第117話   ヒメのドレスが宣戦布告!?

 一階の廊下に、壁に飾られた絵画を眺めるネイル一家と、ガビィの姿が。


 なんだか、まだガビィの元気が無いような気がしたヒメだが、ひとまずここは、長男ネイルに挨拶をば。


(私もガビィさんみたいに、エメロ国と竜の巣の橋渡し役にならなきゃ。着付けてくれたマデリンには申し訳ないけど、私がこんな格好してるのって、半ばそのためだったりするからね)


 偽物の姫の衣装。いわばこれはヒメの仕事着であった。


「長男さん」


 声をかけると、ネイルが振り向いた。彼が竜の巣から外の世界に出ている姿は初めて見る。窓から差しこむ日の光を浴びて、彼が身に付けている装飾品が輝いていた。


「おはよう、ヒメ。なんだ、元気そうじゃないか。あんがい丈夫なんだな」


「ふふー、うん元気だよ。なんだか、話すの久しぶりな気がする。十日ぶりかな」


 食堂でたまたま会えば、一緒に食べる程度しか同じ時間を過ごしてないけど、世間にうとくなりがちなヒメに、食事がてら、いろんな事を教えてくれた人。

 ネイルはヒメにとって、頼りになる知恵者だった。


「はあー、なんだか長男さんに会ったら、すっごい安心したよ。ここに立ってるだけで心強いかも」


「ハハ、大げさだな」


 ネイルは困ったふうに八重歯を見せて、少し肩をすくめる。


「話はだいたいナターシャから聞いている。とんでもない事をしでかすそうだな」


「あ、ハハハ……」


 説明する手間が省けた。と同時に、今回の仕事はネイルから見ても常識外れな案件のようで、ヒメはちょっとたじろいでしまう。


「ほんと、すごい事やろうとしてるよね、私たち……提案した私が言うのも、ヘンだけど」


「不可能ではないさ」


 ネイルにあっさりと肯定され、ヒメは眉毛を跳ね上げた。初めてだらけの中で始める大きな仕事を、尊敬する年長者から、できると励まされた、それだけで、びっくりするほど自信とやる気が沸いた。


「私、自分にできることいっぱい見つけて、やってみるね!」


「一人ではやるなよ? 誰かと一緒にな」


「はい」


 ネイルは内心、まだまだ世間知らずなヒメの暴走を懸念していた。ヒメが皆の役に立とうと以前から悩んでいたこと、そして今その機会に恵まれ、率先して大事故を起こしかねない雰囲気を、なんとなく肌で感じ取っていた。



「それでヒメ、エメロ王の容態ようだいは、どうだ?」


「あ、はい、私が駆けつけたときには、もうせきは治ってたよ。グラム伯爵っていう意地悪なおっさんが来ても、ぜんぜん動じてなかったし、大丈夫そうだった」


「グラム伯爵というのは、シグマの親父さんだな」


「うん、フローリアン王子とガビィさんと、すっごく仲が悪いの。エメロ人しか認めたくないみたい。ついでに私も、あの人のことは好きじゃないんだけど、友達になったメイドさんのお父さんだからなぁ、あんまり露骨に嫌うことはできないんだ」


 ネイルの黒いうろこに覆われた顔が、意外そうな表情に変わった。


「友人ができたのか。こんな所で」


「うん! マデリンっていうんだ。すっごく強い人なんだよ。私、彼女の生き方には憧れちゃうな。マネなんてとてもできないけどね」


 その強さたるもの、廃れたヴァルキリー制度を復活させてまで、女性が剣を携える正当性を勝ち取るだなんて、どこをどう計画立てればよいやら、ヒメには見当もつかなかった。彼女はもっともっと若い時期から活動し、不可能に近い夢を実現した。その積極性と破天荒ぶりは、一年程度ではマネすることもできないヒメである。



