだ?」


「……他人に弱味を見せるのは好きじゃない」


「その言葉がすでに、弱っている証拠だ。話して大丈夫そうな相手は、いないのか? いないのなら、これから見つけていかないとな」


 話して大丈夫そうな相手とは……ガビィが長考し始める予感がして、ネイルは小さく吹き出した。


「本当にお前は真面目だな」


「……あ」


「どした」


「いるかもしれない……まったくアテにならないヤツだが」


 部屋の扉が開き、ヒメが飛び込こむようにして入ってきた。その格好は、変装屋で初めて着たオレンジ色のミニワンピ。すらっとした足が出ていて、これはこれで露出がある。


 黒い服を着ていないな、ぐらいしか疑問に思わなかったネイルだが、その無言がヒメには咎められているように感じて大焦りした。


「ちょ! ちょっと待って長男さん! 言い訳させて!」


「うん、どうした?」


「この格好には、ちゃんと理由があるの。私はエメロ国と竜の巣の、橋渡し役になりたくて、でも、そしたら黒は着れないし、でもお姫様の衣装も着れない。それで、エメロ国の一般人の格好に落ち着いたの。どうかな」


 本気で両国の仲を取り持とうと必死の新米に、ガビィは赤い宝石のような眼差しを向ける。


『王子が嫌な思いするの、やだ?』


 直感と好みで物を言うくせに、お人好しで、思いつく事は突飛とっぴで、価値観も独特、そしていつも誰かのために、日々うろちょろしている変な女。


(だが、姫に相談してどうなるんだ……? 兄さんの言っている意味が、まだよくわからない……)


 長年世話になっていた相手から、心の支えを奪ってしまった罪悪感を、姫に話してもどうにもならないような。変に騒がれそうで、ガビィは話すのを躊躇した。姫は変装屋と少しだけ顔見知りでもあるし、そういう理由でも気乗りがしなかった。


(ナターシャにするか……でもあいつは、にこにこしながらうなずくだけのような気がするな)


 ふと斜め下から強烈な視線を感じて、見下ろすとヒメの怪訝そうな顔があった。


「どうした」


「あ、ごめんなさい。なんか、朝からずっと元気ないよね、ガビィさん」


「……」


「……少しだけ、そのことが気になってて……」


「……大丈夫だ。気にするな」


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