コーヒー屋さんのコーヒー
新年、三が日が明けてすぐの日に。
私は末広町にある、かかりつけのクリニックに来ていた。
「……はい、じゃあ今月も気をつけて。薬は4週間分出しておきますので」
「ありがとうございます」
目の前の椅子に座った白衣の先生に頭を下げて、私は診察室を後にした。
私が通っているこのクリニックは、要するにメンタルクリニックだ。
数年前、仕事中に仕事が全く手につかない状態になり、うつ状態及び適応障害と診断を受けて以来、月に一度通院して薬を処方してもらっている。
とはいえ私の場合は、今はそんなに強い薬を飲んでいるわけでもなく、それなりの強さの薬を少量飲む程度で充分効果が出ている。昔はもっと強力なものを処方してもらっていたが、それには手を付けなくなって久しい。
減薬とか、考えてもいい頃合いなのかもしれないけれど、減らしたところでこれ以上どう減らそうか、という話にもなるので、あまり考えないことにしている。
「秋島さん」
「はい」
待合室でぼんやりしていると、受付で私の名前が呼ばれた。
財布とかばんを手に、其方へと足を向けると、私の前にぴらりと領収書と処方箋が出された。
「本日のお会計と、処方箋がこちらになります」
「はい、こちらで」
いつもの通院、いつもの診察、内容が変わることなんてほぼ無いので、支払う額も一緒だが、やっぱり毎月これだけお金が出ていくと、地味に重なる。
正直なところ、診察料よりも薬の処方代金の方が重くのしかかってくるのだが、ジェネリック医薬品も駆使してだいぶ軽く出来た方なのだ、これでも。
財布からお金を出し、保険証をしまうと、診察券に次の予約を書き込みながら受付の女性が言う。
「次回の診察はいつにしましょうか」
「あー……じゃあ、来月のこの日の、午前11時でお願いできますか」
「午前11時にお取りしました。お大事にどうぞー」
事務的に対応する受付の女性に軽く会釈して、処方箋と財布をかばんに入れて私はクリニックを後にした。
もう、この流れも何度繰り返したことだろうか。
私の通っているクリニックは名が知られていることもあってかなり人気の医院なので、予約した時間に行っても数十分待つということは普通に起こる。
最初は待ち時間が退屈だったものだが、その間SNSを眺めていたり備え付けの本を読んでいたりと、時間の潰し方も分かってきたので何とかなっている。
なので、11時に予約して診察終わって出てくるのが12時半、なんてことはざらだ。診察自体は5分や10分で済むというのに、である。
「はー……今日、お昼ご飯どうしようかなー」
そんなもんだから、クリニックを出て薬を処方してもらう薬局に行くまでの道中で、お昼ご飯を食べるのが通例になっていた。
末広町のラーメン屋に行こうか、それとも最近お気に入りの秋葉原のカレー屋さんに行こうか、ドン○近くのちょっとお高いハンバーガーにするか、UDXのレストランエリアに行くか……
悩ましい。悩ましいけれど、これが楽しいのだ。
「今日はUDXのどこかにしようかなー……お?」
ちょっと沈んだ気持ちが盛り上がった感じになって、足取り軽くビッ○カメラのある交差点を曲がったところで。
UDXの向こう、高架下のちゃばらの建物に、コーヒーカップのマークが書かれた看板が出ているのに気が付いた。
「へー、ちゃばらの中にコーヒー屋さんがあったんだ……?」
UDXの前を通り過ぎて、横断歩道を渡った私は、窓際のカウンター席と窓の看板を眺めながら独り言ちた。
「や○か珈琲店」、確か豆の取り扱いもやってるコーヒー屋さんだったっけか。北千住かどこかの街中でお店を見かけた記憶がある。
カウンターがあるところを見るに、カフェも併設しているようだ。
「お昼の前に、一杯飲んでいこうかな」
そうして私はちゃばらの中に入り、すぐに右へ。小ぢんまりとしたスペースに、テーブルと椅子、コーヒー豆が所狭しと並んでいる。
受付カウンターの上にあるメニューを見て、私は驚いた。
「(やっす……ブレンドコーヒーがSで240円、本日のコーヒーも260円?)」
コーヒー屋さんがカフェで出しているコーヒーというと、一杯300円とか400円とか、いいお値段をするイメージがあったのだが。
それが240円。街中のカフェのコーヒーと、そう値段が変わらない。
驚きを胸に、受付カウンターの前まで行く。店員のお姉さんがにこやかな笑顔で対応してくれた。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?本日のコーヒーはサダン・トラジャ、ペーパードリップコーヒーはアソグランとなっております」
「あ、じゃあ本日のコーヒーをホットで1つください」
「本日のコーヒー、ホットですね。260円になります。右手のカウンター前でお待ちください」
迅速、丁寧。素晴らしい。示されるままに右手のちょっと上がったカウンターの前に来ると、ちょうどコーヒーカップが運ばれてくるところだった。
「本日のコーヒーのホット、お待たせしました。お気を付けてお持ちください」
「ありがとう」
ちょっと分厚い造りをしたコーヒーカップに、爽やかな香りの強いコーヒーがなみなみと注がれて運ばれてきた。
ソーサーを両手で持ってコーヒーを持ちながら、席を探す。あんまり人の目につかない店なのか空きは多いが、やっぱりここは最初に目についたカウンター席だろう。
カウンター席の空き席にコーヒーカップを置いて、木製の椅子を引く。かばんは……カウンターの下に入れられるようだ。
他のお客さんは、中年と思しき男性がコーヒー片手に文庫本を読んでいるくらい。落ち着ける空間なのだろう。分かる。
私は両手で包み込むようにしてコーヒーカップを持ち上げた。鼻の近くまでカップを寄せると、コーヒーの爽やかで香ばしい、草原のような香りが鼻を突いた。
厚みのあるカップに口をつけて、一口。途端に口から鼻へと香りが抜けていく。
酸味は少ないのに苦味がハッキリしていて、舌にずんと来る。
「おぉー……」
正直、ビックリした。300円しないでこのクオリティのコーヒーが味わえるのなら、非常にお得だ。
カウンターの上に乗っていたお店の一覧を見たが、会社の近くに店舗は無いようだ。残念……
ともあれ、これでまた一つ、通院の時の楽しみが出来たわけで。
「ふふっ」
思わず、コーヒーを楽しむ私の口から笑みがこぼれるのだった。
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