第115話

「蒼子ちゃん、『来週までにドームを完成させましょうね』って言ってたのにね」


「……具合が悪くて帰ったのかもしれないな。それか、急な用事が入ったのかもしれない」


「えー……それでも連絡入れるくらいは出来るでしょ?」


「まぁ、明日学校に来た時にでも事情聞いておいてやるよ」


部室のテーブルに突っ伏しながら不満を口にする葉原のお陰で、なんとか嫌な思考から脱することが出来た俺は、葉原を宥めるように言葉を返す。



「蒼子ちゃん……大丈夫かなぁ」



葉原には、柏城から聞いた話は一切伝えていない。


もしも葉原が白月の過去を知ってしまえば、いよいよこの部は、俺たちの日常は、砂城のように脆く崩れ去ってしまう。

……葉原だけは、俺たちの狂い行く歯車に巻き込みたくはない。


それにもし話すとしても、それは俺からではない。白月本人から聞くべきことだ。だから俺は何も言わない。何も伝えない。ただ、止むかもわからない雨が止むのを待つのみ。


そんなことを考えていると、突然部室の扉が開き、廊下から誰かが部室に入って来た。



「ごめんなさい。待たせてしまったわね」


黒く長い艶やかな髪に、雪のように白い肌。そして、スッとこちらに向けられる氷のように冷ややかな双眸。


そこに立っていたのは、紛れもない白月蒼子本人だった。



「白月……」


てっきり帰ってしまったとばかり思っていたため、そんないつもと変わらぬ白月の姿を目にすることが出来て思わず安堵の声が洩れた。それは葉原も同じだったようで、白月が部室に入ってくるなり、感喜の表情を浮かべて白月の元へと駆け寄った。



「蒼子ちゃん! よかったぁ~……帰っちゃったのかと思って心配したよぉ……」


「ふふっ、連絡しておけば良かったわね。ごめんなさい」


「……それで? 今日はどうして遅かったの?」


葉原がそう問いかけると、白月は鞄から何かを取り出して「実は……」と話を始めた。



「文化祭の件で、実行委員と少し話しをしていたのよ」


「……話し?」


「えぇ。プラネタリウムの実演をするには、この部屋は少し狭いでしょう? だから、文化祭当日は空き教室を借りようと思って、実行委員の方々と話しをしてきたのよ」


「なるほどね。……それで、どうだったの? 教室は借りられたの?」


すると白月は、先程鞄から取り出したものを俺と葉原に向けて差し出してきた。

それはA4サイズの用紙で、表には『申請許可書』の文字が記載されている。そして、その下には天文部部長『白月蒼子』の名前と実行委員の印鑑が押されてあった。



「空き教室の使用許可、降りたのか」


「えぇ。当日は3年3組の教室が空き教室になるようだから、そこでプラネタリウムの実演を行うわ」


それを聞いて俺は、胸の蟠りが少し解けたように感じた。



白月は心の底から文化祭を成功させたいと願っている。

自分が今、大変な状況に置かれているにも拘らず、白月は俺たちのことを一番に考えてくれているのだ。


それなのに俺は柏城のくだらない一言でこんなにも心を乱され、あまつさえ白月に嫌悪感を抱こうとしている。


……全く、馬鹿馬鹿しい。


白月がどんな過去を背負っていようが、柏城に何を唆されようが関係ない。そんなもので俺たちの日常が壊されていいはずがないのだ。



だから、俺が守る。


ようやく手に入れた “普通” を、 “日常” を必ず守り通すと、そう誓ったのだった。

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