第157話

そうして、ひたすら街中を走って走って走りまわって、俺はようやく脚を止めた。


膝に手をつき、全身で呼吸を繰り返す。

影が伸びるアスファルトに、頬を伝って落ちた汗が静かに染み込んでいく。


周りに人の気配はなく、聴こえるのは自分の呼吸音と跳ねるような心音、それから風に吹かれて樹々の葉が擦れる音だけ。


俺は乱れた呼吸をしばらく落ち着かせたあとで、膝から手を離し、今一度辺りを見回す。



視界に映るのは、数件の民家と目の前で鬱蒼と茂る樹の群れ。


……そして、経年劣化で所々色が落ちている朱塗りの鳥居。



——ここはあの日、ゴールデンウィーク最終日に白月と最後に訪れた場所だった。



思いつく場所はもうほとんど全て周った。

そして、それもここが最後。

もし、ここに白月の姿が無ければ、俺はこれから当てもなく街を彷徨うことになる。


俺たちの住む街はそれほど大きな街ではないけれど、それでもなんの手がかりもなくその中からたった1人を見つけ出すというのは流石に無理がある。



……頼む。どうか、ここであってくれ……!



自分自身、それが何に対しての祈りなのかは分からない。強いて言うなら、奇跡を起こすことのできる何者かに対しての祈りなのだろう。


俺は一度、鳥居の前で深く呼吸をして息を整えると、暴れる心臓を落ち着かせて静かな風景に溶け込む。


そして、鳥居の奥へと続く石段の1段目に脚をかける。


未だに脚の感覚は戻っていないが、それでも1段1段ゆっくりと、しっかりと、着実に上っていく。


そうして最後の段を上り終えたところで、視界にはあの日見た朽ち果てた拝殿の姿が入って来た。俺は植物の蔦が絡みついたその拝殿を横目に、境内の脇に見える小道へと進む。


ほとんど舗装はされておらず、黄色土おうしょくどがむき出しになっている。ふと視線を足元に向けるとここまで走って来たせいもあって、もともと白かった上履きは黒く汚れていた。


これは一度家に持ち帰って洗わないといけないな。


そんなことを考えていると、あることに気がついた。



……小道の土に足跡が残っている。

俺のとは別の、違う足跡。


これは……、この足跡は……



落ち着きを取り戻したはずの心臓が再び激しく鼓動を繰り返し、俺は1歩、また1歩とその足跡を辿っていく。


すると、地面に残っている足跡は小道を抜け、さらに奥のひらけた場所へと続いていた。


そこには小さな展望台があるということを、俺は知っている。

そして、その場所が彼女にとって、どういう場所であるのかということもよく知っている。


俺は小道の終わりで小さく息を吐き出すと、心臓の鼓動に耳を澄ませながら、そこへ向かって脚を動かす。



その瞬間、顔を強い夕陽に照らされ、思わず光を手で遮った。眩しい。ヒリヒリと陽の温度が皮膚を通して伝わってくる。


その光に目が慣れるまで、3秒。


俺はゆっくりと手を退かし、光の差す方に目を向けた。



するとそこには、1つの影が佇んでいた。



影はこちらに背を向け、街を見下ろすように手すりに体を預けている。


逆光でその姿はほとんどシルエットにしか見えず、風景の中に影が貼り付いているように見えた。

それなのに、俺はその黒い影が誰なのかすぐに分かった。


何故か。


それは街を見下ろして佇むその後ろ姿が、俺のずっと捜していたあの後ろ姿そのものだったから。


夜を封じ込めたかのように黒く静かな長い髪が、秋を運ぶ風に吹かれてゆらゆらと心地好さそうに靡いている。


俺はその影に後ろからゆっくり近づくと、小さな背中に向かって静かに呼びかけた。



「白月」


その声に反応して、彼女がこちらを振り返る。そして、彼女は俺を見て少し驚いたように目を開くと、寂しげに笑って言った。



「……よく、ここが分かったわね」



その声は驚くほどに穏やかで優しく、同時に泣きそうになるほど寂しげだった。

けれどそれ以上に、俺にはその声がとても懐かしいものに思えてならなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る