 ヒメがネイルに、あれこれと報告をする、そのかたわらで、ミリアが夫ネイルの後ろで静かにひかえていた。

 そのミリアの片手と、手を繋いでいた小さい竜の巣の民が、突然ヒメに向かって小さな片手をぶんぶん振りだした。


「ひめー! やっぱりひめだ! やっぱりひめのこえだよ、おとーさん!」


「ん? 私の声?」


「ぼく、まちがってなかった! ひめのこえで、あってたよ!」


 ヒメを指差して、大はしゃぎしている。ヒメは会話の前後の流れがわからず、ネイルを見上げると、彼の視線は小さな我が子に向いていた。


「よく気がついたな。ヒメがお前を抱っこしたのは、お前が赤ん坊の頃だったし、そのときのヒメは黒い布で顔を覆っていたというのに」


「だって、こえがねー、ひめとおんなじだった。ぼく、おぼえてるよ!」


 抱っこ、ヒメの声、覚えている……その三つで、ヒメはピンときた。この子が、いったい誰なのかを。


「まさか!! 竜の巣で私が抱っこしてた赤ちゃんなの!?」


「うん!! ぼくもう、あるけるよー」


 お母さんの手を振りほどいて、ヒメに向かって小走り。抱き上げろとばかりに両腕を上げるので、ヒメはその小さな体の、両脇を持って、抱え上げようとした。


 びくともしなくて、思わず笑ってしまった。


「あはは、たったの十日くらいで、こんなに大きくなっちゃったんだ。元気もいっぱいだし! よかったねミリアさん」


 ミリアはどこか歯切れの悪い返事。元気過ぎてエメロ城を駆け回った我が子に、いろいろと思うことがあるようだ。


 ミリアが責任感の強い性格なのは、ヒメも知っている。ちょっと安心させてあげようと思った。


「ミリアさん、この子はエメロ王のためにリンゴをすったんだよ。優しい心も持ってる子だから、心配しなくても大丈夫。とっても良い子だよ」


「ひめあそぼー!!」


 ずどんと腹部に衝撃が。誰かが本気で投げたボールみたいだった。


「うおっ! す、すごい力! いたたた、押し返さないと倒れちゃう!」


「こーら!! ヒメ様に痛いことしちゃダメでしょ! やめなさい!」


 ミリアに叱られて、つまんなそうに押しくら饅頭をあきらめる、小さな子供。手持ち無沙汰に、ヒメの黄色いドレスのスカートをつまんで、ヒラヒラさせる。


「ねーひめ、このふく、どうしたのー? おさかなみたい」


「ああ、これはエメロ国での仕事着だよ」


「おしごとなんだ。じゃあひめー、どうして、うえはハダカでいるの?」


「え?」


「かおも、かくしてないよー。かたと、うでも、まるみえだよー。どうして、おしごとすると、みんなハダカなのー? おじさんもハダカなんだよー?」


 竜の巣の子供は、鋭い爪が生えた指で、ガビィを指さした。そしてヒメのスカートを握ったまま、今度は自分の父親のゆったりした黒い外套がいとうも、人差し指で指摘する。


「おとーさんもハダカなんだよ」


「長男さんは、召喚士っていう職業の仕事着が、そういう作りなんだよ。ガビィさんは、えっとー、うん、竜の巣の基準で見れば、裸かも……」


 ついでに私も、と気まずげに付け加えるヒメ。せっかくエメロ国の常識が身に付いてきたのに、今は本当にハダカでいるような恥ずかしさに、身を固くした。


 子供の質問にも真剣に答えるヒメに、ネイルが微笑んでいる。しかし改めてヒメのドレス姿を眺めるうち、そのものすごい格好に、青い眼球をぱちくりした。


 ヒメの明るい金髪と青い目がよく映える、少し暗めの色合いの、黄色いイブニングドレス。マーメイドラインのスカートから華やかな靴先が顔を出している。だが、問題はそこではなかった。


 肩の部分の生地きじが、無いのだ。剥き出しの両肩、ごっそりあらわになっているデコルテ、おまけに大粒のエメラルドが谷間に沈んでいる。


「息子の指摘する通りだ。ヒメ、ずいぶんと豪快に肌を出しているな」


「これは、そのー……」


「黒い服は、どうした?」


「持ってるよ。でもエメロ国だと、黒は不吉な色なんだって。だから、えっと、そのー……」


 ヒメはネイルの無言に、圧を感じて言葉に詰まった。ネイルは、笑みを浮かべている。


「ヒメ、俺は次期王にして、竜の巣の第一王子だ。そんな俺にエメロの文化に染まりきった姿を見せるのは、礼儀を欠いていると捉えるぞ?」


「うええ!? そ、そんなつもりじゃ……」


「だが、ヒメにはそっちの姿が、よく似合うな。もう竜の巣には戻ってこなくていいぞ?」


「そ、そんなこと言わないで〜! ほんとに泣きそうになるから〜」


 ヒメが顔を真っ赤にして「着替えてくる〜!」と駆け出したので、慌てたネイルがヒメの名前を連呼して呼び止めた。


「ハハハ、冗談だ。ちょっとびっくりさせられたから、その仕返しのつもりだった」


 心臓に悪い冗談だと、ヒメは震えた。


(冗談だったとしても、次からは長男さんの前で絶対にこのドレスを着ていけないよ〜!)


 ネイルを失望させてしまった、という一瞬の衝撃が、ヒメの胸に深いトラウマを残した。


 しかもネイル本人が言うとおり、彼は笑顔が優しくとも次の王様となる存在。彼に嫌われたら、竜の巣から追放となる未来も、無いとは言い切れない。


(私もガビィさんみたいに、エメロ国と竜の巣の橋渡しになろうとした、それだけだったのに〜!)


 ネイルの冗談一つで平常心が吹き飛ぶようなヒメに、そんな大役が務まるとは、悲しいかな誰も思っていないのである。


「さてとガビィ、お前の考えた計画を、お前の口から詳しく聞きたい。親父の愚痴ぐち聞き以外の仕事を、早くやりたいんだ」


「わかった。ヒメも客間へ来てくれ」


「着替えてからでいいですか……」


 ヒメが、どよ〜んとしている……。衣服の価値観が、竜の巣の程度に戻ってしまい、自分の格好がタオル一枚で人前に出ているような恥ずかしさにさいなまれていた。


 まともに話し合いができそうにない状態のヒメに、ガビィはちょっと気圧けおされした。


「……ハァ、わかった。早めに頼むぞ」


「ふぁ〜い……」



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